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茶室

「私は自分の一族の歴史について何も知らない。私ほど知らない人間はいない。親戚がいることすら知らなかった。私は民族共同体にのみ属している。自分が誰か、どこから来たか、どの一族から生まれたか、それを人々は知ってはいけないのだ!」

 立ち上がったその男の両眼に、みるみるうちに真っ赤な憎悪の炎が燃え上がった。


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 畳の敷き方には2種類ある。『祝儀敷しゅくぎじき』と『不祝儀敷ふしゅくぎじき』がそれである。


 不祝儀敷きは畳の角が十字に重なる敷き方である。これはお寺や葬儀のときの敷き方だ。ただし、キリスト教信者にとってはおそらくこの敷き方の方が神を間近に感じるに違いない。

 片や祝儀敷きは祝い事に使われる敷き方だ。畳の角は、巧妙にずらされて敷かれている。もちろんただ無造作に敷かれている訳ではない。そこには一定のルールが存在するのだ。


 畳の目は長い辺から長い辺に向かって一直線に伸びている。人の移動線にそって畳を配置することが肝要なのだ。たとえば、床の間。客人が飾られた掛け軸を愛でるためににじり寄りやすいよう、目は床の間に向かっているのだ。それは出入口も同じである。それによって畳が擦り切れず、長持ちするよう先人の知恵なのである。


 さて、四畳半についてはどうであろう。畳4枚と、半分の畳1枚の敷き方である。半畳の位置は北東の鬼門に配置するのは縁起が悪いとされている。こと茶室においては、半畳は部屋の真ん中に配するのが普通である。

 ただし畳を左回りに配置してはならない。左回りは“切腹の間”といわれて忌み嫌われる。武士が切腹をした後の片付けに、真ん中の半畳を替えるだけで済むからである。なので茶室は、半畳の回りに右回りで畳を配置するのである。


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千利休せんのりきゅうを切腹に処す」

 豊臣秀吉にとって千利休は自身の側近であったと同時に茶道の師匠でもあった。

「それはあまりに・・・・・・」家臣の石田三成が驚いて秀吉をいさめようとした。「上様。利休は武士ではござりません。いわば町人。切腹というのはいかがなものかと」

 秀吉が三成を見る。

「三成よ。わしとて本心ではないわ」

「しからば」

 三成は秀吉を仰ぎ見た。

「ただの脅しよ。利休が恐れをなして詫びてくれば許してやるつもりだ。最近どうも利休は自分の力を過信しているようなのでな」

「さすが上様。それとなく利休に改心を促して参ります」と言って三成は席を辞した。

 秀吉は三成の後ろ姿をぼんやりと見つめていた。

「千利休か・・・・・・。うまく詫びを入れてくれるといいが」


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「利休殿。ですからひと言、詫びを入れればよろしいではございませんか」

「何も言うことはありません。詫びれば全てを認めたことになります。さ、ご一服どうぞ」

 利休は三成の使者に茶をすすめるのだった。

「大徳寺山門の改修で、楼門に利休殿の木像を設置したことですが、あれは多額の寄付のお礼に寺の住職が建立こんりゅうしただけのことでありましょう」

「あの木像に雪駄を履かせていたのが災いしたようですね。門をくぐる上様の頭を踏みつけるつもりかという言いがかりをつけられてしまいました」

「それならば住職を罰せればいいこと。利休殿には関係ないことでしょう」

「茶道の考え方の相違もありました。金の茶室を作るようなお方と、わたしの質素なわび茶道は相反するにもほどがありますからね。どちらにしましても、わたしに詫びるつもりはございませんよ」

 身長180センチもある長身の利休が立ちあがった。使者はふと思った。もしや小兵な上様が利休のこの体躯に劣等感を抱かれたのではないのか。

「最後に、内密にわたしの願いを叶えてくださいませんか?」利休は静かに使者に伝えた。「せめて切腹の間ではなく、茶室で最期をむかえさせてもらいたいのです・・・・・・」


 1592年4月21日。利休の切腹は、京都の聚楽屋敷内の4畳半で執り行われた。利休の両目に最後に映ったものは、左回りの切腹の間ではなかった。畳が右回りの茶室であった。

 それは逆卍の形をしていた。

 利休の首は、外された大徳寺の利休像に頭を踏みつけられるような恰好でさらし者にされたという。


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 それから298年の時を経て、ドイツにひとりの男の子が生まれた。1889年4月20日のことである。彼は頭脳明晰ではあったが、なぜか生まれながらにして人間を憎んでいた。

 そして脳裏にはいつもある形が浮かんでいた。そう、それは逆卍型の形をしていた。

 ナチスの紋章“ハーケンクロイツ”だったのだ!

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