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油売り

「ちょっと行って来らあ」留吉とめきちが油が入ったおけを担いだ。

 江戸時代、油は照明のほかに食用、理容など様々なものに使われていた。だから油を売る行商人が繁盛したものである。留吉はそんな行商人のひとりであった。

「どこへ行くんだい?」と女房のおみつが留吉に声をかける。

「どこへって、商売によ」

「また隣のおとみさんのところかい」

「そうだよ」

「やめときなよ。あんた、あそこのご主人とは水と油じゃないか」

「あいつとは金輪際こんりんざいくちをきかねえって決めたんだ。この時刻ならあいつはぜったい家に居ねえはずだ」

「まったく幼馴染おさななじみのくせに。なんでかたき同士みたいになっちまったのかねえ」

「そりゃあおめえ・・・・・・」まさかお富を取り合ったとは口が裂けても言えねえ。

「それじゃあよ。ちょっくら行ってくらあ」


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「邪魔するよ」暖簾のれんをくぐる。

「あら」とお富が縫物をしていた顔を上げる。「ちょうど良かった。そろそろ油が切れる頃だったのよ」

「分かってるって。だから来たんじゃねえか」

 お富が奥から油用の大徳利を持ってきた。

 留吉は柄杓ひしゃくで徳利に油を注ぎ始めた。金色に光る油が、細い糸を引いて徳利に吸い込まれていく。

 これがこれが結構時間がかかる。こうなると当然お客と世間話が始まるのだ。サボることを“油を売る”と言うのはこの事に由来している。


 留吉は内心お富のことが好きだったから、少しでも長くお富の顔を見ていたい。細い油の糸を、さらに細くしてダラダラと会話を楽しむのだった。

「昨日はうちのとちょいと夫婦喧嘩しちゃってね」と、お富が小さく笑う。

「なんでまた」

「ふたりで横丁歩いているとき、若い女が通るたびにあのひと目線が泳ぐのよ」

「へえ、そう言えばおたくの旦那・・・・・・」

与助よすけがどうかしました?」

「今日も嘉納屋かのうやに入り浸りだってねえ」

「嘉納屋ですか?」

「あそこのおせんていう若い女給仕にご執心だってもっぱらの噂だぜ」

「なんですって!」

「あいつは昔っからそういうところがあるやつでさあ・・・・・・あ、おれからそんな話を聞いたなんてあいつにしゃべらないでくれよ」

「分かってるわよ!それにしても、あの唐変木とうへんぼく・・・・・・」

「お、終わったみてえだな。お代は月末に取りにまた来るからよ。じゃあな」


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「あんた、随分時間がかかったじゃないの」お光が留吉をにらんで言った。

「なんのこたあない。いつもの事だって」留吉は素知らぬ顔でうそぶく。

「油売ってたんじゃないでしょうね」

 すると隣の家が何やら騒々しくなり、しまいには亭主の悲鳴が聞こえはじめた。

「売ってたよ。油売りだもの。そいでもってついでに火に油を注いでやったのさ」

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