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殿中でござる!

「どうしたんだい。そんな浮かない顔をして」

 歴史の教授がゼミの生徒に声をかけてきた。気さくな先生だった。

「あ、先生。実はまた就職試験に落ちまして。これでもう10社目なんです。泣きたくなりますよ」

 先生はふっと目で笑った。

「不採用になった会社が10社や20社あったからって、気になんかしちゃいけないよ。それで命まで取られるわけじゃあるまいし」

「でも先生」

「じゃあコーヒーでも飲みながらいい話をしてあげようか。ここにかけたまえ」

 先生は生徒を椅子に座らせるとコーヒーを淹れはじめた。

「忠臣蔵の話は知っているだろう」

「はあ。だいたいは。年末によく劇とかでやる討ち入りの話ですよね」

「あの赤穂浪士の事件には2つの不可解な謎があってね」

「不可解な謎ですか」

「そうなんだ。そのうちの一つは、当時としては喧嘩両成敗が通例であったにもかかわらず、片方だけが処罰されたこと」

 先生は生徒に淹れ立てのコーヒーを渡した。

「そしてもう一つは討ち入りに参加した浪士たちが、主君のかたきを討つという行為が、どうして親族の仇討あだうちと同じように扱われると思ったかなんだ」

「違うんですか?」

「うん。きみだって会社の社長が誰かに殺されたとして、その仇を打とうとは思わないだろう」

「確かにそうですね」


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「殿中でござる!」

 たび重なる吉良上野介きらこうずけのすけの無礼な振る舞いに対し、浅野内匠頭あさのたくみのかみの堪忍袋の緒が切れた。なんと小刀で斬りかかってしまったのだ。

 その事件は、江戸城にて五代将軍徳川綱吉が、朝廷(天皇)の使者を接待しているときに起こった。ふたりはその接待の役を仰せつかっていたのである。

 そのうちの吉良上野介(61歳)は代々名門の家柄で、幕府の儀式や典礼の礼儀作法を指南する要職にあった。そして吉良は高慢で陰湿極まりない老人だった。かたや浅野内匠頭(35歳)はと言えば、実直でまじめな田舎大名であった。

 浅野が吉良に対して付け届けの賄賂を渡していなかったため、ことある毎に吉良は浅野を虐め、蔑み、わざと間違った作法を教えては周囲に恥をかかせて失笑したのが刃傷沙汰になった原因である。


 江戸城本丸の大広間から白書院へとつながる松之大廊下でふたりはすれ違った。「・・・・・・」すれ違いざまに吉良が浅野に声をひそめて何かをささやいた。

 連日の接待で意識が朦朧もうろうとしていた浅野は、火がついたようにカッと目を見開き、気がついたときには小刀を抜いていた。

「おのれ吉良上野介!」

 小刀は振り向きざまに吉良の眉間をかすめ、烏帽子えぼしの金具に小刀が当たり大きな音をたてた。そして吉良が驚いて逃げるところをさらに追いかけ、背中に向けて2度斬りつけた。

「浅野殿。お控えくだされ。ここは将軍のお膝元でありますぞ!」

 浅野は近くに居合わせた旗本の梶川に取り押さえられた。


 その一報を得た徳川綱吉は怒り狂った。

「浅野内匠頭に即刻切腹を申し伝えよ。さらに領地は没収、赤穂浅野家には取り潰しの処分を下すのじゃ」

「はは。して、吉良殿はいかがいたしましょう」老中が訊ねた。

 綱吉は一瞬言葉を詰まらせた。

「・・・・・・吉良は刀を抜いておらぬそうではないか。お咎めはなしでよかろう」

 喧嘩両成敗の法に照らせば、吉良もなんらかの処分は免れなかったであろう。

 この裁定に対し、世間では疑問視する者も多かったという。吉良が徳川家の親戚筋であったことが幸いした可能性が高いのだ。


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 赤穂藩の5万3千人は一夜にして路頭に迷うことになった。


 当初、筆頭家老の大石内蔵助おおいしくらのすけは切腹した当主の弟、浅野大学あさのだいがくを立ててお家再興することを目指していた。

 にもかかわらず、幕府の指示により赤穂城には別の大名が入り、城主だった浅野大学は赤穂から広島の本家預かりへと処分が決まってしまう。つまりこの時点で大石が描いたお家再興の夢は潰ついえてしまったのだ。


 吉良家にも動きがあった。

 それまでの呉服橋、今で言う東京駅のそばにあった屋敷から、隅田川を渡った松坂町へ屋敷を移転させられた。これにより吉良家は江戸城外に放出された形となったのだ。


「こうなると、われらの生きる道は仇討しかありませんな」

 大石内蔵助が会議で言った。

「大石さま。そもそも親兄弟の仇討ちならば合法とされておりますが、主従関係においてもそれが適用されるものでしょうか」

 旗本のひとりが疑問を呈した。

「うむ。そこはなんとも言えぬところだ」大石は腕を組んだ。

「世間では今か今かと浅野家がいつ吉良家に討ち入るのかと噂していると聞く。世論はわれらの当主の仇討ちの後押しをしてくれているのだ。幕府もそちらに傾く可能性がないわけではない」

「つまり」別の旗本が言った。「みごと吉良の首を獲ることができれば、どこぞのお大名がわれらを召し抱えてくださる・・・・・・そういうことでしょうか」

「そうだ。だめでもともと。ここは盛大に討ち入りを成功させて世間に大いにアピールすべきであろう」

「わかった」また別の侍が言った。「その代わりひとりだけ目立つのは御法度にしましょうよ。常にグループ全体が主役ということで」

 大石が立ち上がった。

「よし決まった。われらの表向きの目的は主君の仇討ち。そして裏の目的は新たな武家に仕えて生活の安定を図ることだ」


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 12月14日の夜も明けきらぬ早朝4時。

 大石たち46人の赤穂浪士たちは、一見消防士に見えるように黒の小袖を着て、表門と裏門から吉良邸へと突入して行った。

 表門から突入した大石隊は仇討ちの口上書を入れた文箱を玄関の前に立て、裏門隊は「火事だ!」と騒ぎ立てて吉良の家臣を混乱させた。

 赤穂浪士は吉良の家来を瞬く間に制圧し、広大な吉良低の中を1時間ほど探索して、ようやく炭小屋に隠れていた寝間着姿の吉良上野介の姿を発見。引きずり出して首を刎ねたという。

 大石たちは主君の墓前に吉良の首を供え、逃げ隠れせずに公儀の沙汰を待つことにした。

 これには将軍綱吉もたいそう感服したが、幕府は罪人の仇討ちは違法であり個人の利益を優先した行動と判断。全員に切腹の命を下した。


「やっぱりな」という顔をして大石内蔵助は肩を落とした。

「話が違うではないか」とほかの浪士の誰もがそう思ったが、切腹自体は当時の武士にとっては名誉の死であったから、異議を申し立てる者はひとりもいなかったという。


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「結局かれらの命を張った再就職活動は失敗に終わったのさ」と教授は言った。

「江戸時代に生まれなくて良かったです」

 生徒はコーヒーを飲みほし、ほっと一息ついた。

「でも彼らの行動はまれに見る美談として、今でも人々の心の中に脈々と生き続けている。だからきみもくじけず就職活動を頑張りたまえ。どうだね、中部電力でも受けてみたら」

「先生それは殿中じゃなくて、チュウデンでござる」

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