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scene 27. 急がば廻れ

 〝ホール・オブ・ジャスティス〟内にある捜査本部で、ヴァーノンはひとりでコーヒー――ここに備え付けのものではなく、ドーナツと一緒に外で買ってきた――を飲んでいた。

 そこへ、かつかつと靴音を響かせてボズウェルが入ってきた。彼女は中に入るなり、のんびりとドーナツなど食べているヴァーノンを見て、訝しげに尋ねた。

「ひとりなの? キャラハンたちは?」

「ノックスヴィルだ」

 その答えに、ボズウェルは眉根を寄せ、呆れたように両手を腰に当てた。

「管轄署に任せれば早いのに、わざわざ行ったの?」

「自分の目で見てこそわかることがある……って、サムがな。安心しろ、移動中に睡眠をとるって云ってたから、時間的に無駄なことはない」

 ここサンフランシスコからノックスヴィルまでは、飛行機を乗り継いで六時間以上かかる。だが、一刻も早く事件を解決したいのは我々FBIよりも、殺人を目撃した可能性がある少年を捜しているサムのほうだ。そのサムが、移動に半日以上ををかけてでも自らが手掛かりを探したほうが早いし、確実だと判断した。それは正しいと、ヴァーノンも止めはしなかった。

「まったく……当然のことだけど、あの探偵のぶんまでは経費で落ちないからね、そう云っておいて」

 理解できないと云いたげな表情のボズウェルを無視し、ヴァーノンは小さくなったドーナツを口に放りこみ、指についたチョコレートを舐めた。




       * * *




「――鉄道ファンなんすね。これ、ぜんぶ自分で撮った写真なのかな」

「だろうな。クローゼットに古いカメラバッグがあった。中はからだったが」

 ノックスヴィルにあるジェイコブズの自宅で、サムとネッドは一週間の休暇をどこで過ごしたかの手掛かりを探していた。町外れにある平屋造りの家の中は、いかにも男の独り暮らしといった散らかり具合だった。

 壁のあちこちには蒸気機関車など、鉄道の写真を引き伸ばしたパネルが飾られていた。部屋の片隅には〈Railfan Magazineレイルファン マガジン〉が積んであり、テーブルの上には〈|Railfan & Railroad《レイルファン アンド レイルロード》〉と誌名が変わった最新号が置きっぱなしになっている。

 鉄道模型などが収められたキャビネットの上には、形も大きさも様々なフォトフレームが並んでいた。そのなかに、眩しい笑顔を見せている二十歳くらいの女性の写真も飾られていた――サムとネッドも見憶えのあるそのブルネットの女性は、〝魅惑の殺人鬼The Fascinating Killer〟による連続殺人事件の、三十五人めの被害者である。

 他に、二十歳くらいの青年と、十四、五歳に見える少年が写っている写真もあった。おそらくジェイコブズ本人と、たったひとりの肉親である弟だろう。


 ここノックスヴィルに着いて、デヴィッド・ジェイコブズについて調べて初めにわかったのは、彼の生い立ちであった。

 ジェイコブズは孤児で、ロビーという六歳下の弟と一緒に施設で育っていた。成長し、ハイスクールを出るとジェイコブズはすぐ知人の紹介で配管工として働き始めている。勤め先は何度か変わっているが、真面目な人柄と仕事の速さに定評があり、特に問題を起こしたこともないらしい。

 恋人とのあいだに子供ができ、ロビーが結婚したのを機に、仲の良い兄弟たちは居を別にしていた。ジェイコブズも恋人のメラニー・ステイプルトンが大学をえるのを待って、結婚するはずだったという。

 サムは事件当時のことを思いだしていた。だが、メラニーの両親と話したのは記憶にあるが、ジェイコブズと顔を合わせた覚えはなかった。メラニーの両親がジェイコブズに連絡しなかったのか、それとも、最愛の婚約者との幸せな未来が奪われたという現実を直視できず、遺体と対面にすら来られなかったのかもしれない。


「……婚約者も、鉄道が好きだったのかもしれんな」

 サムはキャビネットの下の棚にあったアルバムを捲り、一枚の写真を指してみせた。パーテーションロープの張られた蒸気機関車の前で、ジェイコブズとメラニーが満面の笑みを浮かべている。それを見て、ネッドも頷いた。

「鉄道ファンっていうとやっぱりマニアックな男のイメージですけど、女性にもいたっておかしくないですよね。最初は興味なくっても、だんだん感化されたりとか」

「だな。……けっこう新しい写真もある。ジェイコブズは偶に休暇をとっては、あちこちの鉄道博物館をまわってたようだな」

 サムはアルバムの最初のページを捲った。何ページか進むと、鉄道車両の写真と一緒にチケットが貼ってあった。テネシーヴァレー鉄道博物館――チャタヌーガにあるらしい鉄道博物館の半券の下には日付と、『運命の日』と書かれたメモが添えられている。

「……どうやらメラニーも、もともと鉄道が好きだったようだ。ふたりが出逢ったのが、このテネシーヴァレー鉄道博物館らしい」

 サムは思った。もしもソガードに殺害されることなく今もメラニーが生きていたら、可愛い子供も一緒に連れて鉄道を見に出かけたりしていたのだろう。まだ赤ん坊の我が子に機関車のおもちゃを買ってきて、母親になったばかりの愛する妻にまだ早いわと呆れられたり――そんな光景が容易に頭に浮かぶ。

「――サム! サム、これ見てください!」

 ネッドの声にはっとして、サムは顔をあげた。キッチンでなにかみつけたらしい。早く来いと目で訴えているネッドのほうへ近づくと、彼は冷蔵庫の扉に貼られているカレンダーを指し、興奮気味に云った。

「予定らしいものが書きこまれてます。ほらここ、四月二十四日にも」

 四月二十四日。アナハイムで三件めの犯行があった日である。サムはそのマス目の中に書かれている『BAL at CAL』という文字をひと目見て「でかしたぞネッド……!」と肩を叩いた。

「これってメジャーリーグのことっすよね?」

「ああ、ボルチモア・オリオールズがアナハイムスタジアムでカリフォルニア・エンゼルス*と対戦するってことだ……。一週間の休暇だ、これだけが目当てじゃないだろうが、奴が犯行現場の近くにいたのは間違いない。急いで裏を取りに行こう」

「ヴァーノンにも連絡っすね」

 もう用は済んだと荒れた部屋を横切りながら、サムはテーブルの上の鉄道雑誌をふと見やった。

「ネッド。西部のほうにも鉄道博物館があるかどうか、知ってるか?」

「いやー、俺そっちには趣味がなくって……調べないと」

「そうだな」

 おそらくあるだろうな、とサムは思った。ここに、特に野球が好きらしいようなものはなにもなかった。休暇の目的は鉄道博物館で、ついでに野球観戦もと予定を立てたのだろう。

 最愛の婚約者を喪うという悲劇に見舞われたが、ジェイコブズはその後ショックから立ち直り、それなりに人生を楽しむこともできていたのだ。少なくとも、そう努めてはいた。それが偶々、殺人現場を目撃したことで狂ってしまった――それは、サムには不運としか思えないが、ジェイコブズ本人にはなにかの啓示のように感じられたのかもしれない。

 とにかくアナハイムで裏取りをして、早くサンフランシスコに戻らなければならない。あと少し。もうじきだと手応えを感じながらサムは、生きていてくれと目に焼きつけたエミリオの写真の顔を思い浮かべた。





「――状況証拠ばかりだが、もう間違いない。ジェイコブズは四月二十四日、アナハイムの現場近くにあるホテルに宿泊してた。翌日の二十五日も連泊で予約を入れていたのに、その日キャンセルして朝一番にチェックアウトしてる」

「一睡もしてないみたいに顔色が悪くて、おまけに落ち着きもなかったんでよく憶えてるってフロントマネージャーが話してくれた。これでビンゴじゃなかったら裸でこの建物を一周してもいい」

 ネッドの言葉に、ヴァーノンとサムは揃って苦虫を噛み潰したような顔をした。

「〝ホール・オブ・ジャスティス〟の周りを素っ裸で?」

「やめとけ」

「いや、絶対外れてない自信があるって意味ですって!」

 そしてチームはエイブラムスの共犯である容疑者をジェイコブズひとりに絞り、サンフランシスコでの捜索を開始することにした。ボズウェルをはじめチームの皆が一斉に椅子から立ち、捜査本部を出ていく。

 サムとネッドも引き続きふたりでジェイコブズの足取りを追おうと、閉まりかけたドアに手をかけた。――と、不意にヴァーノンに呼び止められた。

「そういえば、ノックスヴィルのジェイコブズの雇い主から、奴が未払い分を郵送するか、口座に振り込んでもらえないかと云ってきたのを思いだしたと連絡があったそうだ」

「いつ?」

「連絡があったのは昨日、ジェイコブズから電話があったのは辞めるって云ってきた二日後だったそうだ。人手が足りなくなって、てんてこ舞いだったんですっかり忘れていたと」

「それで? 送り先を伝えてきた?」

 ネッドが期待を込めた声で尋ねたが、ヴァーノンは首を振った。

「いや。残念ながら、そのときは忙しくて、ふざけるな取りに来いと云って電話を叩き切ったそうだ」

 ふむふむ、とサムは顎を撫でた。

「そりゃあいい。よし、ネッド。ランチを買って事務所に戻ろう」

「了解。今日はなにがいいっすかね」

「おい、今度はなにをやる気……いや、待て。考える。当ててみせる」

 そう云って指を立て、ヴァーノンは首を捻った。その様子に、ネッドが楽しげに云う。

「俺もまだ具体的にはわかってないけど……サムはたぶん、ジェイコブズは予定外にを伸ばすことになって、金が尽きそうになってるってところに注目したんだ。――ですよね?」

 サムは満足そうに、にっと笑みを浮かべた。ヴァーノンがあぁ、となにかが閃いたように口を開け、考えながら言葉を押しだす。

「……この二ヶ月ちょっとのあいだに起こった強盗Store robberyとか?」

 しかし、サムの答えはノーだった。

「いいや、ジェイコブズは基本的に真面目な性格だ。本来の目的を果たせなくなるリスクのあることはせんだろう」

「……ってことは」

 サムは頷いた。

「古新聞を引っ張りだして、配管工の求人広告を探す。日払い可で、空き家の修理をしてるようなところがあれば、ジェイコブズにはお誂え向きだろうな」

 なにをするにも人間、食べることと寝る場所は必要だ。そして、そのためには金が要る。

 配管工は、どの地域でも同様に引く手数多な需要の多い仕事である。サムは、下宿人募集の広告を確認したときも確か載っていたなと思いだしながら、ネッドと肩を並べて本部を後にした。









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※ カリフォルニア・エンゼルス・・・現在のロサンゼルス・エンゼルス。

 一九六一年からロサンゼルス・エンゼルスであったチーム名は、一九六五年九月にカリフォルニア・エンゼルスに変更、その後一九九七年からはアナハイム・エンゼルス、二〇〇五年からロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム、そして再び二〇一六年にロサンゼルス・エンゼルスに戻って現在に至る。

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