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scene 14. 殺人鬼の素顔

 紙袋から零れ出たたくさんの菓子と、ひしゃげたケーキの箱。そして、まるで被害者を模したのかと思うような、酷い状態のぬいぐるみ――写真が撮られたのは、遺体が運びだされたあとらしい。写っているのは赤黒く濡れたアスファルトと、被害者の遺留品だけだった。

 だが、現場の様子は手に取るようにわかった。遺体があったことを示す印が置かれた路地から交差する広い通りに向けて撮影された写真をじっくりと注視し、サムはネッドに向かって尋ねた。

「このぬいぐるみは? 酷く汚れているようだが」

「ええ、遺体の傍にあったのを踏み躙って靴底を拭って、そのあと蹴飛ばしたようです」

 それを聞き、サムは確信をもって云った。

「ソガードの犯行じゃない。一連の事件とこいつが同じ犯人の仕業だっていうんなら、やっぱり模倣犯だろう」

「ですよね。俺らはそれで納得できるんですけどね……上の求める証拠とまではいかないんすよねぇ……」

「そりゃあ無理だな。だいたい、模倣犯だっていう証拠を持ってこいなんてナンセンスだ。捕まえるほうが早い」

「ですよね」

 空にして積みあげられたピザの箱を放置したまま、三人はオフィスのほうへ移動していた。

 サムはデスクの椅子に坐り、デスクの向かい側にネッドが浅く腰掛け、躰を捻るようにしてサムの手許を覗きこんでいた。前をはだけた上着の陰に銃のホルスターが見えている。

 サムは煙草に手を伸ばしながら、手にしていた現場写真をネッドに返した。

「ま、がんばれ」

「ちょっと待ってくれ」

 少し離れて様子を見ていたジャクソンが、わけがわからないといった表情で尋ねてきた。「どうしてその写真だけで模倣犯だなんて、そんなことが云えるんだ?」

 サムは「ああ」となんとなくネッドを顔を見合わせた。云ってやってくれというように、ネッドが僅かに首を縦に振り、再び写真をデスクに置く。その写真の一点を、サムは持っていた煙草で指し示した。

「ぬいぐるみだ。酷い状態だが、この形は犬だろう?」

 ジャクソンはぬいぐるみ? と不思議そうに眉を寄せ、答えた。

「……被害者が殺害された翌日は、姪の誕生日だったそうだ。そのぬいぐるみも、ケーキも菓子もぜんぶ姪のためのものだったらしい」

「それはいい。犬だったかと訊いてる」

「……クマじゃなかったな。犬だ」

 サムは「ジョン、おいで」とジョンを呼んだ。奥の部屋で寝そべっていたジョンが、嬉しそうに尻尾を振りながら寄ってくる。

「よしよし、いい子だ。――〝魅惑の殺人鬼The Fascinating Killer〟の三十五人めの被害者は大学生で、寮に住んでた。ノックスヴィルだ。雪が積もっててな、被害者は友人宅へパーティに出かけるところで、白いワンピースドレスを着てた。まあ、俺らが見たときは血で真っ赤に染まってたがな」

 ジャクソンはサムがなにを云いたいのかわからないのだろう、困惑した様子で話を聞いている。サムは続けた。

「その真っ赤に染まったドレスの遺体の上に、コートが掛けられてた。キャメル色のロングコートだ。そのコートは被害者が羽織りもせずに持っていたらしく、ナイフで穴が空いたりはしていなかった。血痕はついてたが、表側にちょっと飛んでた程度だった」

 ジャクソンが、なにか引っかかったような顔をした。サムはその目を見て、「そうだ」と軽く頷いた。

「ソガードが掛けたんだ。被害者が傍に落としていたコートを、刺したあとにな。隠そうとしたわけじゃない。丁寧に、まるでうたた寝をしてる恋人に掛けるみたいに、雪の上の遺体に暖かいコートを掛けたんだ。あいつはそういう奴だった……残念ながら、ちゃんと話を聞くことはできなかったがな」

「ばかばかしい。雪の中に血塗れの死体じゃ目立つから掛けただけじゃないのか」

「俺も最初はそう思ったんだけどな。サムはそのとき、隠す気があるなら他の犯行時もいくらでも隠す手段があったって云ったんだ。俺もそれを聞いて、確かにそうだと思った。現場でのベテラン捜査官の勘ってのは侮れないぜ? おまえもよく知ってると思うがな」

 ネッドはまるで自分の手柄のように自慢げにそう云った。ジャクソンはしかし、まだ信じられないという顔をしている。

「ある種の直感がときに有効であるのはわかる。けど、そのコートを掛けたのが犯人ホシだって話と、模倣犯説になんの関係が?」

「だから犬だって」

「犬がなんだ、キャラハン。わかるように云え」

 サムは手を伸ばし、よしよしと傍らにいるジョンの頭を撫でた。

「こいつは、ソガードが飼っていた犬なんだ。事件のあと、動物保護施設アニマル シェルターに連れていかれるところを、俺が引き取った」

「はあ!? 嘘だろう、殺人鬼の飼ってた犬?」

 ジャクソンが驚き、目を丸くする。

「嘘を云ってどうする。こいつはそのとき、まだ小さな仔犬だった。ソガードを尾行したときに見たんだが、奴はこいつをとても可愛がっていてな。まるで我が子みたいに大事そうにしてた」

「おい、はっきりと云ってくれないか。自分の頭が悪いのかと疑いたくなってくる」

「ソガードならたとえぬいぐるみでも、犬をあんなふうに踏み躙って放置したまま現場を去らないってことさ」

 ネッドが云い、サムはうんうんと首を縦に振った。

「そういうことだ。奴は、女を殺しはするが、ゴミのように蹴散らしていくような真似はしない。しかも、たとえぬいぐるみでも犬を踏み躙ったうえに蹴飛ばすなんて、そんなことはありえない。もし奴の仕業なら踏みも蹴りもしないで、ぬいぐるみを大事そうに拾いあげて遺体の脇に置いてやったろうさ」

 ジャクソンがそんなまさかとでも云いたげな顔で、しかし黙ったままふたりの顔を見比べる。

「模倣犯だよ。証拠にはならないけどな」

 ネッドが駄目押しのようにそう云いきる。なんとなくジャクソンが視線を移した先で、ジョンがぱたぱたと尻尾を振っていた。



「――ソガードには、一度ちゃんと話を聞きたかった。本当に、心からそう思う」

 コーヒーのカップが三つ置かれたテーブルを挟み、三人は再び奥の応接室に場所を移し話していた。ピザの箱や空き缶も片付けられ、テーブルの中央には来客用の大きな硝子の灰皿が置かれている。サムはふーっと煙を吐きながら、ネッドの足許で寝そべっているジョンを見つめ、笑みを浮かべた。

「奴が〝魅惑の殺人鬼〟だと目星をつけたとき、しばらく周囲に聞き込みをしたり張り込んだりしたが……俺とネッドはどこかで間違ったんじゃないかと思ったもんさ。ソガードは毎週欠かさず日曜礼拝に通っていて、自分と同じように吃音症を抱えた子供や耳が不自由な障害者たちのためのボランティアにも熱心だった。仕事も真面目で礼儀正しくドラッグもやらず、どこで誰に訊いても良い評判しかなかった。奴が女房と、まだ仔犬だったジョンを連れて出かけたとき、ネッドと一緒に尾行したんだが……奴が殺人鬼だなんて陰りはこれっぽっちも感じなかったよ」

 ネッドも頷く。

「俺も、あのとき見たソガードの顔が忘れられない。嫁さんも小柄で可愛らしいで、絵に描いたようなお似合いの新婚さんって感じだった。本当に幸せそうだった」

 それを聞き、ジャクソンは眉をひそめた。

「その嫁さんって、最後の被害者じゃないのか」

「そうだ」

 サムはネッドと視線を交わし、答えた。「ロザリー・ブラニガン。……俺とネッドが間に合っていれば防げた、奴の三十六件めの犯行の被害者だ」

 ネッドが顔を伏せる。サムは苦々しい表情で遠くを見るように視線を逸らし、ゆるゆると首を振った。

「ソガードは三十六人の女性を無惨に殺した、連続殺人犯だ。だが、最後の事件のあと裏取りをしていてわかったんだが、背景には同情すべき点がいくつもあったようでな。シングルマザーだった母親はアルコール依存気味で、吃音の息子のことは恥に思っていたのか、職場の仲間は葬儀まで息子がいたことを知らなかったそうだ。学生の頃は、顔がいいんで初めは女の子に寄ってこられたらしいんだが、吃音の所為か誰とも長続きはしていない。学校を出ても付き合いが続いていたたったひとりの友人は、大学生のとき飛行機事故で死亡してた。おまけに、ソガードは性的不能だったふしもある」

 ジャクソンは眉をひそめた。

「それはどこから?」

「最後の事件の検屍で、ロザリーは処女だったとわかったんだ。他の被害者たちも性的暴行の痕跡は一切なし。不能者の可能性が高いってのは、プロファイリングでも云われてた」

 ネッドが答え、サムは記憶を瞼に映しだすように目を閉じた。指に挟んだ煙草がちりちりと、微かな音をたてる。

「……俺らが踏みこんだとき、奴は放心したように遺体の傍に坐ってた。絶望とか後悔の表情じゃなかった。興奮でもない。ほっとしたような、なにかやるべきことを終えたような、そんな顔をして天井を見上げてた。奴にとってナイフで刺すことは、セックスの代替行為だったんだ」

「もしそうなら、結ばれた途端に永遠の別れってことになる」

 ありえないと云いたげに、ジャクソンは首を振ってコーヒーを一息に飲み干した。「ソガードがいろいろと問題を抱えていたらしいってのはわかったが、だからって連続殺人犯には違いない。あんたら、まさかソガードに同情して模倣犯だなんて庇い立てしてるんじゃ――」

「まさか。ソガードの犯行なら、俺はもっと躍起になって事件を追うさ。だが、今回の一連の事件は、まず間違いなく奴じゃない。残念ながらな」

 サムが再びそう強く云いきると、ネッドも頷いた。

「俺は上に模倣犯だって証拠を探せなんて云われたけど、実は本当にソガードだったらいいのにと思ってた。物証はみつからないが、こりゃ模倣犯だなって感じるたびにがっくりきたね」

 ジャクソンが不思議そうな顔をする。

「それはなんでだ?」

 サムはネッドと視線を交わし合い、答えた。

「もしソガードなら、今度こそ取っ捕まえてじっくり話を訊きたいからっすよね」

 ネッドの言葉に頷き、サムはすっかり短くなった煙草を灰皿で揉み消した。

「だな。時間をかけて話を聞いて、罪を償わせにゃならん……もし奴が本当に生きているとしての話だがな。捕まれば、まず間違いなく死刑か終身刑になるだろうが、自分のやったことについて考える時間くらいは与えられる。女たちの写真を見せて、みんなそれぞれに家族や人生があって、どんな事情があったとしても、ある日突然に無惨なかたちで奪っていいものじゃなかったと気づかせなきゃいかん。気づいて悔やんで、女房のことも想って泣いて祈ればいい。そうするべきだ、俺はそうしてほしい。そう思う」

 サムの言葉に、ようやく納得したようにジャクソンが頷いた。

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