案の定、私の思惑通りに進むことはなかった。それもそのはず。ここはシルヴィ嬢の物語であって、悪役令嬢オリアーヌ・カスタニエの物語ではないのだ。
「どうしよう。教科書がない」
まるでこの世の終わりとでもいうようなリアクションで、周りに訴えかけるシルヴィ嬢。その矛先はもちろん、私オリアーヌ・カスタニエである。
知らないわよ。教科書がないのなら、現在攻略中のエミリアン王子に見せてもらえばいいことでしょう。
ついでに、肩を寄せ合って一緒に見ればいいのよ。そうすれば、好感度もアップするのではないかしら。あと、教科書を買ってもらうイベントを、自分から作るのも手よ?
今は悪役令嬢オリアーヌ・カスタニエだけど、これでも私は元シスター。迷える子羊の大半は人生の悩みだけど、話し相手を求める子羊の話題は恋愛だった。
それはもう、惚気から恨みまで。人の数だけ悩みがあるように、恋愛もまた同じ。
乙女ゲームのヒロインは、本来受け身だけど、ここは敢えて攻めてみるものよ! そう、私ではなく、攻略対象者に!
私が内心、そこまで進めるのには訳がある。
あの邂逅以降、触らぬ神に祟りなし、とばかりに私はシルヴィ嬢を避けに避け続けていた。それなのにも関わらず、彼女は何かっていうと、このように突っかかって来ていたからだ。
たとえば、花壇で草むしりをしている時。
前世では庭師を雇うような、裕福な家でもなく、通っていた教会もまた、財政に厳しかった。それでも気軽に来られる場所になってほしくて、花壇にお花を植えていた。
誰もが知る、チューリップやビオラ。長く咲く、ナデシコやゼラニウム。育てやすい、マリーゴールドやダリアなど、さまざまな花を植えた。
教会を訪れる者のほとんどが、沈んだ気持ちでいるため、少しでも癒しになればと思ったのだ。
けれど前世の時とは違い、ほとんど自分のためにやっている行為だった。悪役令嬢にならないと決めても、実際はどのように行動すればいいのか分からない。
とにかく目立つようなことは避けようと、取り巻きの子たちには丁重にお断りをし、シルヴィ嬢はもちろんのこと、エミリアン王子からも距離を置いた。けれど……。
「オリアーヌ様っ! 申し訳ありません、私が先生から頼まれていたのに……お手を煩わせてしまって」
草むしりをしていると、いかにも自分の仕事を私がやっているような口振りでシルヴィ嬢が近づいてきたのだ。それも目に涙を浮かべて。
「まぁ、そうとは知らずに……ごめんなさい、シルヴィ嬢。これからは気をつけるわ」
貴女に見つからないようにね、とその場を立ち去ったのが……やはりダメだったらしい。
そのあとも隙あらば、このように被害者を装って、私を悪者に仕立てようとしていた。
今回のこともそうだ。乙女ゲームによくある嫌がらせを持ち出してくるところが、いかにもだと思った。けれど、そのようなことを言えるはずもなく。さらに前世がシスターであるため、神様に誓ってやっていないと宣言したとして、誰がそれを信じるだろうか。
それに、こういうものはやっていないと言っている者が、いちばん怪しいのだ。
さて、これをどう対処しようか、と教室内を眺める。シルヴィ嬢は涙目になって、エミリアン王子に寄り添っている。まるで婚約者は自分だといわんばかりに。
一応、まだ婚約破棄されていないから、婚約者は私なのだけど……断罪してくる人間に未練はない。
「オリアーヌ嬢。心当たりはあるかい?」
「……いきなりご指名なさるのですね。それでしたら、こちらをお使いください。私の教科書です。不審な点があるようでしたら、隅々まで調べてくださっても構いませんわ」
「そしたらオリアーヌ嬢はどうするの? 教科書がないという理由で先生に怒られてしまうわ。まさかっ! それを理由に私を……」
最後まで言ったらどう? 虐めるつもりなのねって。私に敬語を使わないのも、そういう魂胆があってのことなのかもしれないが、そんなつまらないことでいちいち怒ってはいられない。
神様は隣人を愛せよっておっしゃっているでしょう? 困っているのなら、自分のものを分け与えなくては。それがシスターたるものの務め。今は元だけど、私の心はその時と変わらない。だから……。
「私のことはお構いなく。困っている方を見過ごすことは、私の流儀に反する行為なだけですから」
「それならば、シルヴィ嬢の教科書を探すのを手伝ってもらえるかな」
「エミリアン様っ!」
「私は大賛成ですが、シルヴィ嬢は反対のご様子ですね。どうしましょうか?」
本当にね! エミリアン王子もだけど、シルヴィ嬢もシルヴィ嬢もだ。
ちゃんと好感度を上げてから仕掛けなさいよ。こんな中途半端なことをされたら、私が困ってしまう……あら、いやだわ。さっき、シスターらしい気持ちになったばかりなのに、自分を優先するなんて。
「そうだわ。私、今日の歴史の授業はサボります。そうすれば、シルヴィ嬢にも迷惑がかかりませんもの。いいですわよね」
「でも、そしたらオリアーヌ嬢に迷惑がかかってしまうわ」
「あら、気遣ってくれるの? ありがとう。でも大丈夫よ。教科書は買い直せばいいことだし、歴史は図書館で勉強するから」
「すると、俺の授業はオリアーヌ・カスタニエ嬢には不必要のようだな」
一難去ってまた一難。今度は歴史の教師であり、エミリアン王子と同じ攻略対象者のひとりであるアンスガー・ミュンヒ先生が、教室に入って来た。
シルヴィ嬢よりも厄介な攻略対象者。できれば、こんな険悪な出会いはしたくなかった。いや、シルヴィ嬢の思惑を考えたら、いいタイミングで現れたわけだけど……。
「返答がない、ということは、当たりか?」
「話の前後も知らずに、決めつけないでもらえますか? ミュンヒ先生」
だからといって、負けるわけにはいかないの。
「知っているさ。そこにいるシルヴィ・アペール嬢の教科書がなくなったのだろう? それでカスタニエ嬢が、教科書を貸そうとしていた」
「はい。教科書がなければ、授業を受ける資格はない。ミュンヒ先生は、最初の授業でそうおっしゃったではありませんか。だから私は」
こうして大人しく退場しようとした。ことを大きくしないためにも、これが最善だった。
しかしこれは、あくまでも私の都合であって、ミュンヒ先生には関係がない。むしろ自分の授業を蔑ろにされたとお
神よ。隣人とは、どこまでを隣人というのですか? え、全部?
「ほぉ。アレを真面目に受け止める奴がいるとはな」
「では、アレは嘘だったのですか?」
「そうは言っていない。ただミスをすることは誰にだってある、ということだ。アペール嬢が忘れたのかもしれないだろう? だから今日はこれを使えばいい」
ミュンヒ先生はそう言うと、シルヴィ嬢に近づき持っていた荷物の中から、教科書を手渡した。そして小声で何かを言ったのか、シルヴィ嬢の顔がだんだん青ざめていく。
彼も攻略対象者なのに、どうして……?