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scene 3.〝魅惑の殺人鬼〟復活?

 レストランは多くの若者や家族連れで混雑していた。サムは看板メニューであるハンバーガーとフレンチフライを、ネッドはそれに加えホットアップルパイも注文して腹を満たした。

 だが、コーヒーをおかわりしてその場で話――それも、殺伐とした――を続ける気にはなれず、サムはネッドがアップルパイを平らげるや否や、もう戻ろうと促した。背広を着こみ、真面目な顔で話しこむ男ふたり――週末のディナーを楽しむ他の客たちとは明らかに異質だった。

 早々に引き揚げ、探偵事務所に戻ってきたふたりは捜査資料のコピーや現場写真、事件について書かれた新聞記事などをデスクいっぱいに広げていた。

 箱の中から二ヶ月分以上のサンフランシスコ・クロニクルを引っ張りだし、サムとネッドは連続殺人について書かれている記事を探した。しかし三件めのアナハイムと四件めのサンフランシスコの記事の他は一面から追いやられ、小さく載っているだけだった。無理もない。四件めの事件の次の週にはサンフランシスコ市長ジョージ・モスコーニと市議会議員ハーヴェイ・ミルクを市庁舎で殺害したダン・ホワイトの裁判と『ホワイトナイトの暴動White Night riots』、その僅か四日後にはアメリカン航空191便墜落事故があったのだから。



 一九七八年十一月二十七日、サンフランシスコ市庁舎内で銃撃され死亡したハーヴェイ・ミルクは、同性愛者であることを公言して選挙を闘った、アメリカ合衆国初のオープンリーゲイの公職者であった。

 ハーヴェイを喪ったことを嘆き悲しんだ多くのサンフランシスコ市民が注目するなか、翌年五月二十一日にホワイトにくだされた判決は殺人罪ではなく、心神耗弱を理由とした故殺罪*¹、僅か七年の禁固刑という軽すぎるものであった。それに憤った市民、主にカストロ地区のゲイコミュニティは抗議のためデモ行進を開始した。

 初めは平和的だった行進も、人数が増えるにつれヒートアップしていった。そしてそれを鎮圧しようとする警察の行動が、さらに群衆を刺激した。ホワイトには元警官という経歴があり、警察はホワイト弁護のため十万ドル以上を集めていたのである。ホワイトへの軽い判決に抗議するため路上に繰りだした人々の波は、市庁舎に到達する頃には推定五千人にも膨れあがった。多くの警官が警棒でデモ隊を殴るなどし、群衆は市庁舎に到達すると窓硝子を割り警察車両を燃やすなど、破壊行動を始めた。

 市庁舎の混乱はおよそ三時間後に警察が催涙ガスを使用、多くの負傷者と逮捕者をだし、群衆はようやく解散した。

 しかし、それで終わりではなかった。さらに数時間後、数人の警官がカストロ地区に赴き、同性愛者の集まるバーを襲撃した。二時間後にチャールズ・ゲイン警察署長が自ら出向いて暴走した警官たちを制止するまで、差別的な暴言と暴力は続いた。

 ヘイトフィルモアに所在するマクニール探偵事務所の、目と鼻の先で起こったことである。



「――ソガードの犯行とは思えない」

「やっぱり、そうっすよね」

 ネッドの持参した捜査資料や手帖には、新聞記事では欠片も触れられていなかった事実が満載だった。

 最初の犯行とみられているラスベガスの現場には争った形跡があり、腕や頸部には強く握られた痕が残っていた。死因は失血死ではなく頭部外傷による脳挫傷で、喉も切られておらず胸部や腹部など刺されたのも八ヶ所と、ソガードの犯行とはかなり違っていた。

 二件め、ベイカーズフィールドの被害者は前頸部ぜんけいぶを数回と頬部きょうぶ手掌しゅしょうを切られているとあった。が、傷はごく浅いもので、手掌の傷はおそらく防御創であると思われた。胸部及び腹部には二十ヶ所もの刺創しそうがあり、死因は出血性ショック、凶器の形状はラスベガスの事件と一致している。

 決定的なのは三件めであった。アナハイムの被害者は二十ヶ所以上を滅多刺しにされ、喉をすっぱりと切り裂かれてはいたが、検屍報告書のコピーには鋭利な刃物による前頸部の切創せっそうに生活反応なしとあった。死後に切られているということである。

 ソガードの手口は獲物の前に現れて先ず喉を切り裂き、悲鳴もあげられず倒れた被害者を繰り返し刺すというものである。一連の事件はいずれも、六年前とは比べるべくもない杜撰さだ。

「こりゃソガードの犯行を真似ようとした、どっかの莫迦の仕業だ。一件めは被害者に抵抗されて、焦って思うようにはいかなかったんだろう。二件めでは手順をおさらいして挑んでみたが、やっぱりうまくいかなかった。で、三件めはもう手順を倣うのは諦めて、を重視したんだろう。殺してからならどんな間抜けでも喉くらい切れる」

 ソガードの犯行でないことは明らかと云っていいだろう。それどころか、こんなものは模倣犯とも呼べやしないとサムは思った。「こんなのが、いったいどうしてソガードが生きてまた犯行を繰り返してるなんて話になったんだ」

「〝魅惑の殺人鬼The Fascinating Killer〟復活! って、でかでかと載せやがった新聞があったんです。それの所為っすよ。あれ、三件めの検屍の結果がでる前に書かれた記事で、あとから模倣犯の犯行である可能性が濃厚って管轄署が会見したんですけど、そっちだとおもしろくないのかあまり大きく扱われなくって。そうこうしてるうちに四人めの被害者がでて、俺が捜査に加わったのがまたソガード犯行説に信憑性を与えちゃったみたいで……」

ビュロウの目論見は見事に裏目にでたわけだ」

 〝魅惑の殺人鬼〟事件当時の担当捜査官がわざわざ出向いてきたとなれば、そう思うのは無理もないかもしれない。サムの言葉に、ネッドはうんざりした様子で頷いた。

「ええ、まったく参りましたよ。上は行ってこいって云っといてなにやってるんだ、早くただの模倣犯だと証明しろってうるさいし、他の連中には嫌われるし。俺の所為じゃないってんですよ。なのに最初に書いたところだけじゃ飽き足らず、他の新聞も連続殺人事件の幕開けだの、生きていた魅惑の殺人鬼だのってぶちあげ始めて、もう収集がつかなくって」

「えらいこったな。だが俺は、その手の記事は見た覚えがないな」

「中西部とこっちじゃ読まれてる新聞も、載ってる記事もちょっとずつ違いますもんね。俺はこの新聞見て四件めと五件めの扱いが小さいことに驚きましたよ。ホワイトの判決を叩く記事、めっちゃ力入ってますね。トゥインキーの抗弁*²って」

「それだけハーヴェイの存在がでかかったんだ」

 サムがしみじみとそう云うと、ネッドはぱちぱちと目を瞬いた。

「なんだ」

「いや……ヒッピー風の下宿人ロジャーを見たときも思ったんすけど、なんか意外で。サムって昔気質っていうか、けっこう頑固なとこあったじゃないですか。俺に髪切ってこいって云ったこともあるし。だから、ゲイの議員なんて世も末だと云うかと思ってました」

 リベラル派だったんすね、とネッドは続けたが、サムは返事をしなかった。サムは気を逸らそうとするかのように上着やズボンのポケットに手を当てたあと、デスクの上いっぱいに並べた書類や新聞をばさばさと捲った。

「煙草っすか? 確か、そっちの隅に」

 ネッドが指した新聞の下からポールモールを取りだすと、サムは一本振りだし火をつけた。除けたサンフランシスコ・クロニクルの一面には暴動の夜の写真と、『ホワイト評決の余波The White Verdict Aftermath』という見出しが大きく掲載されている。

「……俺がもし同性愛者嫌いホモフォウブなら、わざわざこんなところに住んじゃいないさ」

 頑固者でも考えを改めることはあるんだ、と声をださずに呟き、サムはばらばらに広げた新聞をひとつにまとめた。

「ところで、また話が逸れたぞ。事件の話はまだやっと半分か」

「そうっすね、すみません。……もう十時過ぎてましたか、まだいいですか? もし朝から依頼でもあるんなら――」

「そんな気遣いをするくらいなら最初から来るな。とりあえずコーヒーを淹れてこよう。要点をまとめとけ」

「了解」

 そう云ってサムは煙草を手にしたままオフィスを出――キッチンへと向かう途中でいったん足を止め、溜息をついた。









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※1 故殺罪・・・日本では殺意があればすべて殺人罪を問うことになるが、アメリカの場合はやや細かい。

 まず謀殺(Murder)が第一級と第二級に分類される。第一級殺人とは予め計画された殺人や、強盗、強姦、誘拐など重罪を犯す過程で意図的に行われた殺人など。第二級殺人は殺意をもって犯行に至ったが、計画性がないものである。

 そして故殺(Manslaughter)とは、被害者の挑発による衝動的な犯行や、犯行当時の心理状態に問題があったなど、被告に情状酌量すべき事情があった場合である。

 非故殺は殺意がまったくなかった場合。日本でいえば過失致死にあたる。



※2 トゥインキーの抗弁・・・一九七八年、サンフランシスコ市長ジョージ・モスコーニと、同市の市議会議員ハーヴェイ・ミルクを殺害したダン・ホワイトの裁判で生まれた言葉。

 裁判で、被告人ダン・ホワイトの弁護人はホワイトが犯行当時、抑うつ状態にあったと主張。精神科医のマーティン・ブラインダーは、以前は健康に留意していたホワイトがすっかりだらしなくなり、ジャンクフードや糖分の多いソフトドリンクを摂取するようになっており、そのような食事が気分を悪化させた可能性があると証言した。

 裁判のなかで、トゥインキーという甘い菓子は偶々言及された程度だった。だが裁判を報じた記事に使われた「トゥインキーの抗弁(Twinkie defense)」という言葉が広まり、ホワイトがまるで糖分過多なジャンクフードの摂り過ぎによって殺人を犯したかのような誤解が生まれた。実際のところ弁護人は、鬱病の症状のひとつとして食生活の変化を挙げ、ホワイトの責任能力の低下を訴えようとしたにすぎなかった。

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