「
誰かが
「だれですか、こんな夜更けに」
木戸を開けるとそこに俳句の師匠が立っていた。松尾芭蕉その人である。
「夜分申し訳ない。実は明日からの東北旅行の件ですが、同行者が変更になりました」
「え、そんな突然。何があったのです」
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「旅費を工面させて頂く代わりと言っては何なのですが」
「この
杉風の後ろに控えていた曾良が頭を下げる。杉山杉風は豪商である。今、杉風の奥屋敷に三人の男が座している。
「もともと曾良はわたしと同じ、芭蕉さまの弟子ですからな」杉風が言い含めるように言う。
「しかし、すでに八十村くんと旅のスケジュールを調整し終わったばかりでして」
「先生。そこをなんとかお願いしたいのですよ。それに、これは幕府の依頼でもあるのです」
「どういうことでしょうか」
「旅をしながら、伊達藩に謀反の疑いがないか偵察していただきたい」
「ええ。本当ですか?」
「幕府は先生を隠れ忍者だと思っているのです」
「いえいえいえ。わたしはただ単に三重県伊賀市の出身というだけのこと・・・・・・勘違いするにもほどがあります」
「そう思わせておけば都合がいいじゃありませんか。幕府からも援助が得られますよ。偵察といっても、周りの町人や農民たちに伊達家の噂話を聞いて報告していただければそれで良いのです」
「しかし」
「それにこの曾良が、事前に行く先々の有力者に先生の宣伝をいたします。その土地土地で名物など、ご馳走にもありつけますぞ。おいしい料理は旅をいっそう盛り立ててくれるのはご存知ですよね。それに夜は遊女を当てがうことだって・・・・・・ねえ」
おもわず芭蕉は生唾を飲み込んだのであった。
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「とうとう旅に出ることにしたよ」
女の家である。女の名前は
「あら、まさか女人と一緒じゃないでしょうね」
「ないない。河合曾良という若い俳人と一緒だよ。女っ気なんてこれっぽっちもありはしない」
「まあいいわ。でもいつか戻って来れるんでしょう。どのぐらい行ってくるの?」
「半年ぐらいだな」
「それじゃあ、旅費がたいへんね」
「100万両ぐらいかかるかな。まあなんとかなるさ。スポンサーの杉山殿が融通してくれるよ」
寿貞は芭蕉の首に手を回した。
「ふうん。じゃあ今生のお別れかもしれないわね」
(この当時の旅は命がけだったのである)
「そうだな」
そのあと、お互いの唇がそれ以上の言葉をかき消した。
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人生は旅である。芭蕉は常々そう思っていた。
松尾芭蕉は45歳になっていた。この年は西行の500回忌にあたる。西行の
「紀行文を書こうと思っているのだが」と芭蕉が言う。
曾良は芭蕉の顔を見た。
「紀行文ですか。旅本ですね。題名は決まっているんですか?」
「うん。『奥の細道』ってのはどうかな」
「なかなかいいじゃないですか。でも紀行文はちょっとつまらないですね。草双紙(エンターテイメント)で行ったらどうですか」
「どんな感じの」
「小説ですよ。読んだひとが感動するような。歩くのが大変だとか、宿がみつからなくて野宿しただとか。もっとも豪遊したなんて書いたりしちゃだめですよ。読者の反感を買うだけです。炎上してもつまらない」
「ふん。そんなものかね」
「そんなものですよ」
山形の
“
結構いけそうだ。
最上川の濁流を見て、
“五月雨さみだれをあつめて涼し最上川”と詠んだ。ただし、本にするときには"涼し"を“速し”に変更した。
次に岩手の平泉町に到着した。源義経が派手に戦をした場所とは思えない。草が茫々ぼうぼうに広がる平地だった。
"夏草や兵つわものどもが夢の跡"と一句詠んだ。
旅の途中で新潟の夜の海を眺める。そこで一句。
"荒海は佐渡によこたふ天河あまのがわ"
我ながらなかなかの名句である。旅は順調に進んでいた。
伊達藩の調査報告書は、行く先々で伝達者に渡した。その時に旅費の補充もしたのだった。
『奥の細道』は大評判となった。もちろん毎晩のように繰り返えされた饗宴の内容を掲載することはしなかった。
ただ"一つ家に遊女も寝たり萩と月"という句は余分であったかもしれない。
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東北旅行の5年後、松尾芭蕉は病に倒れた。長期に渡る旅の疲れが出たのであろう。どうやら潰瘍性大腸炎を患ったらしい。息を引き取った場所は大阪御堂筋の
一生涯旅の空の下で過ごし、野の上で死ぬことを覚悟していた身であるにもかかわらず、布団の上で死ぬことはなんと幸福な人生なのだろうと語った。
そして生涯、旅を愛して続けてきた芭蕉は、死の直前に次の辞世の句を詠んでいる。
"旅に病んで夢は枯野を駆け廻めぐる"
享年51歳であった。
しかるに、このときの亡骸が、忍者松尾芭蕉の変わり身の術であったとは誰ひとり知る由もなかった。
彼はだれにも邪魔されることなく、その後もひとりで悠々と旅を続けたのだ。忍者芭蕉の句は、あの空に向かって今でも旅を続けている。