「お腹空いた」
葉宮夫妻が経営する飲食店に向かう車内で、里津が唐突に呟いた。
「仕事中ですよ」
運転する赤城は呆れた様子で言った。
「だからなにも食べるなって? 和真の鬼」
「そうは言ってませんよ。里津さん、今から行くお店でお昼を食べようとしているでしょう」
それは図星のようで、里津は言い返さない。
横目で助手席に座る里津を見ると、また頬を膨らませている。
こんなにもわがままなのは、里津の妹気質からなのか、兄の凱に似たからなのか。
もし後者なら、やはり悪影響を及ぼす存在だ、なんて思った。
すると、里津のお腹が鳴った。
静かな車内で、それは赤城にも聞こえた。
「……お昼、食べましょうか」
赤城が言うと、里津は全力で頷いた。
里津のわがままが変わらないのは、こうして自分が甘やかしてしまうところもあるのだろうか、と思いつつ、赤城は車を走らせた。
それからすぐに目的地に到着した。
「いらっしゃいませー!」
引き戸を開けると、店の奥から女性の明るい声に迎えられる。
そして、別の若い女性が駆け寄ってきて、メモ帳を見せてきた。
胸元に声が出ないことを知らせるようなことを書いた名札のようなものを付けている。
『お二人ですか?』
「ええ」
赤城が答えると、次のメモが見せられる。
『お好きな席へどうぞ』
そして彼女は自然な笑みを見せ、手のひらで店内へ誘導する。
赤城と里津は、あえて店の奥にあるテーブル席を選んだ。
「あの子が怜南さんかな」
里津はメニュー表を開き、小声で尋ねる。
「おそらく」
赤城も日常に溶け込むために、もう一つのメニュー表を開いた。
里津は少しだけメニュー表から視線を上げ、怜南の働きを見る。
声が出ないと知らなければ。
両親を目の前で殺されたと知らなければ。
ただ、控えめで静かな女性にしか見えない。
さっきの笑顔も、今見える笑顔も、何一つ不自然なところはない。
「素敵な人に、たくさん支えられてきたんだね」
その表情はとても優しく、赤城はつられて笑みがこぼれる。
すると、千晴が二つのコップを運んでくる。
「メニューがお決まりでしたら、お伺いしますよ」
里津はメニュー表を指す。
「私、唐揚げ定食」
「焼き魚定食をお願いします」
千晴は伝票に書くと、注文を繰り返して戻っていく。
「なんか、葉宮くんがあんな性格なの、納得かも」
ニガテだと感じた声色と明るさ。
それを今、感じた気がした。
「どうやったら、あんなにも猪突猛進な人格になるんだろうって不思議だったんだよね」
「里津さんはねじ曲がってますもんね」
ただの嫌味に、里津は膨れる。
「ねえ、お客さん、稜と知り合い?」
それほど距離がなかったことと、普通の声量で会話しまい、それは千晴の耳に届いてしまった。
里津はしまったと言わんばかりに口を塞ぐが、その仕草こそ失敗と言える。
赤城ははっきりとため息をつく。
「葉宮君の同僚の赤城です。すみません、ここには食事が目的で来たわけではないんです」
赤城は静かに視線を動かし、怜南を見る。
赤城たちの目的を知るには、それで十分だった。
「怜南に話を聞きに来たんですか」
警戒心しかない視線。
怜南がどれだけ大切にされているかが、伝わってくる。
「いえ、今日は貴方たちにお話を聞きに来ました。食事の後、少しお時間いただけますか?」
千晴は迷いを見せたが、首を縦に振った。
「ありがとうございます」
そして料理が運ばれ、完食するまで、二人は日常会話すらしなかった。