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第9話 それぞれの朝

 美果は駅前に車を乗り捨て、まだ営業している居酒屋の中でも明るい店を選び入って行った。

 何となく、人のいる明るい場所へ身を置いた。あのまま一人暮らしのアパートに帰るのが怖かったのだ。


「それで盆には帰省するからぁ、お袋がすげぇ玩具とか買うんだよぉ」


「分かるわぁ。嫁がうるせぇのなんの……無限オヤツとかなぁ」


 泥酔したサラリーマン達が近付く長期休暇に不貞腐れていた。

 日常的な会話だ。

 小さな個室のテーブル席で、襖を隔てて隣の会話を耳に流していた。


 少しのお通しと、冷や奴にレモンサワー。

 全く酔わない頭で空になったグラスを置き、再びメニューに目を通す。


 少しほろ酔いになった頃、ようやく周囲を見る余裕が出てきた。


 手描きのメニューのデザイン文字。よく洗練されている味のある書体だ。

 壁に貼られたビールのキャンペンガールの水着。清楚なイメージはそのままにセクシーに大胆に、ビールの色合いと合わせる。

 狭いビルディングに所狭しと並ぶ個室と賑やかなカウンター席の共生空間。間取りと窓の数。仕切りを襖にして音が漏れる。店の外側からでも繁盛さが分かる明るい接客。


 美果の目には全てがデザインの世界で映る。


    恐怖しか無かった。そんな極限状態で作業をしたことは無いし、これからも無いだろう。とにかく生還した。この命を大事に生きようと誓う。


 そして冷静になった時、ふと思い出し、疑問を抱いてしまったのだ。


 ──涼川 蛍の作品は、本当にアートだっただろうか ?


 壁に画鋲で付けられ垂れ下がっただけの物が、パーティルームとは笑わせる……そう思うと、思考が止まらなくなった。


 空間を使うアートならば、縦も横も、奥行も全てが審査対象。

 蛍の最初の部屋は天井や、画鋲の使えない窓際は手薄だった。


 使えるアイテムは、言えば黒服が用意し持ってくる。

 パーティ用のリボンでもオーナメントでも、用意されたはずなのだ。

 既製品なら時間の短縮にもなる分、もっと豪華に仕上げられたのでは無いか ?

 異常な状況で、感覚が鈍っていたのでは無いか ? もっと立体的に。どこを切り取って見ても美しいように。

 同じ作業をするならば、自分の方が上手く飾れたはず。しかし、その発想が出てこなかったのは事実だ。


 だが、やはり。


 あれは総合点での評価。

 一部屋ずつ見れば、何のことは無い。


 そう思ってしまった。


 自分のデスマスクにも購入者が付いていた事を考えれば、単純に残酷さだけを求められていた訳では無いのだろうと考えたのだ。

 ルキが言う通り、判断するのは観覧者。

 つまり観覧者の反応が良ければ、ルキが理解しなくとも生還出来るゲームなのだ。


「……ちくしょう……」


 それでも蛍の方が上に評価された。

 美果はそのせいで、不味い酒を流しこむ事になったのが不満だった。


 □□□□□


「ただいま」


「蛍 !! 」


 案の定、重明は起きていた。

 廃校に行ったのは夕方だったと言うのに、時刻は既に0時を過ぎていた。


「おい、香澄ちゃん知らねぇか !? おめぇ、一緒に居なかったか !? 」


 いつもは登下校中、ピッタリと香澄の方から付いてくる。重明が蛍にそう聞くのも無理は無い。


「今日は帰り別だったろ ? 親が迎えに来るって本人に聞いたし」


    重明自身が蛍を図書館の側へ送っている。香澄の両親の待ち合わせ場所は学校周辺だ。実際、香澄とは放課後会っていないのだから問題は無い。


「それが、いねぇんだとよ。待ち合わせ場所に来なかったって。

    今も商店街の皆、探してんだよ ! 」


 蛍はルキに返されたスマホを見る。


 最後に蛍にかかってきた香澄の着信は消されていたのを確認済だ。

 しかし蛍にも聞きたい事がある。


「なんですぐ連絡くれなかったんだよ。俺、疲れて噴水の側のベンチで寝落ちしてたんだ。

 いつもは俺の帰りが遅いと連絡してくるくせに」


「いや……俺が帰って……。奥さんがうちの娘はまだなんだ〜なんて言ってるうち、旦那からどこ探してもいねぇって話になってよ……」


 重明は蛍に連絡をしなかった。

 出来なかったのだ。


 息子と仲のいい幼馴染の女子高生が行方不明になっているのかもしれない。長年見てきた息子と同い年の女の子。とても連絡無しに待ち合わせをすっぽかして、夜になっても帰らないタイプとは思えなかった。

    だからこそ余計に危惧した。


 もし息子に連絡が付かなかったら……。

 もし電話越しに聴こえたくない物音が耳に入ったら……。


 悩みながら、酷だとは分かっていても、息子の蛍がもし何か関わっていたとすれば……知りたくない。

    知られたくない。

    知らなくていい。

 誰にも言いたくない。

    それが親の本音だった。


「ほ、本当か…… ? 」


「うん。酷いよな。図書館だって警備員とかいるじゃんあそこ。防犯カメラに写ってるだろうし、高校生が夜に寝てて起こさないって酷すぎる」


「……ああ……そう、そうだな」


 蛍はその場で香澄のスマホに着信を入れてみる。


「……香澄に繋がらない。

 着替えて来る。俺も探しに行くよ」


「ああ。そうだな」


 香澄の心配では無い。

 蛍が何もしていないと言う言質。


 重明が安堵しているのを、蛍は階段の上で自室にバッグを放り込みながら鬱陶しそうに眺めおろした。

 外では車が何度も行き来し、皆が香澄を探して外に出ていた。


「学校には誰か行ったの ? 」


「あっちは先生が手分けしてる」


「電車を逆方向に乗り間違えたとか……」


「……いや、それなら連絡取れるだろう。

    海の方に行ってみるか。まさかだが……」


「学校に行ってからは落ち着いてたよ。そんな風には見えなかったけど……」


「優しい子だからな。一応だ。何も無ければそれでいいんだ」


「まぁね」


 やがて天候は雨に変わる。

    蛍は重明と軽トラに乗り込み、浜の灯台方面へと向かった。車窓に頬杖を付き、窓の外を見る。

 星はもう見えなかった。


 □□□□□


「オークションは一週間後ですが、上が引き継ぐそうです」


 スミスの報告にルキが顔を顰める。


「全く。そう言うところは抜け目がないな」


 頬杖をつきながら高速道路の高い塀を見上げる。


「雨だ。俺は運がいい」


「そうですね」


 椎名は実に言いにくそうに組織からの伝言を伝えなければならない。


「ルキさん、涼川 蛍ですが、監視を置きたいそうです」


「何それ ? Mからの指示 ? 」


「はい。ジェームスから連絡がありました」


「…………」


 ルキ自身も長年、所属する組織を蝕んで来た。

 しかしどうにもならないボス格と言うのが存在する。

 それがMと言う者だ。

 男か、女か。国籍も人種も明かされていないボス。

 このMがルキを引き取った養父である。

 ルキだけはMの存在を知るただ一人の人間だ。


「……ジェームスも振り回されてるね。Mからの指示じゃ断れない。

 まぁいいさ。俺も逃がす気ないしね。皆で仲良くケイを観察しようじゃん。どうせ人選はこちらでする」


「涼川 蛍は……次も参加でよろしいですか ? 」


「勿論 ! 」


「では、部下たちに次の準備に取り掛からせます」


「本当に楽しみだ。

 俺を殺したい ? 馬鹿な。そうそう弱くは無いよ俺も」


 ルキはそう呟きながら、蝶ネクタイを外す。その艶めかしいリボンの中には劇薬が仕込まれたカミソリが包まれている。

 蛍はルキを丸腰と言っていたが、大きな間違いだ。

 この男は全身暗器だらけ。

 仕込み靴から腰のベルトまで、様々な場所に潜む刃物。


 ルキは真性の切創性愛者である。


「切り刻みたいのは俺も同じさ」


 □□□□


 一週間後。

 香澄はあの後、翌日発見された。

 地元農家が校舎の異変に気付き、管理者代理が発見した。

 正門から校舎までの校庭に複数の足跡と大型車の車輪跡。

 雨が降った時に何者かが来たという事だ。

 管理者代理は校舎から一番近い農村の老人で、丁度雨の晩、奏市内で行方不明になった女子高生がいた事を回覧板で知っていた。

 その嫌な予感が現実に変わった。


 校舎は全てクリーニング済み。

 何の痕跡もない綺麗な状態のままだった。

 一階の西の一教室を除いて。


 香澄はそのまま放置されたままだった。


 背に残った弾丸は紛れもなく事件性有り。

 しかし、何の目撃情報も無く、香澄が街中で見知らぬ男達に声をかけられた防犯映像を最後に捜査は難航し、ある日不自然にその捜査は打ち切られた。


「仲良くしてくれてたのにね……。こんな事になるなんて」


「あの日も娘を蛍君と帰らせるべきだった……。俺の迎えが遅かったばっかりに……」


 涼川葬儀場のホールで、古川家両親は蛍と重明の前で悔やみ泣きをしていた。

 もうずっと寝ていないだろう目元と立っているのもやっとな身体。


 葬儀は重労働だ。

 葬儀屋は出来る限りの手伝いはするが、遺族に了承、確認を取らなければ行けないことは山程あり、また遺族は悲しみも癒えぬまま葬儀をしなければならない。

 慎ましい葬儀となったが、学生だ。献花に訪れる友人知人、教師が後を絶たない。

 皆が古川家を支えなければならない。

 蛍もまた、従業員に混ざり働いていた。棺の中の香澄の顔は綺麗な状態だった。夏場だが、あの山間部の涼しさがそうしたのだろう。

 溢れかえった花を別の台に移動する。

 その時、弔問客の中に違和感を感じた。


 喪服を着た赤い口紅の女。

 この場に不釣り合いな程、美しい過ぎる。


「ケイ君。生還おめでとう」


 ルキの紹介だ。

 この女はカタギじゃない。


「場所を変えましょう」


 葬儀場の裏手。

 職員の勝手口とは逆の細い路地で、その女と対面する。


「ルキからの差し金 ? 何しにきたの ? 凄い目立つんだけど」


「美人ってことでしょ ? 」


 女はうっとりと目を閉じ、はにかみながら手を頬に当てる。


「違います」


「そりゃあ、わたしって美人だからね〜」


「ルキ、まだ俺になんか用なの ? 」


「ルキ君だけじゃないわ。組織のボスも貴方に興味があるってさ。

 でも安心して。わたしは基本的にルキ君側の人間だから。

 咲良 結々花。明日から図書館にいるから、話し相手になってくれると嬉しいわ」


「図書館 !? 」


 図書館だけは蛍の安息の地だと言うのに、笑って手を握る事は出来なかった。


「よりによって ! 何でそんな所にいるんだよ ! 」


「そりゃあ、ケイ君が図書館によく行くからじゃないの ?

 わたしに監視されたくないだろうけど……だとしたらルキ君には感謝ね」


「どういう意味 ? 」


「ボスはわたしをこの葬儀屋に潜り込ませようとしたのよ。つまり、住み込みバイトよ。

 でも、小さな町だし目立つからってルキ君が丁重にお断りして図書館になったの」


「〜〜〜ぅ」


「高校の先生の方が良かった ? 」


「いえ、やめてください」


「だよねぇ〜。まぁ、わたしは何もしないから。無害無害 !

 それからルキ君に連絡したい事があったら、いつでもわたしを窓口に使って ? 」


「……何も無いですよ」


「本当に ? あら、そう」


 蛍の中で耐えているもの。

 棺の中の香澄を観ていたい。

 人生でたった数日しかない棺の中の冷たい肉塊。

 その衝動を抑えられるものとは ?


 もう今までの生活の中では手に入らない。

 犯罪者にならずともその欲望が満たされるとしたら、ルキは必要な存在である。


「何も無いですよ」


「機会を下さい」なんて事は言いたくない。蛍自身のプライドが許さない。何よりルキ相手に頭を下げることだけはしたくないのだ。


「まぁ、いいわ」


 結々花は針のようなストレートヘアをするりと掻き上げると、駐車場へ歩きだす。


「図書館で待ってるわ。貴方の好きそうな本も多めに置いてあげる。絶対来てね」


 そう言い残すと、ごく一般的な軽自動車に乗り、帰って行った。

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