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第4話:いつの時代も勉強嫌いはいる

 翌朝、京次郎は窓から差し込む陽光の眩しさによって目を覚ました。


 未来の世界での目覚めは、まぁなかなか快適だった。


 これまでずっと無人島生活で、文明の利器は基本的にほとんどなかった。


 寝心地はもちろん、肌への刺激も大変優しい。こんなにも清々しい目覚めは久しぶりだった。


 その心地良さも、首にまとわりつく冷たい金属の感触によって奪われてしまう。


 今日からこれをずっとつけて生活しなければいけないのか。首輪は“ちょおかぁ”というらしい――別段どうでもいい。


 京次郎は小さく溜息を吐いた。



「これが今の俺の声、か……」



 球を転がしたかのような玲瓏な声が口から出た。


 むろんこれは地声ではない。すべては首にあるチョーカーによる変声にすぎない。


 ヴァルライブのスタッフとしている間は必ずチョーカーを装着すること。それが京次郎に与えられた条件だった。


 納得は未だしていない。していないが、吞むことによって当面の間の衣食住で苦労しなくて済む。


 無一文の京次郎にとってこれはまたのない好機だった。


 もし、この好機を逃してしまえば明日を生きていくのさえも困難を極めよう。



「女みたいな顔なのが今ばかりは救いと思うべきか……それとも、やはり呪いと受け取るべきか」



 複雑な心境で新しい自室を後にした。



「あ、おはようございますキョウジ……じゃなくて、今はキョンさんでしたね」



 カレンがにこりと笑った。



「……あぁ、おはよう」


「朝からテンション低いですよ? これからいっしょに働くんですから、もっと笑顔で明るくでお願いします」


「そう簡単には言うけどな? できると思うか?」


「まぁ……今すぐに、というのは無理ですねぇ」



 たはは、とカレンが力なく笑った。


 わかっているのならばせめて口に出さないでほしい。京次郎はすこぶる本気でそう思った。


 未来での生活は、まだこれから始まったばかりである。


 厳密にいうなれば京次郎はまず、スタート地点にすら立っていない。


 憶えることは多々あるし、しばらくは机に向かいっぱなしとなるのは火を見るよりも明らかだ。


 とはいえ、やるしかない。自分には拒否権などというものはハナから存在していないのだから。


 やらなければ、死ぬ。自らにそう強く言い聞かせることで京次郎は己を鼓舞した。それでもやる気は、半々といったところ。



「とりあえず、他のメンバーにも紹介したいですし。それに渡しておきたいものも」


「渡しておきたいもの?」


「まず身なりですねぇ。はっきり言ってキョンさんのお洋服、ボロボロでちょっと……ううん、かなり臭います」


「仕方がないだろ」



 きっぱりと京次郎は言った。


 流刑地に満足に洗濯できる環境があるはずがない。


 一応、川で洗濯はしていたが現代と比較すればそれが不十分であるのは言うまでもない。


 現代人からすれば多少臭うだろうが、当の本人はまるでそのことに気付いていない。


 正確には特に気にも留めていなかった。そんなに臭うとは思わないが……。すんすんと鼻を鳴らして、京次郎は己を嗅いだ。



「……お前たちが過敏なだけじゃないのか?」


「そんなわけないです。とりあえず今きている服は今日で捨てます。代わりにいくつか用意したのでこちらを着てくださいね!」


「う、う~む……そうか。そんなに言われれば、致し方ないな」



 京次郎は渋々と承諾した。


 部屋に戻って早々に、京次郎は一瞬だけ目を丸くした。


 現代の衣服は多種多様であるが、基本的に西洋の文化が広く取り入れられている。


 形は、悪くはない。動きやすそうでもある。だが個人的な好みとしてどうも好きになれそうになかった。


 カレンが用意した服はみな和服だった。特に羽織などは浅葱色のだんだら模様が入っていて、とても見覚えがある。


 背中に刺繍された誠の一文字を、自分が再び背負ってもよいものなのか?


 結果論ではあるが新撰組の面々には多大な迷惑をかけてしまった。


 そのような人間がこうしてまた、この羽織を纏うとはなんの因果だろう。


 自嘲気味な笑みと共に袖を通す。おそろしいぐらい着心地は抜群だった。



「さすが新撰組隊士……」


「一応訂正しておくと、正確に言えば俺は零番隊の隊長だった――ほんの二か月弱で役職を剥奪されたけどな」


「え? 零番隊? そんなの文献にあったかな……ボクが見た時は一番隊からだったはずだけど」


「表向きにはな。公表こそされてないが、実は零番隊っていう影の隊があったんだよ」


「えぇぇぇぇぇぇぇっ!? そ、そうだったんですか!?」



 未来でもどうやら、この情報は最後まで明かされていなかったらしい。


 影の隊として稼働していたという事実が、京次郎の口角をわずかに緩めた。



「まぁ今度零番隊のことについてゆっくりと教えてやるよ――それより、これでどうだ?」


「問題なしです! 本当はお洋服のほうがいいけど、でもこっちのほうがいいかなって思って用意したのは正解でした」


「感謝する。こっちのほうが俺としてもありがたい」


「それじゃあ服もちゃんと着替えたことですし、朝ごはん食べたら早速いろいろと教えていきますから!」


「……あぁ、そうだな」


「どうしていきなりそんなテンション下がるんですか!」


「その“てんしょん”っていうのは、気分ってことか? だとしたら、皆まで言わずともわかるだろうに……」



 勉学はどうも苦手だ。京次郎は小さく溜息を吐いた。


 世界はゆっくりと、されど確かな刻を刻んでいく。


 時刻がちょうど正午に差し掛かろうとした頃、京次郎は深い溜息を吐いた。


 生気に満ちていたはずの顔だが、現在はひどくげんなりとして活気がまるでない。


 明らかな疲労を訴える彼を横に、その女性は苦笑いを浮かべた。



「ん~とりあえず今日はこの辺りで終わっておきましょうか」


「……ぜひともそうしてほしい」



 すがるように京次郎はもそりと呟いた。


 女性は、天光・C・リリといった。桃色のサイドテールが印象的で、レイナやカレンよりも年上である。


 すらりとした体型に上下共に黒のスーツを見事に着こなす彼女はどこか妖艶で、女としての魅力があった。



「それじゃあ休憩に致しましょう。けれどキョウジロウさん……いえ、キョンさんの吸収力はすさまじいですわね。教えたことをもう完璧に記憶しただけでなく完璧に使いこなすなんて、普通はできませんわよ?」


「それはアンタの教え方がよかったんだよ」



 リリは教育係として教え方がとてもうまかった。


 かつて隊士にものを教えた時はよく、わからないからもう一度教えてほしいと言われたものである。


 あの時の自分とは比較にもならない。彼女のような存在こそ、上に立つ者として相応しい器である。


 女だろうと使える能力があるならばそちらを優遇すべきだ。そこに余計な見栄が邪魔するのが男でもある。



「あら。偉大な歴史的な殿方にそのように褒めていただけるとは光栄ですわ」


「純然たる事実を言ってるだけだ。俺じゃあこうもうまく教えられない」


「でも、それは教えを受ける者が優秀だからこそ成り立つといっても過言ではありませんわよ」


「そうか? なら、そういうことにしておくか――さてと」


「どちらへ行かれますの?」



 リリが不可思議そうな顔をして尋ねた。



「とりあえず、飯でも喰いに。それから未来の日ノ本が……タカマガハラがどのようになっているのかも見ておきたい」


「あら、それでしたら誰か――」


「さすがにそこまで迷惑をかけるつもりはない。こう見えて道を憶えるのは得意なんだ、迷子にならず帰ってくる」



 疲労が蓄積された肉体をほぐして、京次郎はその場を後にした。


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