昔、子供は七歳になってようやく自分たちの家族になれた。
それまでは神の子と言われ、いつでもあの世に返さなければならなかったのだ。それほど昔は子供の死亡率が高かったのである。
子供は3歳になって言葉を理解するようになる。そして5歳になると知恵がつく。7歳になると乳歯が入れ替わる。その奇跡のような節目を祝うことで、人々は子供たちを神様への返還から逃れようとしたのである。
3歳に祝うのを『
5歳に祝うのは『
そして7歳に祝うのが『
七五三では親が子に紅白の千歳飴をあげて、細く長く生きられるようにという願いを込める。ただし、大昔はただのお祝いというだけではなかった。
将来この子が一人前の大人として成長することが見込めなかった場合、残念ながら自ら神様にお返しするという悲しい風習もあったというのである。
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「あなた、この子・・・・・・」
妻が夫の顔を訴えるように見守る。
「これは
「うつけ?」
「空っぽという意味だ。この子の表情を見てみるがいい。
甲兵衛は腕組みをして天を仰ぐ。
「
ほどなくして使用人の五平が現れた。
「よいか五平。
「
驚いて五平が聞き直す。
「ああ。残念ながら・・・・・・留次郎はどこを見ているのかも定まらぬ状態だ。山に連れて行って神様にお返しして来てもらいたい」
「かしこまりました」
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そうは言ったものの、五平は気が重かった。
五平の後にまだ五歳の留次郎が、まるで物見遊山にでも出かけて来たかのように、くったくのない笑顔でついてくるのだった。
「留次郎さま。お疲れでしょう。このへんで少し休みましょうか」
山林の中腹である。五平は懐に隠し持っていた合口に手をかけた。留次郎が逃げ出したときのための用心である。
留次郎はと見れば、野山に咲く花を摘んでいる。五歳の子供だ。何も刺し殺さなくても、このまま放っておけばいずれ息絶えてしまうだろう。
「留次郎さま。五平はちょっと
そう言い残すと、五平は山林の中に姿を消した。
後に残された留次郎は、あどけない顔をして花を
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夜になるとコツコツと門を叩く音がする。不審に思った門番が見に行くと、なんと留次郎がそこに立っているではないか。
「留次郎!」母は留次郎に駆け寄って抱きしめた。「どうやって戻ってきたんだい?」
騒ぎを聞きつけて甲兵衛が出てくる。そこに留次郎の姿を認めて唸った。
「五平!これはいったいどういうことだ」
「面目ございません」五平は平伏して謝った。「まさかこのようなことになるとは・・・・・・」
「しかし五平、留次郎はどうやって戻って来れたのだ」
「さあ・・・・・・」五平も首を傾げざるを得なかった。「もしや山林の景色を、道々正確に記憶しておられたのかもしれません」
「なんだと。そのようなこと大人でもかなわぬであろう。ましてや留次郎はまだ五歳の子供ではないか。よいか、明日もう一度捨てに・・・・・・いや神に御返還
その後、五平がなんど山に置き去りにしてきても、やはり同じように留次郎は家に戻ってきてしまうのだった。もはや五平は留次郎を刺し殺すなどとは考えていなかった。この五歳の男の子に何か途方もない力を感じ始めていたのだ。
「あなた。もうこの子に手を出すことはお止めくださいまし」
留次郎の母の眼から涙がこぼれ落ちた。甲兵衛もこの時ばかりは肯くしかなかった。
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留次郎は天野家の養子に出されることになった。例の一件があり、甲兵衛は手元に留次郎を置いておくことが苦になっていたのである。
留次郎の稀代な才能を認めた天野家は、留次郎を将棋の大橋本家の門下生にした。しばらくすると留次郎は、その将棋の強さから『菊坂の神童』と呼ばれるようになった。
将棋棋士としてメキメキ頭角を現した留次郎であったが、当時の名人位は
37歳のときに名前を
そして天野宗歩は44歳でその生涯を閉じた。
素行が悪く、昼間から酒を浴びるように飲んでいた宗歩の懐から、幼き頃に母から頂いた紅白の細長い飴が出てきたというのは少々出来すぎた話ではある。