目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

第7話 揺れ動く心

 似たようなもの、とはどういう意味だろうか。


 私はミュンヒ先生に横抱きにされたまま、研究室にある小さな応接セットの長椅子に座らされた。もちろん、隣にはミュンヒ先生がいる。


「あ、あの……」

「何もするつもりはない。安心しろ。このまま帰すわけにはいかないから、連れてきただけだ」

「そう、ですか」


 何を私は期待しているの? さっき、キスをしたばかりだから? それとも、唐突に「俺の女になれ」と言われたから、変に意識してしまったのかもしれない。


 あとは……ミュンヒ先生が攻略対象者だから、というのが大きい。ずっと画面越しに見ていた相手に求められるのは、悪い気がしないからだ。

 エミリアン王子の場合は、転生直後の印象が悪すぎて、今更気持ちがあったと言われても、受け入れられない。


「すぐに帰れば、また王子が接触してくる可能性もあるしな」

「あっ、確かに。さっきのことといい重ね重ね、ありがとうございます」

「いや、お前さんが王子と共にいるのを想像したくなかっただけだ。気にするな」

「っ!」


 思わず、気にします! と言いそうになった口を手で塞いだ。そのままうつむき、顔を隠す。


 本当に油断ならない。今までは乙女ゲームの中にいる実感はあっても、生き残ることを目標にしていたから、自分が攻略対象者と恋をするなんて思ってもみなかった。こんな風に口説かれることも、また……。

 だからこそ、気になることがある。


「……独り身が長いと言っていましたが、女性の扱いに手慣れていませんか?」

「なんだ? 妬いてくれているのか?」

「違います!」

「……侯爵ともなるとな、色々な話が舞い込んできては、厄介な事案に巻き込まれる。公爵家もまた、同じではないのか?」


 そういわれても、私は転生してから実家であるカスタニエ公爵家に帰ったのは、たった一度きり。家族との会話はあっても、婚約破棄された直後に次は、なんて話をしている暇はなかった。それどころか、公爵家の中にいたスパイに毒殺されたのだ。


 頼りになるのは、オリアーヌの記憶と乙女ゲームの設定。


「私はミュンヒ先生のように爵位をたまわっておりません。お父様の元には、そのようなお話が来ていたのだと思いますが……昔の私はエミリアン王子が好きだったので、見向きもしなかったのでしょう」

「嫌気がさしたのは、アペール嬢が原因か?」

「はい。授業の前にあった、教科書紛失の件でもお分かりいただけると思いますが、シルヴィ嬢から度々、絡まれておりまして。その原因を作ったエミリアン王子を、これまで通りお慕いするほど、私はできた人間ではありません」

「だから修道院へ、か。分からんでもないがな」


 研究室に入る前も、ミュンヒ先生は同じようなことを言っていた。けれどその先を言わない以上、聞くのは野暮だろう。

 好意を示してくれたり、婚約解消の協力をしたりしてくれているが、私たちが接した時間は、ほんの僅か。信頼関係は気薄といってもいい。

 シスターだった時は、その肩書があったから相談してくれたけれど、今は公爵令嬢だ。ミュンヒ先生が話してくれるまで待とう。


 それに、大事な話はまだ終わっていない。私は苦笑しつつ、話を切り出した。


「皆が皆、ミュンヒ先生のように理解してくれれば、エミリアン王子との婚約解消も容易にできると思います」

「確かにな。それができたら苦労はしない。だが、公王様は貴族派をよく思っていないから、これ幸いと許可を出してくれるだろう」


 お陰で死に戻る前、エミリアン王子に婚約破棄を言い渡されたのだ。


「逆にお父様の方は難しいと思っています。シルヴィ嬢が入学してくる前までは、私も乗り気でしたから、今更言われても困る、と言われ兼ねません」

「この婚約は、貴族派にとって大事な案件だからな。そう易々とは覆せないだろう。だが、カスタニエ公爵は学園の出来事を知らない。王子の不貞や心変わりをしたことを伝えるのが妥当だろうな」

「はい。すぐには無理だと思いますが、説得して見せます」

「俺との噂も、いつカスタニエ公爵の耳に入るか分からんしな。俺の方でも考えてみる」

「っ! ありがとうございます!」


 ミュンヒ先生は公王様に進言できる立場だから、貴族派とは考え辛い。王権派、中立派。そのどちらかであったとしても、心強いことには変わらないだろう。


 私は早速、お父様に出す手紙の内容を思案した。



 ***



「送っていただき、ありがとうございます」


 寮の前で、私はミュンヒ先生に向かってカーテシーをした。背の高いミュンヒ先生越しに見える空は、すでに星がいくつも輝いている。


 今後の学園での振る舞いを話し合っていたら、ついつい遅くなってしまったのだ。


『俺への返事はいつまででも構わないが、王子だけではなく、学園全体を騙すことになる。お互い、辻褄は合わせておいた方がいいだろう』


 教師と生徒の恋愛は、いわば禁断の関係。エミリアン王子とシルヴィ嬢の身分を越えた関係と同じく、盛り上がる話題である。だからこそ、ミュンヒ先生も攻略対象者なのだ。


 障害が大きければ大きいほど、恋は燃えるもの。古典的な考えかもしれないが、古くから親しまれる現象だから、今も尚、ウケるのだろう。

 当て馬となった私こと悪役令嬢オリアーヌ・カスタニエにとっては、堪ったものではない。毒殺EDなど、以ての外だ。


 話をしている内に、その時のことを思い出したのか、ミュンヒ先生が心配するほど私の顔は青ざめていたらしい。夜道を寮まで送ってくれたのは、それが理由だった。


 あとは攻略対象者らしく紳士的な性格が、そうさせたのかもしれない。だって、攻略対象者は乙女ゲームをするユーザーの憧れ。こんな人と恋愛をしてみたいという願望から生まれるのだ。


 現に私はミュンヒ先生に心が傾きかけていた。こんな短時間で……これが乙女ゲームの怖さだと思わざるを得ない。


 多くの乙女たちの心を鷲掴みにするために用意された、魅力的なキャラクターたち。彼らに愛されたい、と思わせるほど、女性の理想を具現化した存在だ。そうシルヴィ嬢が、わざわざ私を排除してまでも欲しいと願う存在。


 だけど私の場合は、また違うような気がした。この世界に転生して、これほどまでに私のことを考えて、一緒に打開策を練ってくれたのは、ミュンヒ先生だけだったからだ。


『このまま俺の女になれ』


 部屋に入った途端、考えないようにしていた思考が一気に爆発した。思わずベッドに駆け寄り、その前で跪いた。両手を組み、肘をベッドの上に乗せる。

 まだ寝る時間ではないが、拝まずにはいられなかった。


 神様、私はどうしたらいいですか? このチャンスをくれた神様に仕えたい……けれど、私のために動いてくれるミュンヒ先生を蔑ろにしたくはありません。

 どうか、どうか私をお導きください。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?