蛍たちと別れた後、結々花はまっすぐ美果をアパートまで送り届けていた。
結々花の車の中、美果は目の前にある自室に着いてからも別れの挨拶を返さない運転席の結々花を覗き込む。
「結々花さん ? 」
「ねぇ、美果ちゃん。
中野みたいな男に靡かない、強いあなたが好きだわ」
「えっ !? はぁ……。ど、どうしました ? 急に」
「美果ちゃんはさ。ケイくんを助けたいけど、ルキをわたしがどうしようと関係無いよわよね ? 」
「ええ。それは勿論」
結々花は小さく微笑むと、エンジンを止めて美果に向き直る。
「美果ちゃん、わたしの組織に興味は無い ?
勿論、それなりに訓練はしてもらうけど……まだ二十歳でしょ ? 大学卒業からでも十分間に合うし……」
「ゆ、結々花さん。待って !
わたしにそんな気はありません、わたし絵描きですよ ? 」
「美果ちゃん、それもカモフラージュとしてとてもいいわ。留学してフランスで絵を学ぶとかどうかしら ? 」
突然の申し出に美果も困惑してしまう。
「あの……結々花さんってICPOでしょ ? わたし、警察官になるほどの体力とか無いし、英語もままならないのに……。一般の警察官がなるものじゃないんでしょ ? 」
「仏の本部に推薦するわ」
「いえ……そういう問題じゃなくて……」
「そうよね。急に言われても困るわよね。
でも、わたしも諦め悪いから付き合ってね♡」
「え……えぇ…… ? 」
ルキまで短期間で踏み込んだ美果の手腕を買っての事だったが、美果からすればクズのようなゲームの狂気だけが繋いだ間柄だ。
それでも結々花は美果を取り込見たかった。危険視したのは椎名の存在だ。
椎名の主人格 R はICPOの送り込んだヒューミント。Rが本当に他人格を掌握していればいいが……。
しかし、本当に信用できるだろうか、結々花にはギャンブルに思えてならない。
解離性同一性障害の症状、存在は知っている。それを本当にRは捜査に活かしきっているのだろうか。
一抹の不安。
もし椎名という、ルキの狂信者の人格が全てを支配したら……情報は筒抜けになってしまう。
結々花も潜入としてルキの組織にいるものの、ルキが自分の出処に気付いている以上、身動きが取れない状況だ。目標のMには、未だ接触出来ずにいる。
「なんなら、アルバイトでもOKよ ! 」
「絶対ないでしょそんなバイトとか……」
「うーん。資金は援助するから探偵さんになるとか」
「日本の駆け出しの探偵がICPOと繋がったりたりしませんよ……」
もちろん、探偵云々は冗談だが、結々花は自分のアセットに美果を組み込もうとする。
しかし美果は利用されるとすぐに勘づいていた。Mにいよいよ届くとなれば、結々花はおそらく良くて自分を守っても蛍のことは切り捨てるだろう。
美果にその気はないのだ。
「結々花さん。個人的に思うけど、焦ったら不味い相手なんじゃない ? あの白い男……Mって奴がヤバいんでしょ ? 」
「ええ」
「わたしなんて眼中に無いですよ。でも、怖いほど判断力が凄まじい。椿希って子、ケイ君と年も変わらないような子を、躊躇いなく腕を切り落として……それも、ひと目で利き手を見抜くような……」
「その事は聞いたわ」
「ですよね ? 聞いたって事は、誰か他にもスパイいるんでしょ ? わたしがやれることは無いわ。
それに、わたしはケイ君がいればそれでいいの。お願い。わたしとケイ君をほっといて」
「……そう。そうよね。確かにわたし、焦ってるのかも……。
でも、美果ちゃん。ケイくんがどうなるのかはルキが決めることよ。本当に守りたいなら考えないと」
仲間になり、ルキの機嫌を取れということか。
美果は混乱した頭がようやく冷えていく。元々、頭の回転は早い。
蛍とルキが、最早ただならぬ関係なことに気付いている。その事の方が余程、気がかりだった。
「……。まぁ、話しても良さそうな情報なら考えますけど……。わたしはケイ君ファーストですし。ケイ君がルキの奴を庇うなら、わたしもそうするのかも」
結々花は笑って頷くだけだった。
結々花には蛍がルキに奪われて、蛍と言う存在が美果が自分の目の前から消えることを許さないだろうと、そうとしか思えない。
この地点で、Rと結々花の交流不足が荒目立ちし始める。
「うん。分かったわありがとう美果ちゃん」
一先ず、引き下がる。
「大学のカメラの件、今までお疲れ様。もう大丈夫だからね」
「ええ。ありがとうございました。
では……」
美果が車から降り、ぺこりと頭を下げる。
「おやすみなさい」
「ええ。おやすみなさい」
結々花はアパートの階段を足早に登る美果を見届け、エンジンをかける。
「はぁ〜。振られちゃったわね。ままま、でも ? そんなに悪くない反応だったなぁ〜」
警察官からのキャリアが無理なら、個人的に結々花が雇える立場になってもらえばいいのだ。
それは難しい資格を必要としないものでいい。とにかくルキに食らいついた美果を利用できないか、結々花は考えを巡らせるのだった。
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時は過ぎ、午前十時。
目的地に着いたルキと蛍は、想定外の事態に陥っていた。
「……ッく」
青々とした芝生に膝を付き、ルキは両手を頭の上にゆっくりと上げる。
場所は湊市駅前。日々野高校や図書館と目と鼻の先の住宅地。ニュータウンとして山を切り崩した土地で、30坪程の一般的な住宅がひしめき合う。
その家の外壁は一般住宅と同じ様な外観だ。
だが造りまでそうでは無い。洋風建築の窓は厳重にフィルムが貼られ中は見えず、車庫もいつも締めっきり。二層の外壁で、隙間に硬質材料を流し込んだ防弾防音に特化したキングダム。
鳥避けの為に広げられたネットは二階建ての屋根から庭を巡り、空からの侵入経路も簡単ではなく、その不自然さを緩和するためにゴルフボールがこれ見よがしに転がっている。
「…… ! 何故なんだ……」
ルキが奥歯を噛み締めるそばで、蛍は同じく戸惑っていた。ルキがこんな醜態を晒している姿にだ。第二ゲーム戦に引き込まれたのを「醜態だ」と言っていたルキだが、蛍には今現在の方が余程ピンチに見えた。
「早く ! 」
目の前に銃口を向けられルキは仕方なく手を上げた。
「もっと上に !! 早くしろ !! 」
蛍には元々危険認識というものが欠けている。しかし、目の前のモノを天秤にかけることは得意なのだ。
だからこそ困惑した。
目の前にいるのは女だ。それもルキは今、武装している。
しかしこの女は、ルキの車が敷地に入るな否や、恐怖の大王のように二階から降りてきた。
女は凄まじい剣幕で、庭先の銃を手に取るとルキと蛍を跪かせて、それを躊躇いなく二人に向けたのだ。
「死ね ! 」
引き金が引かれた。
あのルキが誰かに命令されて、Mの他にも従うような……この女はそんな間柄の存在だったのだろうか。だとしたら、この扱いは何なのか。
もう終わりだ。
ブシャーーーっ !!!!
「だは !! ブハッ ! ちょっと、待って……グボグボ !! これは違……ゴホッゲフンゲフン !! 」
女性の握ったガンノズルが、無情にも高圧洗浄モードでルキの顔面を襲った。
「あんた ! その格好で ! あたしん家に入る気だったの !? 死ねよ ! マジで !! 」
シアー素材の混じったふわりとした黒いワンピース。綺麗な黒い巻き髪。顔の造作は人間と思えないほど整った、誰もが見蕩れるだろう美貌の持ち主だった。
「ガボッ ! そう言わ、ガボボないでよ〜。シャワー貸し……アイタタタ」
「ふん ! 穢らわしい ! 」
「ガハッ ! ま、真理さん ! せめてケイだけでも」
ルキが気を使うもので、真理と呼ばれた女性は、蛍を見るとあっさり頷いた。
「そりゃそうよ。あんたは外で待ちなさいよ。客より先に入れると思ってんの ? 」
「えー ? 一緒に入ろうよケイ」
濡れた犬のように上目遣いで甘えるルキを再び蛍は棒で叩くが如くキッパリ拒絶する。
「やだよ。って言うか、どうなってんの ? この人、誰 ? 」
「やだ……♡見た目以上にツンツンしててかっわい ! 」
女は蛍にはシャワーモードで優しく血液を流すと、ニコニコと話し始める。
「だってさぁ ? あたしも急に血まみれで来られたらびっくりするもん。ケイくんも知らない人に会わされてびっくりだよね〜 ? 」
「は、はぁ……」
「真理さん、息するように手懐けないでくださいよ」
ルキが蛍に耳打ちする。
(この人、昔アイドルだったんだ。何とかお姫様にしてやって)
蛍は心底面倒だと思いながらも、確かに見れば見るほど……どこかで見たような顔だと認識しだした。
「他人の家でイチャつくなっての。
あと、バスルームはあんたが最後に入って、掃除してから出ること。それが条件だけど、何か難しい事でもあるぅ ? 」
「いえ、掃除しますよ。しますから」
「ふん !
ケ〜イくん、 服脱いで ! 洗濯しておくわね ! 」
「あ……はい。
あの、もしかして……一色 まり……さん ? 『夏の乙女』の ? 」
「やだぁ〜 ! なんで分かるのぉ ? 」
仕事柄、年寄りの方が付き合いが……とは言えず。
「そりゃ、有名ですし。知ってます」
「んも〜 ! 嬉しいけど、今はもうただの一般人よ !
はい、タオル。玄関から突き当たり横にお風呂あるから」
紙タバコを咥えたまま、真理は蛍をバスルームへ行かせる。
「何あの子ケイくんってーの ? 可愛いわねぇ〜 ! いじめたくなっちゃう〜 !
まぁいいわ。あんた、これ人の血でしょ ? ちゃんと落とさないと病気になるわよ ? 」
「ええ……わかってますけど」
真理は庭でルキと二人。ベンチに並んで座る。
「ぐっちょぐちょ。靴くらい脱がせてくれてもいいじゃん。高いのにー」
「知ったことじゃないわ。なんなのその格好。相変わらずおかしな事してたんでしょ……」
「仕事だからさ」
「あんた昔から嘘が下手よね。その血は仕事じゃないでしょ ? ケイくんかぁ。可愛いわね〜。
いい事考えた ! あの子を連れて隠居しちゃえば ? 」
「彼も仕事の……半分は仕事の付き合いですし……彼には彼の生活がありますよ」
「あ〜ヤダヤダ。その隙の無い返事。
それじゃあ、いつまでもあの子と恋人にならなくない ? あんたに恋人が必要とは言いきれないけど。
だいたい何 ? なんでゴースト ? あんなのおっさんが乗る車じゃん。趣味悪 ! マセラティにしなさいよ」
「言いたい放題ですね……」
真理は一度煙草を消すと、今度はミントタブレットを口の中に流すようにしてボリボリ噛み砕く。
「ふん。あんたがあたしの生活を奪ったんだもの。恨みたらたらよ」
「貴女をMから離したかった。仕方が無かったんです」
「別に……頼んでないわ。あんたをこんな馬鹿なイベント担当にだけはさせたくなかった」
「……引退する時、御自信が暴れて過激なショーをしたせいでしょう ? 俺はそのままのスタイルを引き継いだだけです。
……ケイには真理さんの事は言わないで置こうかと思ってたんです。でも気が変わって……」
「ふぅーん。珍しい事もあるものね。あんた、他人に執着するんだ。
ねぇ……あの人も日本に来てるの ? 」
不意に真理の表情が曇る。
「ええ。でももう日本を発ちましたよ。十日前です」
「そう……。出来ればMに会いたくないの。生活に不便がないように時々、黒服が来るけど、電話だけで十分」
「お伝えしておきましょうか ? 」
「……その時は自分で言うからいいわ」
二人は互いに昔から一定の距離感は否めないが、共にMという怪人の元で暮らした運命共同体のような間柄である。
今はMと関係を解消され、地元である湊市へ戻り隠居生活をしていた。
「風呂上がって着替えたら、コンビニでアイス買ってきてよ」
「真理さん。そういうのは自分でお願いします。
せっかく息子が帰って来たというのに……酷くないですか ? 」
「うちはラブホじゃないわよ。息子と名乗るんだったら、畏まった話し方辞めなさいよ」
「息……子………… ? 」
ふわふわのバスタオルを頭にかけた蛍が、二人の会話につられて庭へ出てきた。
「あら、あたしのシャツだったけどサイズ同じね ! 」
サリエルに白いシャツを用意されていた蛍は、ふわふわと女子のようにコロンとして見えた。
その蛍は、真理が息子と呼んだルキを見て固まってしまった。
「今、ルキが息子……って??? 」
「彼女はね、Mの元妻だよ。そして俺の継母ってところかな」
「…… ? ルキの……母…… ??? 」
佐藤 真理。
この女、元アイドル 一色 真理という名で一世を風靡した。海外の富豪と婚約したというワイドショーの情報を最後に消えていった。
その後がルキのする真理の姿だった。
唯一Mの内縁となった女であり、ルキの乳母である。
自由奔放な女で、幼かったルキに対してもただの気まぐれで母親役を買って出た。
「ケイ……俺も木の幹からデロンと出てきた訳じゃないんだよ ? 幼い頃、世界中をMに付いて回ったけど、彼は育児までしないさ」
「今は佐藤 真理よ。本名なの。よろしくね」
「涼川 蛍です」
「うふー ! 可愛い子♡何歳 ? ルキが子供の頃を思い出すわね」
「16です。高一です」
「あらやだ。童顔なのね。えーと。じゃあ誕生日はこれからね。何月 ? 」
「11月です」
「そうなんだぁ。その年でMと関わっちゃったか……。
あたしはねぇ。アメリカでヘマしてギャングに捕まって。その時、Mに助けられたのよねぇ」
人が変わったように可愛らしい様子で話し出す真理。ルキは頭を抱えているが、蛍からすればクラスメイトの女子高生たちも似たようなものである。何ら驚くことでは無い。
「ルキあんた一人で臭いわよ。早くバスルーム行きなさいよ。使ったら床まで掃除してきなさいよ」
「う、うぐ……行ってくるよ……」
ルキが後ろ髪ひかれる……と言うよりは蛍に真理があらぬ事を吹き込みそうで気が気じゃない。
すれ違いざまに一言忠告だけしておく。
(真理さんは、俺の前任だよ)
(は !? 前任はよく知らないって言ったろ ?! 身内かよ ! )
(まぁ話せばわかるよ)
そんな言葉を残して、ルキはバスルームへ向かった。
真理は蛍をガーデンテーブルに座らせると、一度キッチンに消えた。
あのMの妻……。
それもルキの前任のGM。
見た目はルキの姉と言う程の年齢だ。歳が近すぎる。元アイドルなら納得だ。類まれなる完璧なプロポーション。シンプルなワンピースが豪華なドレスに見える程に。
「あなた、ゲームに出てるの ? 」
「……はぁ」
「何回目 ? 」
「三回です」
「まだ三回 ? それにしては仲がいいわね……って言うか、だったらあなた殺されないんじゃない ? 」
真理は今までのルキを知っている。
蛍にも聞きたいことはあったはずだ。しかしいざとなると、何もでてこなかった。ルキの過去など興味が無い。
しかし真理は勝手に話し続ける。
「ねぇ、あいつが何分で風呂から上がるか賭けましょうよ」
「……賭け事はちょっと…」
「勝ったら、勝った分だけあいつの秘密教えるわ」
「やります」
「きゃははは ! 最初はあたしの勝ち〜 ! 」
「マリさん !! 」
ルキはなかなかバスルームに行く覚悟が出来ず、結局戻ってきて真理を咎める。
「やめてください、そういうのは ! 」
「俺は聞きたいけど ? 」
「何を ? 俺の話 ?」
「まぁね。真理さんの言葉には裏が無いし」
ルキはベショベショのまま野良犬のような顔で心底参った様に呟いた。
「うぅ。複雑すぎる。ケイに隠し事はしないけど、真理さんに遊ばれるのは嫌だ。
真理さんが苦手。だから俺は美果ちゃんも嫌いなんだよ」
「知らないよそんな事」
「なぁ〜にブツブツ言ってんのよ。早く入ってきな !!
あたしも知らないわよ、ねぇ ? ケイ君〜」
「ええ」
確かに歳や背格好は違っても、どこか美果の持つさっぱりとした態度は真理と似たものを感じている。
「ねぇ。誰なの、美果ちゃんって。ねぇーねぇー。そんなにあたしと気が合いそうなら紹介しなさいよ」
「「それはちょっと」」
「なんでよ ! そもそもあんたら。何しに来たの ? 」
真理の疑問にルキが答える。
「落ち着く場所を探して……」
「落ち着く場所ね。まぁ好きなだけ居たらいいわ。
ケイくん何飲む ? 」
「あ、いえ。なんでも」
「なんでもはダメ」
「え、と。緑茶で」
「良いわね ! あたしも好きよ ! グリーンティー。日本の精神よねぇ」
真理がキッチンへ向かう中、ルキが蛍に耳打ちする。
(マヨネーズをジョッキで、とか言えばいいじゃん。少し困るくらいで丁度いいんだ、あの人)
(それじゃあ、俺が変人になるだろ)
「聞こえてんぞ、馬鹿息子〜 ! 」
(もう、ヤダヤダ地獄耳 ! )
こんな状態のルキは新鮮さを感じる。
蛍は思わず、表情が和らぐのだった。