もろもろ片付けて、ネッドがサンフランシスコから去ったその翌日。今度はリックとミゲル、そしてエミリオが探偵事務所に顔をだした。
エミリオは救出されたあと、検査や点滴などで四日間だけ入院していたが、躰のどこにも怪我や異常はなく、もうすっかり元気だという。とはいえ殺人を目撃し、その殺人犯に車のトランクに詰めこまれ四肢を縛られて監禁されるなど、約一ヶ月半も怖ろしい状況に置かれていたのだ。しばらくは精神面のケアのため、カウンセリングを受けなければならないだろう。もっとも、本人はまったく平気だと云っているようだが。
「よく来たな。エミリオ、どうだ調子は」
「うん、ぜんぜん問題ないよ。……っていうかさ、以前より親が優しいっていうか、まともに僕の話を聞いてくれるんで、なんだかこそばゆくって」
サムは声をあげて笑った。
「いいじゃないか。親だって、未熟なひとりの人間なんだよ。知らなかったこともわからないことも、いろいろあるんだ。おまえの両親は自分の考え違いに気づいて、きっと反省したんだ。素直に喜んどけ」
ミゲルは入ってくるなり「ジョンは?」と云って、奥のキッチンまで走っていった。サムはその後をついていき、「7UPでいいかな。ほらミゲル、二本持って」と缶飲料を冷蔵庫から四本出した。裏庭にいたジョンも
応接室に戻ると、リックとエミリオはサムに近況を聞かせてくれた。
エミリオは、トカゲのフローレンスが死んでしまったのはショックだったが、爬虫類などが苦手な母も姉もまた飼えばいいと云ってくれたと話した。その気持ちが嬉しく、もしも次に買うならふつうに犬か、でなければモルモットかハムスターにしようと思っているそうだ。
リックは変わらずトリニティの店『カプリッチオ』で、仕事をがんばっているという。勤務時間は開店前の掃除や準備をする夕方四時から十一時までの七時間。十一時頃はいちばん客が多く忙しいのだが、零時になる前にあがれとトリニティは煩いそうだ。
「俺さ、もっと働くよって云ったんだよ。そしたらトリニティは、真夜中過ぎは絶対にだめって……」
リックは怪訝そうに云った。「零時を過ぎてからって、いったいなにがあるんだろ」
「さてな。俺もそんな時間まではあの店にいたことがないんだ。……トリニティの忠告に従ってな」
サムのその言葉に、エミリオが指を鳴らしてすかさず反応する。
「わかったぁ! きっとゲイ向けの過激なショーやってるんだ……ねえ、ちょっと興味ない? 今度潜りこもうよ」
「えっ……いや、俺はやめとく。トリニティには絶対逆らわないって決めてんだ」
「リックが正しい」
「えー」
ソファの脇でミゲルはジョンにボールを転がしたり、撫でたりとべったりだ。リックとエミリオは近況のあと、初めて入ったサンフランシスコ市警本部や、自分たちの親のことなどいろいろと話していた。
そして、ふと話題が途切れたとき、リックが云った。
「ねえサム。依頼料、ほんとに払わなくていいの? 俺、トリニティから充分過ぎる給料もらってるし、ちゃんと払えるよ?」
サムはふっと笑みを浮かべ、首を横に振った。
「とんでもない。おまえがエミリオのことを話してくれたから、連続殺人犯ふたりを捕まえることができたんだ。依頼料どころか、FBIから報奨金をもらってもいいくらいだ」
「じゃあさ、せめてランチを奢らせてよ。サムには何度も旨いもの食わせてもらったし、お返しだよ」
「賛成ー! 僕もちょうどお腹が減ってたんだ。サム、行こうよ。一緒に美味しいもの食べよう」
しょうがないな、とサムは笑って腰をあげた。ミゲルにジョンは留守番だと云い、廊下の奥のダイニングルームにジョンを連れていってドアを閉める。そしてエントランスまで来ると、サムはポケットに手をやって「しまった。車のキーを忘れた」と立ち止まった。
「リック、すまん。デスクの上だ、取ってきてくれ」
「オッケー」
何故かエミリオも肩を並べてついていき――程無く、「サム、ここにある写真って?」とリックの声が聞こえた。
オフィスを覗くと、リックとエミリオがデスクのフォトフレームをじっと見つめていた。サムは「ああ、それは……昔、家族と撮った写真だ」と簡単に答えた。
「じゃあ、この一緒に写ってるのは奥さんと……息子?」
「そうだ。……もう、ずっと会ってないがな」
それきりなにも云わず、リックとエミリオは探偵事務所を出、サムと車に乗りこんだ。
――それから、さらに二日後のことだった。
かちゃりとドアが開いたと思ったら、リックがまた訪ねてきた。時計を見ると十一時前だった。サムはもうランチはいいぞと思いながら「なんだ、なにかあったのか?」と尋ねた。
「ううん、そうじゃないんだけど……サム、ここの
意外な言葉に、サムは少し迷いながら頷いた。
今度は探偵助手の募集をかけようと思っていたが、まだ新聞社には依頼していなかった。まあでも、ただ住んでくれるだけでもいないよりはありがたい。サムは椅子から立ち、エントランスから顔をだしているリックに歩み寄った。
「ああ、まだ部屋は空いてる。……誰か、住みたいって人がいるのか?」
「うん、いきなりだけど連れてきた」
リックはそう云って、一歩下がってドアを大きく開けた。
その陰から、二十代後半か三十くらいに見える男が姿を見せた。タイトなグレーのジーンズに幾何学模様のシャツ、だらりと下げたネックレス。そして肩まで伸ばした髪、優しげな面差し。そう、アイリーンにそっくりな――
「……!」
サムはふらふらと廊下を進んだあと、かくんとその場に膝をつき、両手で顔を覆った。自分の目を疑った。もう一度しっかりと顔を見たかった。だが、この手を除けて再び目を開けたら、もうそこには誰もいないのではないか――そんなことを思っていると、そっと肩に手が置かれた。
「父さん」
はっきりと聞こえたその声。躰が、心が震えた。この日を、この瞬間をどれほど待ち望んでいたことか。指のあいだを熱い雫が伝う。胸の奥から込みあげてくる喜び、そして、ずっと抱え続けた後悔。
「ショーン……! すまない、本当にすまなかった……! ゆるしてくれ、俺は、俺はおまえに酷いことを――」
「父さん、なにも云わなくていいよ。謝る必要もない。リックとエミリオからいろいろ聞いたよ。トリニティも父さんのことを話してくれた。……初めは驚いたけどね、嬉しかった」
サムは涙に濡れた顔をあげた。
「リックに……、それに、トリニティも知ってるのか。おまえ、知り合いだったのか……?」
ショーンはおどけたように笑い、肩を竦めた。
「俺らのコミュニティだもん。みんな仲間さ」
――間違っていなかった。ショーンはやはり、サマー・オブ・ラヴのあの頃からずっと、此処サンフランシスコに居場所をみつけていたのだ。
サムは何度も何度も頷き、その腕をとりすっかり成長した息子を抱きしめようとした。
立ちあがり、その背中に両手をまわす。だが自分より少し背が高く、鍛えられた体格の息子に、サムのほうが抱きとめられたような心地になった。喜びの涙が止まらないサムの背中を、大きくなった手がぽんぽんと叩く。
もう息子は、ショーンは十七歳の少年ではない。酷い言葉で自分を傷つけた人間を、古い価値観に凝り固まっていた無知で愚かな父親を赦せる度量を持った、立派なおとななのだ。
「……で、部屋はまだ空いてる?」
「空いてるとも……! 探偵助手も募集中だ」
すごい、それは楽しそうだと、サムはショーンが笑った声を聞いた。