探偵事務所で捜査中の連続殺人事件と、〝
サムもいったんは自分の寝室で寝間着に着替え、ベッドに入った。しかし話をするなかで思い起こした六年前の事件とエミリオのことが頭を覚醒させたまま、眠りにおちることを許さなかった。
――送っていった車の中で、リックにはエミリオがいなくなった日曜の夜の足取りを、いくつか掴んだと話した。だが、すごいや、がんばってと期待に満ちた目を向けるリックに、あるところでもう足取りは途絶えてしまったのだと、サムはどうしても云えなかった。
エミリオを、自分はちゃんとみつけだすことができるだろうか。エミリオはいま何処でどうしているのだろうか。頭のおかしな奴に連れ去られて、酷い目に遭っていなければいいのだが。
ベッドで半身を起こし、サムはシーツを握りしめて、ゆるゆると首を振った。とても眠れそうな気はしなかった。手を伸ばしてベッドサイドテーブルの上にあるランプをつけ、サムはその横にある写真をじっと見つめた。アンティーク風なデザインのフォトフレームに収められたそのなかで、照れくさそうな笑顔を見せているのは十五歳のショーンだ。
ショーンが家を出ていったのは十七歳のときだが、これ以降の息子の写真をサムは持っていなかった。撮ったことがあるかどうかさえ知らなかった。サムはショーンが出ていったあと、雑誌の切り抜きやステッカーに混じって壁に貼られていた写真のなかにこれをみつけた。母親似の、優しげな面差しに伸ばしっぱなしの髪。十二、三歳の頃からショーンには、よく髪を切れと云った憶えがある。ショーンは、そのときはわかったと返事をするのだが、今日は宿題が多くて時間がなかったとか、母さんが忙しかったと云っていつも髪を切るのを先延ばしにしていた。本当は長くしたままでいたかったのだろう。
あのヘイトアシュベリーの記事にあった写真のショーンも、肩まである長い髪だった。ネッドもサムの感覚からすれば充分に長髪の部類だが、今の時代、あのくらいはふつうらしい。ネッドと同じ歳のショーン――今、どうしているのだろうか。自分の想像どおり、このサンフランシスコの何処かで暮らしているだろうか?
ショーン、ソガード、そしてエミリオ。灯りに照らされたフォトフレームのなかで、三人の顔が重なって見えた。行方が知れなくなってからもう十五年も経つショーン、生死不明のまま五年が経過しようとしているソガード。そしてエミリオ――このままみつけることができずに諦めてしまうのは、エミリオの写真に生死不明と書きこむことと同義だ。エミリオだけはなんとしてもみつけださなければ。
目は冴える一方だった。ウイスキーでもひっかけてくるか。サムはベッドから脚をおろしてランプを消すと、寝室を出て階段を下りていった。
デスクの上に近隣の地図を広げ、サムはジェムソン*¹を注いだグラスを傾けていた。
二十七日の夜。カストロ地区の裏路地で客を待って立っていたエミリオは、警官に見咎められフェンスを超えて逃げていった。エミリオに口淫をさせた男は、彼が南のほうに歩いていったと証言した。そして二十四番街で五ドルもらったという浮浪者は、ねぐらにしている路地からエミリオが表通りに出ていったと云っていた。
赤色のペンでそれぞれの場所に印をつけ、はっきりとは判らないエミリオの足取りに、サムは位置から見当をつけた。男から金を受け取ったあと南へ向かったエミリオは、場所を変えてまた客を待っていた。そこへ警官が来て、フェンスを超えてその先の浮浪者のいる裏路地へ――サムは矢印を書き、続かないその先を大きく円で囲んだ。
警官の証言から、エミリオが二十四番街を彷徨いていたのがちょうど零時前後ということがわかっている。これ以上目撃者がみつからないのも無理からぬことだ。サムはペンを置き、グラスのなかに残っていた琥珀色の液体を一息に飲み干した。
これが家出であればエミリオの交友関係を徹底的にあたるのだが、部屋からなにも持ちだされていないらしいことと、トカゲの件が家出の可能性が低いことを示唆している。――客を装ったサディストの性犯罪者にでも連れ去られたか。加虐性欲を持て余し、娼婦や男娼を拉致監禁して解消しようとするような輩が、残念ながら少なからずいる。不意に、暗く狭い地下室のようなところに鎖で繋がれている少年の姿を思い浮かべてしまい、グラスを持ったままの手が震えた。
「――サム?」
その声に、サムはことりとグラスを置き顔をあげた。奥の応接室から、白いタンクトップにストライプ模様のパジャマのズボンという恰好のネッドが顔をだしていた。こっちに近づいてくる見慣れない恰好のネッドに、サムは「どうした、眠れないのか」と云いながら時計を見た。もう二時半を過ぎている。
「こっちの台詞ですよ。俺は目が覚めたついでになにか飲もうと思って下りてきただけっすけど、そしたらなんか灯りが見えたんで」
云いながら、ネッドはデスクの前に立ち矢印の書かれた地図を覗きこんだ。「これは……捜索してるリックの友達の?」
サムは頷いた。
「そうだ。エミリオの足取りを追ってたんだが、深夜でもう完全に途絶えちまってな。考えたくはないが、変態野郎にでも連れ去られたのかもしれない。明日からそっちの線であたってみようと思ってる」
ネッドは考えるだけで気が滅入るという表情で首を振った。
「十代の少年をターゲットにした性犯罪者ですね。明日、
「たすかる。とりあえず、サンフランシスコを除いた近郊の町に犯歴か住所か勤め先がある奴だけでいい。シティ*²内は明日、警察署をまわってくるつもりだ」
「了解っす。じゃ、もう
ネッドはそう云って背を向け――ふと、なにかに気がついたように振り返り、再びデスクの上の地図をじっと見つめた。
「ん? どうしたネッド」
ネッドは赤い円のあたりを凝視し、眉をひそめている。
「サム……これ、この丸で囲んであるのが、対象の足取りが消えた場所?」
「うん? そうだ。二十四番街で浮浪者がエミリオを見たのが零時頃で、もうそれ以降の足取りが――」
「二十四番街?」
ネッドがサムの言葉を遮った。「それって、何日のことです?」
真剣なネッドの顔つきに、サムはなにか予感めいたものを感じながら答えた。
「二十七日。日曜の深夜だ」
ネッドが地図を手に取った。ペンダントライトのほぼ真下、薄い地図の裏側から、歪な円とその内側を辿るネッドの指先の影が透けて見える。
地図をデスクに戻し、円のなかのある一点を人差し指で二度強く叩くと、ネッドは云った。
「ここ、五件めの現場です……。例の妙な血痕が残ってた、五人めが二十七日の深夜に殺された犯行現場ですよ!」
「なんだって!?」
サムはネッドが指している場所を見た。浮浪者がエミリオを見た路地から表通りへ出て、そのまま少し歩いた先にあるもう一本の細い路地。その細い路地を指し、ネッドがサムを見て頷いた。
「遺体が発見されたのはここです。で、この通りの真ん中に、前に話した妙な飛沫血痕が」
サムは以前に聞いた話を思い起こした。遺体から5ヤードも離れたところ、道路のど真ん中に残っていた飛沫血痕。サムは話を聞いたとき、こちら側に車を停めていて、戻る途中にナイフについた血を振りきったのではと云った。
しかし、エミリオの足取りが途絶えた場所と時間が重なるというのなら、それは――
「……エミリオは、殺しの現場を目撃したんだ。それをみつかって、血がついたままのナイフを持った犯人に追われた――」
「血を振りきったんじゃない。駆けだしたんだ。じゃ、そのエミリオは連続殺人の犯人に捕まって――」
ネッドが言葉を切る。サムは唇を噛んだ。五件め。連続殺人はその後、さらに二件続いている。もし想像のとおりなら、エミリオはどこかに連れ去られただけではなく口を封じるため殺されて、どこかに埋めるか沈めるかされている可能性が非常に高い。
だが――サムは思った。たとえもう生きていないとしても、不明のまま何年も経ってしまうよりは、みつけてやったほうがずっとましだ。
「……ネッド。明日からそっちの捜査に加わらせてくれ。どうやら模倣犯のクソ野郎を確保すれば、エミリオをどうしたかも訊けるようだ」
「もちろんです。こっちはサムが手を貸してくれるなら百人力っすよ。模倣犯とか局の面子なんてどうでもいい。一日も早く犯人の正体を暴いて、エミリオをみつけましょう」
ネッドの快い返事に、サムは素直に「ありがとう」と返した。
「とりあえず、一件めの事件からもう一度じっくりと話を聞かせてくれ。詳細まで余すところ無く把握したい。いま手許にはなにがある?」
「前に持ってきた現場写真が車のダッシュボードに。詳細は、俺の手帖に書き留めたのがあります。今夜は徹夜っすね」
サムは立ちあがり、デスクから離れる間際にネッドの肩をぽんと叩いた。
「頼りにしてるぞ、相棒。用意しておいてくれ、コーヒーを淹れてこよう」
「とびきり濃いやつをおねがいします」
けっしていい展開とはいえない。しかしサムは、捜査が最終局面に向かうときのあの高揚感に似た興奮に、FBI捜査官だった頃の力が漲ってくるのを感じた。
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※1 ジェムソン・・・Jameson。ジェムソン・アイリッシュ・ウイスキー。世界で最も売れているアイリッシュ・ウイスキーと云われている。
ナッツやバニラの風味が感じられる、フローラルでスパイシーな甘みと香りが特徴。口当たりがよく飲みやすいので、ストレートでもロックでも楽しめるが、お勧めはソーダ割り。
※2 シティ・・・The City。サンフランシスコの地元の人々が使用する愛称。
サンフランシスコには「SF」「ゴールデンシティ(The Golden City)」「霧の街(Fog City)」「シティ・バイ・ザ・ベイ(City by the Bay)」など、いろいろな愛称がある。しかし、好まれて内外で使用され、現在まで定着している呼び方は特にない。地元で「シティ」という言葉が使われる以外は、愛称ではなく「サンフランシスコ」と呼ぶのが正解なようである。
なかでも「フリスコ(Frisco)」と「サンフラン(San Fran)」のふたつは、サンフランシスコ市民に最も嫌がられる略し方だそうなので注意。