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前略 学園に入学してからしばらく経ちますが、公爵邸のご様子はいかがでしょうか。お父様もまた、元気にしていらっしゃると思います。
この度、不測の事態が起こったため、急遽、筆を取った次第です。それはエミリアン王子が、学園内で私ではない女性と懇意にし始めたこと。
元々、私とエミリアン王子の婚約は政略的なものですから、いずれはこうなることは予想していました。
このようなお手紙を差し上げる時点で、お父様もお気づきになったでしょう。私はエミリアン王子に嫌気がさしました。
だからこのまま、エミリアン王子の意向に沿い、婚約解消の手続きをしていただけませんでしょうか。エミリアン王子の動向は、アンスガー・ミュンヒ侯爵様より公王様に伝わるはずです。
それにより、公王様がエミリアン王子を叱咤するのならば、こちらが先手を取る必要はないと思います。けれど婚約破棄を言い渡されたら、どうなるでしょうか。後手に回って難癖をつけられる前に先手を打ち、優位に話を進める方が得策だと思います。
至らぬ娘の願いではありますが、お父様ならば、カスタニエ公爵家の未来のために、最善の手段を取ってくれると信じています。
どうぞよしなによろしくお願いいたします。
草々
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絵柄も何もない便箋に、とても父から娘への手紙とは思えない文章だと思った。だけど私の中にあるお父様との思い出は、死に戻る前の一幕のみである。私を庇ってくださったことから、親子の関係は良好だと思うのだけれど、オリアーヌ・カスタニエとして残っているお父様の記憶は、厳格なイメージだった。
オリアーヌが乗り気だったとはいえ、婚約を強引に進めたり、令嬢なのに貴族の会合に連れて行かせたり。お父様なりに、貴族派のことを考えての行動だったのだろう。カスタニエ公爵家はその筆頭家門。貴族派が力を持てば、カスタニエ公爵家もまた繁栄するのだ。
繁栄することはイコール公妃となったオリアーヌのいい後ろ盾になる。これに関しては、鶏が先か卵が先かという問題と一緒で、オリアーヌが公妃として力を持てば、カスタニエ公爵家並び貴族派も力を持つことを意味しているから……何とも言えない。
それでも、死に戻る前のお父様の反応に、私は望みをかけた。人は窮地に立った時ほど、本性を表すものだからだ。そして私は、シスターとしてその姿を教会で何度も見てきた。
どうか、この願いを聞き届けてくれますように、と思いながら便箋を四つ折りにして、飾り気のない封筒に入れた。前世の時から憧れていた封蝋も、オリアーヌの記憶のお陰で手間取らずにできたのも、嬉しい誤算だった。
それを翌朝、寮の郵便物を管理している者に、急ぎで送ってもらうように頼んだ。
「とりあえず、こっちの問題は返事が来るのを待つだけ」
残りの問題は……これからだった。そう、エミリアン王子に告げた私とミュンヒ先生との関係だ。
***
一週間後。私の予想に反して、学園内は穏やかに過ぎていった。あの放課後での一件を見た限り、エミリアン王子が何かしらアクションをすると思っていたのだ。
私やシルヴィ嬢と違い、エミリアン王子は転生者ではない。十七歳という、れっきとした年頃の男子生徒。さらにミュンヒ先生が発した『相変わらずガキだな』という言葉を総合すると、腹いせをするタイプだと思ったのだ。
しかし箱を開けてみれば、何もない。思った以上に紳士だった。いや、これも乙女ゲームの攻略対象者だからだろうか。あんな態度を取るミュンヒ先生だって紳士なのだから。
「オリアーヌ嬢はいるか?」
そう思っている傍から期待を裏切られた。
お陰で一気にざわつく教室内。幾何学の先生までもが驚いている様子だった。
「ミュンヒ先生。オリアーヌ嬢に何か用でしょうか?」
あの一件があったからなのか、ここぞとばかりにエミリアン王子が
「ちょっと手伝ってもらいたいことがあってな。構わないだろう?」
「手伝いなら、他の生徒でもよろしいかと思いますが」
「自分が、とは言わずに他の生徒に押し付けるとはな。それで、率先して手を挙げる者がいると思うのか?」
「それは日頃の行いでしょう。ミュンヒ先生は生徒に人気がありませんから」
「では、王子の人脈に頼ろうとでもするか。お前の人気ぶりを見てやろうじゃないか」
あぁ……なんて大人げないのだろうか。あぁ言えばこう言うの罵り合いになっている。
ミュンヒ先生は教師だが、侯爵という位で、相手はエミリアン王子だ。幾何学の先生でさえも、間に入ることができずに困惑していた。おそらく割って入れる人物は……私しかいないだろう。
乙女ゲーム『救国の花乙女』のヒロイン、シルヴィ嬢はというと、なぜか教室の後ろの方で高みの見物をしていた。ここはエミリアン王子の肩を持ち、好感度を上げるチャンスではないのだろうか。それとも、ゲームにない場面だから、下手に前に出るのは危険だと思っているのかもしれない。
ということは……やっぱり私か。
「お二人とも、そこまでです。周りをご覧になって? 皆さんが困っていらっしゃるのが見えませんか?」
「オリアーヌ嬢……」
そう言って近づいて来るエミリアン王子を避けて、私はミュンヒ先生の傍に寄った。ここで婚約者としてエミリアン王子を立てるのが普通だが、下手に期待を持たせたくなかった。
「これ以上、皆さんを困らせるわけにもいきませんので、ここで失礼いたします。参りましょう、ミュンヒ先生」
「あぁ、そうだな。オリアーヌ嬢」
もしもここが社交界だったら、ミュンヒ先生の腕を取っていたことだろう。それができないことに歯がゆいと思っていたら……。
「っ!」
腰を掴まれて、思わずミュンヒ先生の顔を仰いだ。
「や、やり過ぎです!」
「そうか? このくらいしないと、向こうは諦めてくれないぞ」
「……一応、まだ婚約者ですから」
望みはなくても、この肩書は強い。
「自分のメンツを守るため、かもな」
「え?」
「俺たちの関係を告げても尚、オリアーヌ嬢に固執する理由だよ」
「……肝が小さいのですね」
「前にも言っただろう。ガキだと」
クククッと笑うミュンヒ先生につられて、私もまぁと驚きながらも笑ってしまった。それをすれ違う生徒たちが、奇異な目で見る。けれど私とミュンヒ先生は、気にせずに廊下を歩いた。