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第12話 周りの評価

 本人を目の前にして、ミュンヒ先生を呼び捨てにしたという事実は、私との恋人関係以上の激震となって学園に知れ渡った。


 いち男爵令嬢が、爵位のある年上男性を呼び捨てにしたのが、そもそも悪い。いくら彼女が転生者で、この世界の常識に囚われない人物だとしても、だ。

 郷に入っては郷に従え。乙女ゲームの世界であれ、シルヴィ嬢の世界であれ、ルールはルール。守るべきものの一つである。


 さらにここが学園であることも重要だった。転生前の世界でも、生徒が教師に面と向かって言っていいことでもない。だが、シルヴィ嬢の身の上を思えば仕方のないこと、と片付けられる話でもあった。


『ここが社交界なら、不敬ではすまされないぞ。それを分かって言っているのか』

『っ! 申し訳……ありません』


 あの後シルヴィ嬢は、ミュンヒ先生の怒気に怯んだのか、それともマズいという直感が働いたのか。すぐに謝罪をしたのだが……ミュンヒ先生はこのまま引き下がるつもりはないらしい。事を収めようとはしなかった。


 お陰で翌日、私は静かに学園生活を送りたいのに、なぜか教室で女子生徒たちに囲まれていた。それも羨望の眼差しを向けてやって来るものだから、余計に困ってしまった。


 これでは下手に拒めない……!


「私、なぜオリアーヌ様がミュンヒ先生に恋慕を? と思っていたのですが、昨日の一件で納得しましたわ」

「えぇ。最近のシルヴィ嬢は……いえ、その前から目に余る行為をしていましたからね」

「まったくですわ! そもそも平民のくせに、二年のクラスに編入してきたことだって生意気だと思っていたのに、エミリアン王子に気安く……」


 私がそれに対して何もしていなかったことに気がついたのか、女子生徒は口をつぐんだ。逆にそのような態度をされる方が困ってしまうのだが、今はシルヴィ嬢の話題である。


 編入に対しても女子生徒たちは奮起しているが、私は乙女ゲーム『救国の花乙女』でシルヴィ嬢が攻略対象者たちと学園で、どのように過ごしているのかを知っているため、他の令嬢たちのような『目に余る行為』という認識はなかった。

 加えてエミリアン王子への気持ちも最初から冷めているため、嫉妬や怒りもない。彼に求めているのは、ただ一つ。婚約解消だけである。


 けれどやはり周りからすれば、癇に障るのだろう。公爵令嬢ならいざ知らず、男爵令嬢が王子と恋仲だなんて、と。それならば自分にだってその資格はあるはず、と思う令嬢たちはたくさんいるからだ。

 面と向かって言えないのは、婚約者である私が何もしないばかりか、別のお相手と恋仲になっている。他の令嬢からしたら、消化不良でモヤモヤしていたのかもしれない。そこに発生したのが、今回の事件だ。


「ともあれ、私だってあのように庇われてたら、心が傾いてしまいますわ」

「まぁ! オリアーヌ様の前で何を言っているの?」

「ち、違いますわ! 私はそれだけ、オリアーヌ様のお気持ちが分かると言っているだけで……誤解しないでください」


 身を乗り出すほど必死な姿に、私は両手を前に出して、「大丈夫よ」とジェスチャーをした。


「今回は、その……私も大人気なかったから」

「そんなことはありませんわ!」

「オリアーヌ様はもっと怒った方がいいと思います」

「そうですわ。ともあれ、これでシルヴィ嬢も、少しは大人しくなるといいですわね」


 えぇ、そうなることを願うわ、と内心、返事をした。表立って言うと、モブたちがシルヴィ嬢を虐めかねない。

 今は取り巻きがいないとはいえ、私は悪役令嬢なのだから、シルヴィ嬢に反撃される話題は、なるべく少ない方がいい。これまでだって、付け入る隙は無いか、と小姑のように探していたのだ。その執念深さは敬意を称するほどである。


「あぁ、今思い出しても素敵ですわ。シルヴィ嬢の悪意からオリアーヌ様を守るミュンヒ先生の姿」

「普段は素っ気なくて、私たちを見ると冷ややかな視線を送ってくるのにねぇ」

「まったくですわ。でも顔はカッコいいし、身分も申し分なくて……実は勿体もったいないと思っていましたのよ」


 確かにミュンヒ先生の乙女ゲームでの立ち絵はカッコよかった。でもプレイしてみると印象が悪く、最初の内はあまり人気がなかったのを覚えている。それでも次第に心を開いてくれる態度や変化、そのギャップにファンが増えていったのだ。今の女子生徒たちのように。


 素っ気ないけれど世話好きで、困っていると大人の余裕というか、気安く相談に乗ってくれる。さらに包容力もあって……。


「まぁ、オリアーヌ様。どうかなさいましたか? お顔が赤いですわよ」

「えっ? そ、そう?」


 ちょっと思い出しただけで顔に出るなんて。

 思わず両手で頬を覆うと、女子生徒たちから温かい視線を浴びた。昔から顔に出ないタイプだったのに、どうやらオリアーヌの体は違うらしい。


 だからシルヴィ嬢にいいようにやられていたのね。私も気をつけなければ……危ない危ない。


 けれど今は、女子生徒たちに冷やかされるのが心地よかった。他の人はシルヴィ嬢の味方かもしれないが、少なくとも彼女たちは違うから。


 そんな彼女たちと一緒に教室を出て、廊下を歩く。手には食堂で買ってきてもらったランチボックスがある。向かう先は、もちろん……。


「ふふふっ。オリアーヌ様、もうすぐミュンヒ先生の研究室に着きますよ」

「ここまで来れば、シルヴィ嬢の邪魔もないでしょうから、ご安心ください」

「皆さん、ありがとう」


 シルヴィ嬢との一件から、クラスメイトの態度が一変した。

 それまでは、私自身ひっそりと過ごしたかったこともあり、クラスメイトと一線を画していたのだ。彼女たちもまた、エミリアン王子とシルヴィ嬢を見ていて、火中の栗を拾うような真似はしたくなかったのだろう。腫れ物を触るように、遠巻きにされていた。


 そんな中、突然エミリアン王子が、ミュンヒ先生に突っかかり出したのだ。ミュンヒ先生もミュンヒ先生で、私を呼び出したりするものだから、教室はさらに険悪な雰囲気に包まれていた。


 私たち四人を無視できればいいのだが、片や王子、片や公爵令嬢と侯爵。いや、教師ときたものだから、それはそれで難しかったのだろう。どこの世界もスキャンダルは、格好の餌食ならぬ楽しみだからだ。興味を持たない方がおかしい。とはいえ、下手に動けば身の破滅を呼ぶことになる。


 だから相当、迷惑をかけたに違いない。それなのに、彼女たちは今、私にとてもよくしてくれていた。


「それは新たに、お前さんの取り巻きになりたがっているのではないのか?」


 ミュンヒ先生の研究室に入り、昼食を食べながら話をしていると、そんな言葉が返ってきた。女子生徒たちとは入り口で別れたから、ミュンヒ先生は彼女たちの存在を知っている。私を研究室まで送り届けてくれる理由も、だ。


「あの一件の前から、シルヴィ嬢がお前さんに嫌がらせ……のようなものをしていたのを、他の生徒たちも気づいていたのだろうさ。いや、その前から薄々気づいていたのかもしれないな」

「まさか! エミリアン王子との件以外のことも、知られていたなんて……」

「どうやらオリアーヌ嬢は、そういうところも鈍いのだな」

「そう、でしょうか?」


 研究室内にある応接セットの椅子に腰掛けながら、私は首を傾げた。するとミュンヒ先生が、机をトントンと叩き、自らの元へ来い、とでもいうような仕草をした。

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