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うどん県

「ねえ美代ちゃん。『日本三大うどん』て知ってるかい」

 編集部の松山が同僚の美代子に訊いた。

「知ってるわよ。やや太麺でコシの強い、香川の讃岐うどんでしょ」

「あとふたつは」

「ええと、強いコシと弾力のある、群馬の水沢うどん」

「そうだ」

「それから・・・・・・細くてツルツルしたのど越しの、秋田の稲庭うどんじゃない?」

「大当たり。さすが食いしん坊の美代ちゃんだね」

「食いしん坊は余分です。わたし、食のリポートやってるんだから、それぐらいは当然ですよ」

「ほう、それじゃあ香川県がなぜ“うどん県”を名乗っているか知ってるかい」

「それは、うどん消費量日本一だからじゃないんですか。わたしの知っているひとなんか、うどんを食べない日はないみたいですよ」

「もちろんそれもある」

「飲んだ後の県民のシメが必ずうどんだからとか」

「それはちがうな」

「新築の家では風呂に入りながらうどんを食べる習慣があるからとか」

「ちがうよ」

「喫茶店でモーニングを頼むと、うどんが出て来る」

「まさか。香川県がうどん県を名乗ることについては、事前に県民にも知らされていなかったそうなんだ」

「本当ですか。そんなの許されるものでしょうか」

「さあね。でも本当の話らしいよ」

「なんか根深い話になりそうですね」

「そうでもないけど・・・・・・そもそもうどんは誰が広めたか知ってる?」

「うどん屋さん?」

「香川県で生まれた空海くうかいっていうお坊さんらしいんだ」


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「この子は天才だ」

 幼少のころから真魚まおはそう呼ばれていたという。

 そしてその頃から仏の道を目指していたというから前世の因縁なのかもしれない。泥で仏像を作っては、近所の子供たちを集めて拝んでいたという。

「仏門に入って人々を救いたい。叶うのならば命をお助け下さい。だめならこの命、仏様に差し上げます」

 そう言って7歳の真魚は、なんと断崖絶壁から飛び降りてしまった。

「ちょっと坊や。なに無茶なことしてんのよ」

 なんと空から天女が舞い降りて来て、真魚少年を助けてくれたという。


 大人になった真魚は、公務員になるため、奈良にある大学に入学した。ところが、公務員になっても人々を救うことはできないと感じた真魚は、あっさり大学を中退して、仏教の修行のために山に入ってしまう。

 ある日、室戸岬の洞穴で1日2万回、密教のお経を唱え、それを50日間続けるという修行を始めた。密教とは、仏教の秘密の教えのことである。するといきなり明星が彼の口の中に入ってきて“宇宙と人間は一体である”ということを悟ったという。その時彼の目に映ったものが、空と海であったので、それ以降、彼は空海(後の弘法大師)と名乗るようになった。


「本物の密教を学びたい。そうだ。遣唐使になって中国に渡ろう」


 遣唐使の船団は4艘であった。空海は第1艘、最澄が第2艘に乗り込んだ。残りの2艘は嵐で遭難してしまった。この時、最澄は国費で通訳付きの遣学生けんがくしょうだったのに対し、空海は私費の留学生ぐかくしょうという立場だった。最澄はエリート、空海は苦学生といったところだろうか。

 遣学生と留学生の最大の違いは、遣学生が2年の留学期間で済むのに対し、留学生はなんとその10倍、20年の就学が義務とされていたことである。

 中国本土にボロボロの船が到着したので、当初彼らは海賊と間違えられてしまう。書の達人でもあった空海が嘆願書をしたためた。

「これをお役人に渡してください」

 遣唐使長が中国の役人にそれを提出すると、その書の素晴らしさを観てようやく遣唐使であることを認めてくれたのだった。

「海賊にこんな書がかけるはずがない」というのが理由だった。


 通訳を持たない空海にとって、密教を学ぶには、並行してサンスクリット語を習得する必要があった。そこは天才の空海である。なんと半年で真言宗教を習得してしまう。


「この世にそんな人間がいるとは信じられない。一度ここに呼んで来なさい」

 空海は密教の第七祖である青龍寺しょうりゅうじ恵果和尚けいかかしょうのもとを訪ねることになった。

「おお。なんという・・・・・・」

 恵果は、空海を一目見ただけで雷に打たれたような衝撃を受けた。

「空海よ。これよりお前はわたしの弟子である。仏教の全てをお前に教えよう」なんと会ったばかりの日本人に、密教の奥義をすべて授けようというのであった。


 密教を完全に習得した空海は、20年の予定を2年に短縮して最澄と一緒に日本に帰国した。

「空海殿、日本に着いたら仏教のことで何かとご教授くださいませんでしょうか」

 仏教を完全に習得した空海に対し、不完全な習得のまま帰国する最澄が教えを乞うたのはしごく自然なことであった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「その後空海と最澄は仲違いしちゃうんだけどね」

「天才とプライドの闘いってところかしら」

「空海が唐から持ち帰ったのは仏教だけではないんだよ。建築、薬、絵画、そしてうどんの製法なんだ」

「でもどうしてうどんを広めたのかしら」

「香川県はもともと雨が少ない県なんだ。だから昔から米より麦を主体に作っていた。小麦粉に少量の塩水をくわえて作るうどんの製法を教えたら、故郷の人たちが助かると考えたのじゃないかな」

「ふうん。それで香川県はうどん県を名乗ることにしたのね」

「そういうことだな。あ、美代ちゃん。ちょうどお昼だ。うどんでも食うかい」

「どうも話が長いと思ったら、ただそれが言いたかっただけなんでしょう」

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