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第6話 演技だったはずが……

「な、何をするのですか!?」

「ん? 婚約解消の手伝いをしているところだが?」


 ミュンヒ先生はさらに、エミリアン王子に聞こえないように私の耳元で囁いた。


「それは有り難いのですが、ここまでする必要があるのでしょうか」


 親密に見せるだけなら、肩を掴むだけでも効果的だと思う。現に、エミリアン王子はシルヴィ嬢に対してやっている行為だった。だから皆、シルヴィ嬢がエミリアン王子の恋人だと思っている。


 すでに私たちは、抱き合っている姿を見せつけているのだ。これ以上の行為に意味なんて……ない!


「あるに決まっているだろう。俺ももう二十五歳だぞ。独り身が長いから、信憑性を高めるためには、どうしても必要な行為だ」

「わ、分かりましたから、耳元で喋らないでください」


 甘いセリフを言っているわけでもないのに、ミュンヒ先生の口から出る低い声に、体の力が抜けそうだった。さすがは乙女ゲーム。攻略対象者に甘く囁かれただけで、こうなるなんて!


 あぁぁぁぁ! 今の私がどのような顔をしているのか想像もできないが、これではエミリアン王子に啖呵たんかを切った姿が台無しになってしまう。私は無理やりにでも気を取り直し、再びエミリアン王子に顔を向けた。


「……見ての通り。私たちはこのような関係ですので、先ほどエミリアン王子がおっしゃったように、公妃には向いていません。けれどこちらから婚約解消を言い渡すわけにはいきません。そのため公王様へ報告も含めた手続きなど、進めていただけると有り難いです」

「……本当にいいのかい?」

「それを願っているのは、むしろエミリアン王子の方ではないのですか?」


 どうして今更、再確認するようなことを言うの? 理解できないわ。まぁ、一番理解できないのは、未だに私を後ろから抱きしめているミュンヒ先生だけど……。


「確かに、オリアーヌ嬢の言う通りだ……けど僕は!」

「まるでオリアーヌ嬢に未練があるような言い方だな」


 ミュンヒ先生の言葉に、そんなはずは、と思ったがエミリアン王子の驚いた、いや図星をつかれたような表情に私も絶句した。


「それでしたらなぜ、私を疑ったのですか? この通り、私の気持ちはミュンヒ先生にあります。エミリアン王子にない以上、シルヴィ嬢に嫌がらせをする必要がありません」

「だけどオリアーヌ嬢……僕は!」

「王子。未練がましい行為は、さらに嫌われるぞ。なんなら、その想いを断ち切る手伝いでもしようか?」


 またこの人は何を言っているのだろう。簡単に断ち切ることができれば、こんな面倒臭い人物になっていない。というか、何を勝手にこじらせているのだろうか。

 それにどうやって? と思った瞬間、後ろから手が伸びてきて、私の顎を掴んだ。グイっと引っ張られて……。


「っん!」


 気がつくとミュンヒ先生とキスをしていた。幸いにもエミリアン王子を背にしていたから、私の呆気に取られた顔を見られることはなかった。いや、これもまた、ミュンヒ先生の計算通りなのかもしれない。

 だけどそれなら、本当にキスをしなくても良かったのでは……という思考は深い口付けによって、どんどん停止していく。エミリアン王子に見られているという、羞恥さえなくなるほどに。


「すまないが、これ以上は見せたくない。それとも、まだ諦めきれなくて、ここにいるのか?」


 つまり、私たちの関係は嘘ではないのだから、さっさと去れ、とミュンヒ先生は言っているのだ。

 私は私で、息を整えるだけで精一杯だった。さらに上手く立つことができず、そのままミュンヒ先生の上着を掴んでいると、先ほどよりも強く抱きしめられた。


 本当になんなのだろう。ミュンヒ先生といい、エミリアン王子といい……想定外のことばかりが起きて、頭がパンクしそうだった。私は婚約解消をして、修道院に行きたいだけなのに。

 すると、頭上から声が聞こえてきた。


「大丈夫か。王子はもう行ったから、演技をする必要は――……」

「こ、これは演技ではなく、腰が抜けただけです!」


 よく小説や漫画とかでそういう描写はあるけれど……まさか本当にキスだけでこうなるなんて……!


 恥ずかしさで目を瞑っていると、急に体が浮いた。横抱きにされたことで、今度はミュンヒ先生の顔が同じ高さになり、私はさらに顔を赤らめた。

 さっきは見ている余裕はなかったけれど、深緑色の前髪から覗く、私の髪と同じ赤い色をした瞳に吸い込まれそうだった。おそらく、そこに私が映っているからだろう。


「やれやれ文句の一つでも飛んでくるのかと思っていたが……俺に惚れたか?」

「っ! ち、違います! こういうことには不慣れだから……その……」


 前世がシスターだから、というのは言い訳だ。私が生きていた時代は、牧師やシスターだって結婚している。私がただ独身で……年齢イコール彼氏ナシの喪女だっただけで。


「つまり、王子にはまったく触れられていない、ということか」

「私に気があったとか言っていましたが、そんな素振りありませんでしたよ」

「……つまり、婚約者を取られた腹いせでもしたかったってことか。相変わらずガキだな」

「ミュンヒ先生は、エミリアン王子を昔から知っているのですか?」

「これでも侯爵だからな。そうでなければ、監視役に任命されない」


 あれは方便だと思っていたが、違ったようだ。ということは、想像以上に公王様からの信頼は厚いと見える。


「このまま、エミリアン王子との婚約解消はうまくいくでしょうか」

「そのためにここまで演技をした、といいたいところだが……」


 何か問題でも? と息を呑むと、まさかの爆弾発言が飛んできた。


「オリアーヌ嬢を手放したくなくなった。このまま俺の女になれ」

「えっ、でも私は、修道院に行きたいのですが」

「なぜだ? わざわざ窮屈なところに行かずとも、侯爵夫人になれば、今までと変わらない贅沢な暮らしができるというのに。それとも、やはりこんなおじさんは嫌か」


 ミュンヒ先生をおじさんだといったら、世のおじさんたちはどうなるのだろうか。

 まぁ、それはともかく。今の私は、ミュンヒ先生がいうように、オリアーヌ・カスタニエ公爵令嬢だ。彼女の記憶を辿ると、甘やかされるだけ甘やかされ、手に入れたいものは入れ、贅沢な暮らしをしていることが一目でわかるような生き方をしていた。

 前世の私ではできないような暮らし振りである。


 だけどそのことを口にするわけにはいかない。私が元シスターであり、転生者であると言っても、おそらく信じないだろう。

 折角、エミリアン王子との婚約解消を手伝ってもらっているのに、ここでミュンヒ先生の信頼を失うわけにはいかなかった。


「私はただ……静かに暮らしたいだけです」

「俗世が嫌になったわけか。だが、早過ぎないか? まだまだやりたいことがあるだろう?」

「ありません」


 やはり公爵令嬢が突然、修道院へ行きたいというのは無理があるのだろうか。


「まぁ、なんだ……その、あまり落ち込むな。ただ早過ぎると言っているだけで、非難しているわけではない」

「え?」

「俺も似たような考えで、この学園にいるのだからな」

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