「それで、あれからどうした?」
片付けを終えてから、私とミュンヒ先生は話し易いようにと、そのまま研究室へ足を運んだ。そもそもミュンヒ先生に頼まれた日は、決まって研究室に行っていたから、誰も怪しむ者はいない。
今はまだ、エミリアン王子が黙って……いや、認めたくないのか、言い触らさないでくれているお陰で、私とミュンヒ先生の関係は
まぁ、これだけやっているから、当然、噂にはなっているけれど……。
「あれから、とは?」
どれだろう、と考えを巡らせながら、私はミュンヒ先生の机の前にある小さな応接セットの長椅子に腰かけた。目の前のテーブルには、本や書類やらが積み重ねられていて、応接セットだったもの、と表現した方が正しい。
また整理するのが面倒くさくて、ここに置いたのね。
歴史が好きなわりには、すぐに送られてくる本や書類に目を通すわけではない。本人の得意分野だとすぐに執務机へ移動されるが、それ以外はこうして放置されてしまうのだ。
何しろ、一括りに歴史というが、その範囲は膨大。日々、新たな発見と共に、膨れ上がる分野なのだから仕方がない。それらの整理をするのが、最近の私の日課と化していたわけだが、どうやら今日は違うらしい。
「もしかして、先ほどのエミリアン王子との件ですか?」
特に何かあったわけではないけれど、あれだけミュンヒ先生に突っかかってくるのだ。気にならない方がおかしかった。
「前にミュンヒ先生がおっしゃったように幼稚なのか、私自身に何かしてくることはありません。ミュンヒ先生に対して、あのような態度を取っていますが。お陰で、シルヴィ嬢も特に絡んでくることはなくなりました」
エミリアン王子の心を一応、掴んでいると思っているからなのか、前ほど接触してくることはなくなった。そう、前ほどというだけで、あるにはある。けれど、そこまで言う必要はないだろう。
「……王子の件は、確かに気になる話ではあるが……そうか。オリアーヌ嬢にちょっかいをかけていなかったか。それは良かった」
「っ! は、はい。それから、このように呼び出しを受けている関係で、私とミュンヒ先生の噂が、エミリアン王子とシルヴィ嬢の噂を上回っている、とのことです」
「ふむ。それは俺の方でも感じているな。表立って言って来ないが、他の教師たちの目がうるさくてかなわん」
「すみません」
教師と生徒、という間柄は、どの世界でも非難を受けてしまう。加えてこの場合、分別のある大人の方が非難されてしまうことが多かった。
前世の私の年齢が、ミュンヒ先生と変わらないといっても、誰も信じないだろうし、教師と生徒という立場も変わらない。だから無駄に声を上げなかった結果、ミュンヒ先生にそのしわ寄せがいってしまった、というわけである。
幸い、私が非難を受けないのはやはり、エミリアン王子とシルヴィ嬢のお陰なのかもしれない。私がそれに対して、一切不満を出していなかったから、周りが好きに解釈してくれたのだ。
エミリアン王子への当てつけだとか、見捨てたのだとか。
その醜聞が私だけなら、まだ我慢できる。けれど……。
「どうして謝る。これはそもそも、俺から提案したことだ」
「でも、うるさいって……」
「視線だけだ。王子のように突っかかって来る勇気も力もない連中に、何ができる。学園長でさえも、口を出してこない。それよりもオリアーヌ嬢が気にすべきことは、この先のことではないのか?」
「そ、そうですね。まだミュンヒ先生の気持ちに、私は何も……」
「まぁ、そっちも重要な話だが、俺が聞いているのは別のことだ」
他に思い当たることなんて、何かあったかしら。
私は左手を頬に添えながら、首を傾げた。
「おいおい。当初の目的を忘れたのか? それとも、王子の好意に気持ちが傾いた、とか」
「あり得ません!」
「それなら自ずと分かるだろう?」
急に
だけどそうしない理由は、おそらくエミリアン王子関連だろう。そう思うとまた、ミュンヒ先生も大人気がなかった。
当初の目的に、エミリアン王子……。
「あっ、婚約解消。つまり、お父様からの返事ですね」
「そうだ。何か進展はあったか?」
「……いいえ。困惑と説得の手紙が届きました」
死に戻る前は私の味方をしてくれていても、それはすでに婚約破棄を言い渡された後だったからだ。もうどうしようもない状況ならば、別の道を模索するだろう。だからお父様は、私の説得にかかったのだ。
「つまり、貴族派にも話を持っていっていない、というわけか」
「おそらく」
「それでは俺が公王様に話を持っていったら、貴族派は真っ先に潰されるだろうな」
「これ幸いにとミュンヒ先生の話を湾曲して、一方的に私を悪者に仕立て上げれば可能でしょうね。貴族派はお父様から何も聞かされていないのですから、裏づけを取れないまま、やられてしまいます」
だからこそ、未だにエミリアン王子は強気なのだ。ミュンヒ先生の行動も公王様の行動も、手に取るように分かるからだ。
しかし、一つだけ盲点があった。私を未だに『オリアーヌ・カスタニエ』だと思っているところだ。プライドの高いオリアーヌが、父親に泣き寝入りなどしないと思っているのだろう。ましてや、エミリアン王子を他の女、というだけでなく、男爵令嬢に取られた、などと口が裂けても言えない、と思っているに違いない。
だけど私は違う。公爵令嬢というプライドもなければ、羞恥もない。私の目的は婚約解消をして、修道院へ行き、前世と同じシスターになることだ。
「だからこうして、先にお父様へ連絡しているのですが……」
「すぐに気持ちを切り替えることは、まずできないだろうな。俺がカスタニエ公爵の立場だったら、同じ判断を下すだろう」
「ではやはり、ここは持久戦でいくしかないですね」
学園を出られないから、手紙を出しまくるしか、方法はないだろうけれど。
「あとは俺たちの噂を、もっと広げてもらうしかないだろうな」
「い、今以上にですか?」
「それしか方法はあるまい。一番いいのは、社交界にまで届くことだが、そこまでするとさすがに学園長も怒るか」
いや、私が堪え切れるのかが心配だった。今だって、ミュンヒ先生のやり方についていけない時があるというのに、これ以上は……。
けれど転機は、思わぬ方向からやってきた。