土曜の明け方。これまでの犯行と同様、人目につきにくい路地で発見された遺体の周りには
『
「被害者の身許は
遺体の傍に屈みこんでいる検屍官にそう尋ねたのはヴァーノン・ジャクソン、ネッドと
「もちろん検屍解剖で確認しなきゃいけないけど、見たところおそらく例のバタフライナイフのような細長い刃物で滅多刺し。この場で数えられただけで十九ヶ所の刺創がある。喉も四人め以降同様にさっくり。同じ犯人の仕業だよ」
「殺害された時刻は?」
「死後硬直の進行具合からおそらく四時間から六時間前に死亡……まあ零時前後とみていいと思う」
「これまでと同じか」
被害者は推定二十代前半の女性。長い髪をひと纏めにし、臍の上で結んだ花模様のシャツにジーンズという、今どきの若い娘らしい服装だ。だがその花模様も血に染まり、元が何色だったのかすらわからないほどだった。
「〝
そんな言葉が聞こえ、ネッドは振り返った。聞えよがしに話をしているのは、事あるごとに自分を除け者にしようとするチームの仲間たちだ。
「かつての殺人鬼が復活したって周知すれば、市民もちょっとは警戒するんじゃないか? それをいつまでも模倣犯だなんだって、見当違いもいいとこだ」
「我らが天下の
「ま、俺らが〝魅惑の殺人鬼〟を捕まえりゃそれで済むこった。
目は合っていたが、ネッドは聞こえないふりで顔を逸らした。現場でそんなことを言い合っていてもなんの意味もない。捜査会議では自分の意見を云うが、聞く耳を持たないのはそいつの勝手だ。そのかわり、自分も自分の思うようにやる。それだけだ。
ネッドはそこから数歩離れ、あらためて現場の様子をじっくりと注視した。いくつものスナック菓子、ケーキの箱、ぬいぐるみ。元は真っ白だったのであろうぬいぐるみはアニメーションで描かれる動物のように眼が大きく、フェルトの睫毛と小さな星が貼り付けられていた。被害者は小さな子供がいるような歳には見えない。かといって自分のものにしては稚すぎる。妹か姪へのプレゼントかもしれない。
なんにせよ、こんなふうに無惨に殺されることがなければ、彼女にはハッピーな時間が待っていたのだろう。ネッドはやりきれなさに唇を噛み締めた。
路肩に転がっているぬいぐるみの眼が、やけに虚ろに見えた。
チームはそれぞれ手分けして捜査にあたっていたが、その日は被害者の身許が判明した以外になんの進展もなかった。アマンダ・オーウェンス、二十二歳。両親と祖母、姉とその娘との六人暮らしであった。ネッドの想像したとおり殺害された翌日は姉の娘、すなわち姪っ子の五歳の誕生日だった。アマンダはシングルマザーである姉を助けるように、普段から姪っ子をとても可愛がっていたのだという。
二台並べたスタンド式のホワイトボードには、七件の犯行現場や被害者と遺留品の写真が貼られ、被害者の名前や年齢などがその下に書きこまれていた。その横手、壁に直接貼られた地図には数字を書いたメモ用紙が、各犯行現場に赤いピンで留められている。
時計を見ると、まもなく午後六時になるところだった。誰もいない、がらんとした捜査本部で、ネッドはデスクの上にあるファイルの中から現場を撮った写真を一枚取りだし、ポケットに入れた。
そして部屋を出ようと踵を返し――ドアの前に立ち、ガラス越しにこっちを見ている褐色の顔に、はっと動きを止めた。
「おい、どこへ行く? ポケットに入れたのはなんだ? 被害者の写真か?」
ネッドが出るより先にドアを開けて入ってきたジャクソンは、そう厳しい口調で訊いてきた。ネッドは降参をするように軽く両手をあげたあと、ポケットから写真を出し、ジャクソンに見せた。
「現場の写真? そんなものをどこへ」
ネッドは考えた。現在の相棒に、昔の相棒のところに意見をもらいに行くのだと答えるのは、あまりいい感じがしない気がする。今更こっちがそんなことを気にする必要はないかもしれないが、捜査状況を外部に漏らしていると指摘されればまずいことになる可能性もある。
さて、どうするか。僅かな時間悩んだ末、ネッドはジャクソンを避けて部屋を出ると、振り返って顎をしゃくって見せた。
「一緒に来いよ。気になるんだろ」
少しむっとした表情をしながらも、ジャクソンは黙ってネッドの後からついてきた。
* * *
エミリオの行方を知る手掛かりをみつけるため少しずつ捜索範囲を広げていたサムだが、二十四番街でその足取りは完全に途絶えてしまっていた。
最後の目撃情報は、浮浪者から得たものだった。エミリオの写真を見せると、その浮浪者はあぁ、と頷き、五ドルくれた子だと答えた。
深夜、裏路地に潜むようにしてブランケットに包まっていた浮浪者の男は、ふと感じた人の気配に目を開け、そこに立っていた若者を見て思わず身を硬くしたという。しかしその若者は自分に殴りかかってきたりはせず、ポケットからくしゃくしゃの札を数枚差しだしてきたそうだ。よく見ればまだ十五、六歳の少年だと気づき、男はもらえないと断ったが、エミリオは自分は毎日満足に食べてるからと云って金をブランケットに挟み、その場を去ったという。
特にあてもなくぶらついているだけのように見えたというエミリオは、男がねぐらにしている路地から表通りに出ていったそうだ。しかしサムが半日かけても、その先の手掛かりをみつけることはできなかった。
これ以上は無理か。腕時計を見、腹を空かせて待っている者がふたりいることを思いだす。いったん捜索はきりあげ、なにか買って帰らなければならない。もう一度リックに話を聞いて、交友関係からあたっていくしかない。或いは、十代の少年をターゲットにした性犯罪者を片っ端から締めあげてみるか。
捜索が難航すればするほど、悪い結果が頭を過る。サムは溜息をつき、ふと思いついたように煙草を咥えるとその場所を後にした。
探偵事務所に戻ったが、サムは愛車を車庫に入れることができなかった。路上駐車が邪魔だったからではない。車庫には既に、朱色がかった赤のオールズモビルが駐められていたからだ。
しょうがなくその前、いつもの場所に車を駐めてサムは大きなピザの袋をぶら下げ、ドアを開けた。すると中に入った途端に賑やかな声が聞こえてきた。なにやら楽しげに話しているのはネッドの声、それを聞いて笑っているのはミゲルのようだ。
サムは「ピザ一枚とフレンチフライだけじゃ足りなかったか?」と声をかけながらオフィスから応接室のほうへ入っていき――そこに瑠璃紺のスーツを着た黒人の男が立っているのを見て立ち止まった。ソファでリックとミゲルと話しているネッドに向き、尋ねるように首を傾げる。
「あぁサム、おつかれっす。勝手にお邪魔してます。……そいつはジャクソン、今の俺の相棒です」
「どうも、お噂はかねがね」
自分がネッドの元相棒だということは承知しているらしい。サムは「サムだ、よろしく」とだけ返し、持っていたリトルジョーズ・ピザ*¹の袋を掲げた。テーブルには既に空になったピザの平たい箱が置かれている。ミゲルがおかしそうに「またピザきた!」と声をあげて笑った。
「かぶっちゃいましたね」
「どこのだ?」
「なんて店だったかな。偶々見かけた店で買ったんだけど……」
ネッドがそう云いながら振り返る。ジャクソンは無表情に腕を組み、壁に寄りかかったまま「トトス・ピザ*²だ」と答えた。
「悪くない」
自分が買ってきたのといい勝負な人気店の名を聞き、サムは良いチョイスだと褒めながら空き箱の上にまだ温かいピザの袋を置いた。
「ちょうどよかった。三人分のつもりで買ってきたんで、足りなくて」
どうやらその三人分はリックとミゲルのふたりで平らげてしまったようだ。テーブルの端にはペプシコーラの缶がふたつあるが、コーヒーのマグもビールの小瓶も見当たらない。
ふとリックと目が合った。リックは捜索の状況が気になるのか、なにか云いたげな顔でサムを見ている。サムは「メシが済んだならもう送っていこう。ミゲル、持ってきたものはちゃんと片付けて、忘れ物のないようにな」と、ふたりに帰り支度をするよう促した。
「サム」
オフィスのほうへ戻ろうとしたサムを、リックが呼んだ。サムは足を止め、捜査状況をどう伝えたものかと考えた。だがリックが話したかったのはそのことではなかったらしい。振り返ると、リックは「五時頃に電話があったんだけど……」と、少し困った顔をした。
「電話? 誰からだった」
「それが……受話器をとるなり怒鳴られて、俺はただの留守番ですって云ったら切られちゃったんだ。だから名前も聞けなくて」
サムはああ、と大いに心当たりのある顔を思い浮かべた。
「そうか、ありがとう。誰からかはわかってるから大丈夫だ。……だが、そうだな。明日からは電話にはでなくていい。誰かが訪ねてきても、ドアは絶対に開けるな」
「え……うん、わかった」
リックは少し不安そうな顔をしたが、素直に頷くとミゲルが散らかしたスター・ウォーズのフィギュアを拾いあげ、バックパックに仕舞うのを手伝った。
「なんすか今の? サム、なにか厄介事でも?」
ネッドに訊かれ、サムは「いや、なんでもない」と肩を竦めた。
「じゃ、ちょっとこの子らを送ってくる。すまんが、すぐに戻るから待っててくれ」
「え、俺が送っていきますよ。ピザが冷めちまう」
ネッドはそう云ってくれたが、リックと話もあるし、なにより初対面のジャクソンとふたりにされても向こうが困るだろう。サムは首を振り、「気にせず食っててくれ」と兄弟たちを連れて部屋を出た。
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※1 リトルジョーズ・ピザ・・・Little Joe's Pizza。一九四一年、ミッションストリートにオープン、現在も同じ場所で営業しているイタリアン&メキシカンレストラン。
※2 トトス・ピザ・・・Toto's Pizzeria & Restaurant。一九三二年から家族経営を続けているというイタリアンレストラン。第二次世界大戦後に一家はニューヨーク、ブルックリンからサンフランシスコに移り、一九四九年に二店めをオープン。一九五四年にはミッションストリートに大規模な店舗で、サンフランシスコ初のピザ・デリバリーサービスを開始した。