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scene 16. 切り口

 夜通し事件について話した翌朝。サムとネッドは早朝でまだ人が少ないうちに、現場を見てこようと身支度を整えた。

 日頃、スーツを着る必要などほとんどないのだが、いろいろと都合が好いのでサムは仕事中、大抵スーツ姿だった。シャツにタイ、上着の下にはホルスター。サムはホルスターにS&Wスミス アンド ウェッソン M36*¹を、ベルトにつけたポーチには予備弾をセットしたスピードストリップ*²を四個、計二十五発分を、常に装備していた。

 銃を使うことは滅多にないが、使う場面に遭遇したときは二十五発などあっという間だ。この重みは適度な緊張感と安堵感を同時に与えてくれる御守のようなものでもある。しかも今回は、猫捜しや浮気調査ではない。追う相手は、目撃者を拉致したかもしれない連続殺人犯だ。サムは充分に手入れした銃と弾薬の重みを確かめ、きりりと気を引き締めた。

 そうしてサムが出かける準備を終え、ジョンの首輪にリードを取りつけたとき。ちょうど二階からネッドも下りてきた。ふわぁと欠伸をしながら、上着に片袖だけ通して口許に手を当てている。

「おまえはまだ二時間ほどは寝たはずだがな」

「二時間しかでしょ……いや、大丈夫っす。外に出れば目が覚めます。それよりも腹が減って死にそうです」

 もう一方の袖を通して襟を正しながらネッドが云う。ふたりだけの捜査会議が一段落した明け方五時、とりあえずあるものでと、コンコードグレープのジェリーとピーナツバターを挟んだサンドウィッチPB&Jを食べはしたのだが、ネッドはそれだけでは足りずかえって空腹感が増したのだと云う。

「もう少し辛抱しろ。いま食うと今度は眠気が襲ってくるぞ」

「うへぇ、了解っす。堪えます」

 ジョンのリードをネッドに持たせ、サムは先に出たネッドの背後でドアを施錠していた。そのとき。

「サム」

「うん?」

「誰か来ましたよ」

 ネッドに云われ、サムはこんな朝早くから誰が? と振り向いた。目が合ったその人物を見て、おっと、すっかり忘れていたと頭を掻く。

「おい貴様! このクソ探偵野郎が、いったいなにをしてくれたんだ!」

 つかつかと階段を上がってきたのは、浮気調査を依頼したレイノルズだった。きちんとスーツを着こんでいるが、怒りで顔を真っ赤にして口汚く罵っているその様子はまるで街の破落戸ごろつきだ。

 サムはまったく普段どおりの平静な表情で、「おやレイノルズさん、おはようございます。どうされました、こんな朝早くに」と首を傾げてみせた。

「どうしたもこうしたもない! 貴様、妻にいったいなにを吹きこみやがった! まさかあの写真を撮ったのも貴様か!? どうしてくれるんだ、ていよく追いだすはずが、財産を半分持っていかれそうなんだぞ、ありえない!!」

 男を雇って妻に浮気をさせ、それを撮らせて無一文で追いだすために探偵じぶんを利用しようなんて、そっちのほうがありえないとサムは思ったが――もちろんそんなことはおくびにもださない。

「財産を? 吹きこむとか追いだすとか、いったいなんのことです?」

「しらばっくれるな! くそぅ、人をなめやがって……俺がその気になりゃこんな探偵事務所、すぐにでも潰してやれるんだぞ!」

「なんだか聞き捨てなりませんね。それは脅迫?」

 ネッドがずいと前にでた。「なにか問題があるようですが、よければ自分が話を聞きますよ。場所を移して話しますか?」

 そう云ってネッドは上着をはだけ、内ポケットからバッジとIDのケースを取りだし、開いてみせた。大きく記されたFBIの三文字とちらりと覗かせた銃は、なによりも雄弁だ。

 レイノルズは途端に静かになり、後退ろうとして階段から足を踏み外しかけた。「おっと、気をつけて」とネッドが腕を掴んだが、それを振りほどいてさらに数段下りていく。

「……覚えてろよ!」

 そんな捨て台詞を残して去っていたレイノルズを見送りながら、ネッドが訊いた。

「何者ですかあれ。サム、いったいなにをやったんです?」

「ん? まあちょっと、片手落ちな仕事じゃいかんと思って、公正なサービスをな」

 惚けた顔でサムがそんなふうに答えると、ネッドは少し考え、こう云った。

「つまり、調査によって依頼人が不当に利益を得るのを見過ごせなくて、対象のほうにもなにかしらせた? 写真とか妻とかって云ってましたね……両方の浮気現場でも撮ったとか?」

 肩を並べて階段を下りながら、サムは呆れたような、感心したような複雑な表情でネッドを見た。

「……半分正解だ。スニッカーズでよけりゃ奢ってやる」





 サムはネッドと共に五件めの犯行現場に赴き、辺りの様子を実際に目で確認した。だが新たな発見はなにもなく、エミリオを連れ去ったであろう車の痕跡もみつからなかった。先日話を聞いた浮浪者にも再びなにか気づいたことはなかったかと尋ねたが、通りの向こうの路地までは意外と距離があり、悲鳴や助けを求める声などは聞いていないとのことだった。

 そのあと近いところから順に他の犯行現場も見てきたが、日が経っていることもあり、周囲の様子を把握するだけに留まった。しょうがない。サムは思った――既にサンフランシスコ市警察SFPDとFBIがやるべきことをやっている。新たにみつかる手掛かりなどそうそうないのは当然だ。

「チームの捜査のほうも進展はないし、どこから攻めるべきっすかね、これ」

 ネッドの声もどことなく弱気に響く。サムも幾度となく経験があった。じっくりと思いつく限りのことを調べても、もうそこから捜査が進展することはなく、お蔵入りへと向かうだけ――どんなに事件を解決する気でがむしゃらにやっても、なにも動かないということはある。そう、五年前に〝魅惑の殺人鬼The Fascinating Killer〟が犯行を止め、ビュロウが新たな被害者がでることを望んだときのように。

 しかし、サムはまた逆も知っていた。こんなふうに捜査が行き詰まったとき、頭を切り替え、まったく違う角度で見直してみたりすることで、事件解決への新たな道が拓けることを。根本を疑ってみる、枠外に置いていた細かな点に注目する、逆の観点から考える――方法はいろいろだ。ある方向からもう先に進めないのであれば、違う方向からアプローチしてみるしかない。

「模倣犯……」

「はい?」

 聞き返してきたネッドに顔を向け、サムは云った。

「なんでこの犯人は、今頃になって六年も前の事件の真似なんかを始めたんだ? なにかきっかけがあったんだとしたら、なんだと思う」

 オールズモビルのハンドルに凭れ、ネッドはうーんと考えこんだ。

「きっかけ……例の、〝魅惑の殺人鬼〟が生きて西へ移動してるって噂話とか?」

 そういえば、とサムはその話をしたときのことを思いだした。殺人鬼再び、なんて噂はてっきり連続殺人の記事がでてから広まったのかと思ったが、実は一連の事件が起こる二年も前から囁かれていたようだとネッドは云った。

 その噂は、『まるで映画スターのようにハンサムな金髪の男が、夜な夜な黒いマスタングに乗って獲物を探している』というものらしい。しかし、FBIも警察もソガードが犯行に使用したマスタングについては、公表していないのだ。

「噂を裏付けるような事件がどこかで起こったりはしてないんだろう?」

「念のため調べましたが、起こってないです。今回の連続殺人は、捜査中の七件以外にはないとみてます」

 煙草を取りだして火をつけ、サムは頷いた。

「しょせん噂話だ、いろいろと尾鰭はついているんだろうが……元になった一部は事実なのかもしれないな。金髪のハンサムがマスタングに乗っていた、って部分だけとか」

「それなら……たとえば、金髪のハンサムってところから誰かが、ひょっとしたらあの〝魅惑の殺人鬼〟かもしれないぞって冗談にしたのかも。で、それがそこから広まったってんなら、充分ありえますよね」

「その場合、マスタングってところはただの偶然の一致ってことになるがな。で、その噂を聞いた模倣犯がそれに乗ったかたちで犯行を始めた」

 深く煙を吸いこみ、サムは考えた。

 もし自分が、なにか大きな事件の犯行を真似ようとしたならどうするだろう――既に解決したとされている過去の事件。六時のニュースではもう視ることはない。TVで視るとしたら特集かなにかで採りあげられた場合だろう。それよりも新聞か雑誌を探すほうがいい。古い雑誌なら病院や床屋に置いてあるし、束で棄ててあるのを拾うことも可能だ。それに、新聞ならまめに棄てずに溜めて――否。半年一年の話ではない。六年だ。サムは灰が伸び火が近づくのもそのままに、じっと思考の海に潜りこんだ。

 事件について詳しく知りたいと思うなら……当時の記事を片っ端から読みたいと思ったら――

「図書館だ」

 弾かれたようにネッドに向き、サムは思いつくままに話した。「六年も前の犯行を模倣するのに、詳しく事件について調べようと思ったら、行く先は図書館しかない。きっと犯人は図書館で当時の新聞記事や、特集の組まれた雑誌を読み漁ったはずだ。賭けてもいい」

「またですか! 賭けませんよ、毎回賭けるところが堅すぎますよ、そんなの俺も乗るに決まってるじゃないっすか」

 ネッドは坐り直し、エンジンをかけた。「事件のあった地域の図書館を順に廻る必要がありますね。となるとラスベガス、ベイカーズフィールド、アナハイムにサンフランシスコ……俺らだけじゃ時間がかかりすぎる。局でリストアップして、チームと警察にもやらせましょう」

「いや、先ずはシティ内だけでいい。再現度が上がったのは、四件め以降の犯行だ」

「そうか、サンフランシスコ……! そういえば、プロファイリングについての講義を受けたときに聞きました。模倣犯は往々にして起こした犯罪が自分の手によるものだってアピールしたがるとか、自分をみつけてみろって挑発することがあるって……じゃ、ひょっとしたらサンフランシスコでの犯行が続いてるのは――」

 サムも、ネッドの言葉を聞きながら、思考の先にあったその答えを掴み取った。

「サンフランシスコの住民か、或いは、自分は今ここにいるぞと云いたいのかもしれない。まるで、鬼から隠れている子供が手を叩くようにな」

 ネッドは興奮気味に、繰り返し首を縦に振った。

「サンフランシスコ市内の図書館をリストアップ、五、六年前の新聞や雑誌を読んでいた利用者を探すようチームに話をします。もうぐだぐだ云わせません。おかしな対立してる場合じゃない。一刻も早く事件を解決しないと」

 そう云って、さっそく捜査本部を設置しているというサンフランシスコ市警本部のある〝ホール・オブ・ジャスティス*³〟へと向かうのかと思いきや――ネッドはブライアントストリートとはまるで反対の方向に向かって、車を走らせ始めた。

「どこへ行く?」

「気は逸りますが、本部に行く前に腹拵えさせてください。腹が減っては戦ができぬAn army marches on its stomach

 そう云ったネッドはさっきチョコレートバーを食べたはずだが、サムは五時にサンドウィッチを一切れ食べたきりだ。サムは後部座席でおとなしく寝そべっているジョンを振り返り、自分の食事はともかく、リックとミゲルのふたりのことを考えなければと気づいた。ここから捜査が進めば、夕飯時に帰ってなどいられないかもしれない。

「そうだな、じゃあ先にリックのアパートメントに寄ってくれ。ふたりを拾って一緒にメシを食って、そのあとカストロ地区へ向かおう。ジョンとリックたちのことをトリニティに頼んでみる」

「ああ、あのコンビーフハッシュの店で会った……了解です。じゃあついでにメシもカストロ通りで食いましょうよ。今日は俺、バターミルクパンケーキにします」

 既に事件のことより食べるほうに意識が向いているらしいネッドに、サムはまったくこいつは、妙にきれるくせにどこまで真面目なんだか……と、溜息をついた。









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※1 S&W M36・・・Smith & Wesson Model 36 Chief's Specialチーフズ スペシャル。スミス&ウェッソン・モデル36は38スペシャル、及び357マグナム口径のコンパクトなリボルバー。装弾数は五発。FBIや警察機関で多く使用されていた。

 ちなみに、ネッドが使用しているのはS&W M13。自動式拳銃オートマティック ピストルが導入されるまでFBIの制式拳銃であった、最後の回転式拳銃リボルバーである。



※2 スピードストリップ・・・リボルバーの予備弾薬を装填しやすくするツール。

 一度に全弾を装填できるスピードローダーと違い、薬室に入れることができるのは二発ずつだが、一列に並べて保持するためシリンダーサイズに合わせる必要がなく、ポケットなどで携帯しやすい。



※3 ホール・オブ・ジャスティス・・・Hall of Justice。「正義の殿堂」は、アメリカで都市の警察本部を指す。警察以外に保安官事務所、裁判所、刑務所、その他の司法機関が含まれる場合もある。

 作中でサムたちが向かったサンフランシスコのホール・オブ・ジャスティスは一九六〇年、ブライアントストリートに建設され、二〇一五年までサンフランシスコ警察本部、サンフランシスコ保安官事務所などが入っていた。

 現在のサンフランシスコ警察本部はミッションベイにあり、消防署と併設されている。

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