「あぁ、そうしてもらう。と言いたいところだが、王族とカスタニエ公爵家との確執のことなど、正直どうでもいい。王子とオリアーヌ嬢の婚約も、政略的なものなのだから、お互いに愛人を作ったところで、誰も咎めやしないさ」
「ミュンヒ先生!」
それは先ほど、私たちの間で交わされた内容だっただけに、思わず過敏に反応してしまった。いや、急に私のことをオリアーヌ嬢と呼び方を変えたことに対してもだ。
学園内において、教師が一生徒を名前呼びする行為は、何もおかしなことではない。
だけど、なんでこのタイミングで?
さらに意味深な視線を向けられて、私はたじろいた。
「おや? オリアーヌ嬢は反対だったのか? さっきはあんなに熱弁していたというのに」
「は?」
今度は何をおっしゃっているのですか? 熱弁も何も、どうやったら婚約解消できるのかどうかについて話していただけで、誰も愛人の話はしていません! たとえ話として、ミュンヒ先生が挙げただけではありませんか!
そう言い返そうとしたが、ミュンヒ先生は私の返答など聞くつもりは、最初からなかったらしい。突然、腕を取られてそのままミュンヒ先生の胸に顔を埋められた。
他の教師と同じように、いつも研究室に籠っているイメージだったのに、想像以上の筋肉質で、胸板に触れているだけでも、それを感じた。
こらこら、今は転生してシスターではないといえど、なんてはしたない考えを……!
「今まで王子に遠慮していたが、実はこういう関係でね。そっちがオリアーヌ嬢を攻撃するのならば、俺も容赦しないというわけさ」
え? こういう関係って? まったく聞いていませんけど!?
「まさか、公爵家の令嬢ともあろうものが、ふしだらな!」
なんですって!
「それを王子が言うのか? 国の象徴でもある王族が、色恋沙汰に目がくらんで、正常な判断ができない。それを国民たちが見たらどう思う? 一貴族である俺らならともかく、そんな人物に国を預けたいとは、到底思えないだろうな。まぁ、今の俺でも思う話だ」
おそらくミュンヒ先生は、公王様に一字一句ありのまま伝えるだろう。エミリアン王子にはなんの義理もないのだ。逆に国のことを思えば、このままエミリアン王子の失脚を進言する可能性だってあるだろう。
しかしそれは、あくまで私が王権派と敵対する貴族派の筆頭、カスタニエ公爵家の令嬢でなかったらの話である。公王様はエミリアン王子よりも、カスタニエ公爵家の失脚を望んでいるのだ。どちらを天秤にかけるまでもない話だった。
そう、こんなの脅しにもならない。
私は悔しさのあまり、ミュンヒ先生のシャツを握り締めた。
「確かに、ミュンヒ先生の言う通り、王族としての振る舞いではなかったと思います。けれどオリアーヌ嬢も、いずれ公妃となるもの身です。よって、こちらもミュンヒ先生とのことを、父上に言うことができることをお忘れなく」
「構わんさ。いつまでも俺の女が、王子の婚約者でいるのは不愉快だったからな。婚約解消でもなんでもしてくれ。カスタニエ公爵からの苦情は、すでに覚悟している」
お、俺の女? 思わず動揺してしまったけれど、そうか。そういうことだったのね。
どうやらミュンヒ先生は、私のためにエミリアン王子との婚約解消を言ってくれているらしい。
確かに、このままお父様に相談したところで、王族と貴族派との溝を埋めるため、我慢してくれと言われ兼ねない。さらにいうと、目の前にいるエミリアン王子もまた、
そんなことはさせない。
折角ミュンヒ先生が、偽装恋人を演じてくれているのだ。私はミュンヒ先生の胸を押して、エミリアン王子と向き合った。
「私も覚悟はできています。それにこのまま、ずるずると婚約を続けているのは、シルヴィ嬢にとってもよくないでしょう。今日のことがいい証拠です。私との婚約を早く破棄してほしいがために仕掛けたことではないでしょうか」
本当は悪役令嬢に仕立て上げて、私を断罪するという乙女ゲームの筋書き通りにしたいと思っているのかもしれない。ここは彼女のための物語なのだ。完璧なハッピーエンドを邪魔する布石は早々に潰しておきたい、という心情なのだろう。
私はエミリアン王子の方へ、一歩踏み出そうとした。けれどその途端、後ろから伸びてきた腕によって、前に進むことができなかった。