しかし本当に、ガキだったのはどちらだったのか。それを問いたくなったのは、さらに一週間が経った日のことだった。
「オリアーヌ嬢。今日もすまないが、この後の片付けも含めて頼んでいいか?」
教卓の上にある荷物を片付けながら、ミュンヒ先生が私に向かって声を掛けてきた。
他の教科の後でも容赦なかったのだから、自分の授業では……まぁ言うまでもない。さらに授業中も頻繁に私を指していたため、ミュンヒ先生の声に騒ぐ者は、ほとんどいなくなっていた。
代わりに注がれる無遠慮な視線。その意味するところまではまだ、私も測り兼ねている。
傍から見れば、私のしている行為は浮気と同じ。けれど相手がミュンヒ先生だからなのか、それともエミリアン王子もまた同じことをしているからなのか。誰も言及してこなかった。
逆に突っかかって来たのは、この人。
「片づけくらいなら、ご自分でやったらどうですか?」
そう、エミリアン王子だ。私が返事をする前に、ミュンヒ先生に言い放った。それも嫌味ったらしい声で言ったものだから、当然の如く、ミュンヒ先生もその喧嘩を買う。
「誰も片づけとは言っていない。なんなら、王子が俺の代わりにしてくれても構わないぞ」
「どうして僕が!」
「お二人とも! 雑用くらいで騒がないでください。片付けも用事も、私がいたしますので。よろしいですか?」
そう言ったものの、これで納得する二人ではない。
けれど私は元々、牧師様とボランティアで時々手伝いに来てくれる方々で教会を回していたから、雑用を任されることには慣れていた。こうして呼ばれることも、騒動を鎮めることさえも。
「返事がないので、勝手に了承したと捉えさせていただきます」
ないというより、聞く耳すら持たないといった方が正しい。だから私はすぐさま席を立ち、ミュンヒ先生がいる教卓へと向かう。それを妨げようとエミリアン王子も席を立つが、シルヴィ嬢に腕を取られて、身動きが取れない様子だった。
一応、婚約者という立場ではあるが、今の私の席はエミリアン王子と離れている。
始めはシルヴィ嬢に遠慮して離れていたような気がするけれど、今はどうなのだろうか。最近はミュンヒ先生に対抗する形で、エミリアン王子の気持ちは私にあるように周りには見えるかもしれない。
けれど彼の隣の席には、当然のような顔をしたシルヴィ嬢が座っている。
直接、本人の口から明確な言葉をもらっていない。くれたのは、ミュンヒ先生だ。
「エミリアン様。ここはオリアーヌ様の言う通りにしましょう? ねぇ」
「シルヴィ嬢。だけど、オリアーヌ嬢にばかり頼るミュンヒ先生はどうかと……――」
「う~ん。でもエミリアン様はミュンヒ先生のお手伝い拒否したのだから、それを言う権利はないと思うの」
シルヴィ嬢は気づいているのか、ヒロイン特有の天然を装っているのか、彼女の言葉はエミリアン王子の胸に突き刺さった。それもストレートに、グサッと。
「代わりに私がお手伝いしてもいいのだけれど……」
ピンク色の前髪から覗く、その愛らしい緑色の瞳で、こちらを見すえる。相手は最近、エミリアン王子と敵対しているような態度のミュンヒ先生だ。さらにその横には婚約者である私もいる。
誰がどう見ても、手伝いたくても怯えてできない構図に見えるだろう。
私だってそう見えるのに、なぜかシルヴィ嬢の視線が怖かった。
エミリアン王子の心を、自分のところに留まらせておけないのは、貴女の責任でしょう? それに私はこうして拒絶している。
相手に響かなくても、いずれシルヴィ嬢がその心を掴むと思っているからだ。
「生憎だが、俺はオリアーヌ嬢に頼んでいる。手伝う気が元々ない者に、してもらいたくもないしな」
「っ! それでは双方の意見が一致した、というわけで、エミリアン様。私たちもそろそろ、行きませんか? 折角の外出届を、無駄にしたくありませんもの」
「……外出」
そうか。今はそのイベントの真っ最中なのか。
確か乙女ゲーム『救国の花乙女』では、エミリアン王子との外出で、キーアイテムを買ってもらうイベントがあった。筆頭攻略対象者だから、好感度がそんなに高くなくても、早々に重要なイベントを発生できたから、よく覚えている。
逆にミュンヒ先生のように、接点の低い攻略対象者は好感度が高くないと発生しないのだ。
「……したいのか?」
「え?」
「外出だよ」
「……勿論、したいです。だけどこの通り、私と一緒に外出してくれる友達がいないので」
ミュンヒ先生が小声で優しく話しかけてきたから、私も思わず本音が漏れた。
その発言が、シルヴィ嬢とエミリアン王子に対抗して言ったことだとは分かっていた。けれどいつも、エミリアン王子と言い合っている時のニュアンスと違っていたから……つい私も、ミュンヒ先生の傍にいるのをいいことに、口走ってしまったのだ。
けれど恥ずかしさの方が勝った私は、それを隠すために、黒板の文字を消していく。
後ろからは、生徒たちが椅子を引く音や扉を開ける音などが聞こえてくる。その中には勿論、エミリアン王子とシルヴィ嬢もいるのだろう。
これ見よがしに「わー、楽しみ! 私、首都にあるお店は、どこも初めてだから」と聞こえてきたのだから、間違いない。
シルヴィ嬢はアペール男爵に引き取られてすぐに、この学園に入学させられたのだ。
アペール男爵家は首都にタウンハウスを設けられるほど、歴史のある家門ではなかったが、お金だけはあった。だからホテルを借りて、一通りの支度を整えさせてから、シルヴィ嬢を学園に送ったのだ。
その間にマナーも学ばせていたから、ホテルの外に出る余裕などはない。私もシルヴィ嬢も、首都の街を知らない、という意味では同類だった。
だからといって、シルヴィ嬢が羨ましいなど……この元シスターである私が思うはずがない。そう、思うなんて……。
「そんな顔をするな。落ち着いたら、俺が連れて行ってやる」
いつの間にか手を止めていた私の頭に、ポンとミュンヒ先生が手を乗せた。さっきも、シルヴィ嬢の視線から守るように、私の前に立ってくれたり、拒否してくれたりしてくれた。ミュンヒ先生もまた、攻略対象者なのに。
その行為が彼女の心に、どのくらいの火をつけたのか。私がそれを知ったのは、すぐ後のことだった。