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絶滅危惧種

「大臣。わたくしもバサーのひとりです」と秘書官は環境大臣の田沼たぬまに言った。

「バサー?」

「ブラックバスを釣る人のことです」

「ああ、松岡まつおかくん。そういえば君は釣りをやるのだったな」

 田沼は大臣室のソファーにゆったりと腰掛けていた。

「大臣。現在の風潮はけしからんと思うのです」

「どういうことかね?」

 松岡は直立不動のまま大臣と向かい合っている。

「日本の淡水魚たんすいぎょが減少しているのを、全面的にブラックバスなどの外来種に罪を着せようとしているとしか思えません」

「ブラックバスは食欲旺盛な淡水魚なのだろう?」

「ですが大臣。ブラックバスやブルーギルなどの外来種を放流したからといって、あっという間に在来魚が息絶えるものでしょうか。生命とはもっとたくましいものです。もしそうだとしたら、あのゴキブリなどとっくの昔に絶滅していていいはずです」

「それはわたしの知るところではない」大臣は電子タバコに火をつけて吸い出した。「そもそも、誰が外来種を放流したのかね。釣り道具屋さんの陰謀かな?」

「釣り業界の利害関係者ではありません。赤星鉄馬あかぼしてつまという実業家です」

「赤星・・・・・・名前は聞いたことがあるな」

赤星四郎あかぼししろう六郎ろくろうの実兄にあたる方です」

 田沼は驚いた顔をする。

「赤星兄弟といえば、日本ゴルフ界創設の英雄じゃないか」

「その通りです。先生はゴルフのことになると目の色が変わりますね」

「それはそうだろう。それで、その赤星鉄馬がブラックバスを放流したのには何か訳があるのだろう?」

「食料難を救うためです。1922年(大正22年)当時の日本は工業時代に突入。河川や海に工場排水が垂れ流し状態になっていました。それにより川や湖の汚染が深刻な状況だったのです」

「すでに環境汚染が始まっていたのか」

「そうです。川や湖の生態系は日に日に崩れつつあったようです。アメリカに渡った赤星が、食べてもうまく、釣ってもおもしろいブラックバス87匹を試験的に日本に持ち込み、政府の許可を得て芦ノ湖に実験的に放流したのです」

「なぜ芦ノ湖を選んだのかね」

「東京大学の淡水魚研究所があり、他の水域と絶縁されていたため、過剰繁殖したとしても問題ないとみられていたそうです」

「そうか。要するに赤星鉄馬は国益のためにブラックバスを日本に持ち込んだのだな」

「そういうことになります」

「ではブルーギルの方はどうなのだ?」

「1960年(昭和35年)にやはり食料確保のため、天皇陛下がアメリカから日本に研究のために持ち帰り、水産庁研究所に寄付されたのです。もちろん、このことも琵琶湖の在来魚が減ってしまった一因になったとは言い切れません」

「外来種ではなく、もっと根本的な要因があるというのだな」

「その通りです。現在世界に絶滅危惧種が4万種、日本に3千種もあるのは、人間の作り出した環境変化によるものと考えられます」

「開発のやりすぎだということか」

「人間が増えすぎたのです。我が国の将来は大臣の手腕にかかっているのです」松岡が時計を見た。「あ、大臣。そろそろお迎えの車が来る時間です」

「おお。もうそんな時間か」

「今日はどちらでゴルフですか」

「それこそ赤星四郎の設計した『箱根カントリークラブ』だよ。そういう君はどうする」

「わたしはこれから芦ノ湖に」

「バス釣りか」

「はい。もちろんリリース(獲って逃がす)なんてしませんよ」松岡は笑った。

「お互い人生を楽しまんとな。わっはっは」


 このとき、その後人類そのものが絶滅危惧種に入ってしまうなんて、だれが想像できただろうか・・・・・・

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