仕事が終わり、里津は行きつけの居酒屋のドアを開ける。
お世辞にも広いとは言えないその店内は、楽しそうな声で包まれている。
里津は店内を見渡し、テーブル席で一人で食事をしている希衣を見つけた。
希衣も里津に気付き、手を挙げる。
「久しぶりだね、里津」
希衣の明るい表情に、里津はひどく安心した。
「希衣ちゃん、元気だ……」
「なに、その感想」
希衣は里津の反応を大袈裟だと笑って返す。
それが気に入らなかったのか、里津は少し不貞腐れた顔をしながら、希衣の向かいの席に座った。
「今日、連絡なくて本当に心配したんだからね?」
「ごめん、ごめん」
里津の責める声を、希衣は慣れた様子で流す。
「ほら、里津の好きな唐揚げとか頼んでおいたから、落ち着きなよ。あ、でもドリンクは頼んでないから、はい」
渡されたメニューを開くも、飲みたいと思えるものがない。
里津はまだ不満なまま、メニューを返す。
「……私、水でいい」
「じゃあ、これ飲む? まだ手、付けてないから」
里津は周りに大量の水滴を付けたコップを受け取ると、水を一気に飲み干した。
仕事中、まともに水分補給をしていなかったから、身体に染み渡る。
それから、希衣が言った通り唐揚げが運ばれてきて、里津はそれを摘んだ。
空腹も満たされ、二つ目に手を伸ばしたとき、希衣に暖かい目で見守られていることに気付いた。
なぜ、こうして希衣と居酒屋にいるのか。
里津は一瞬、その目的を忘れそうになった。
「……希衣ちゃん、恋人がいるって本当なの?」
不安と嫉妬の混じる表情。
希衣から、彼氏に守ってもらうから、と連絡は来たけれど、昼間のことがあり、どうしても不安が消えなかった。
だけど、希衣にはその不安が届いていないように見える。
「本当だよ。なんか言うタイミングがわからなかったのと、照れくさくて隠す形になっちゃったけど」
「……そっか」
里津は小さな声で零した。
二人がいる席だけ、楽しさとはかけ離れた空気感が漂う。
好物がテーブルに並び始めても、里津の元気は戻らない。
里津が黙り込んだことで、希衣は自分が悪いことをしたように感じてしまった。
「……やっぱり、凱先輩を頼っておいたほうが、里津は安心する?」
里津の不安そうな様子を目の当たりにして、希衣は凱に言ったように明るく振る舞うことができなかった。
少しでも、里津を安心させたい。
その一心で言ったのに、里津は首を傾げた。
「あれ、違った?」
「いや、違わない……」
里津は否定するけれど、その言い方と表情は違うと言っているようなものだった。
「うーん……私としては、彼に不安な思いをさせたくないっていうのがあるから、どうしても凱先輩に頼りっぱなしってわけにいはいかないんだけど……そうだ、凱先輩の連絡先を知っておくってのはどう? それなら安心できそう?」
「うん……」
それでも里津は、煮え切らない態度だった。
浮かない表情のままスマホを取り出し、操作をする。
すると、希衣のスマホにメッセージが届いた。
凱の連絡先だ。
希衣はそれを登録すると、凱にメッセージを打つ。
「それで? 本当はなにを心配しているの?」
また、沈黙が訪れる。
『希衣です。里津に連絡先聞きました。なにかあったら、頼らせていただきますね』
それを凱に送ると、希衣は顔を上げた。
そこには、不安に染まった里津がいる。
希衣の身の安全について考えているだけには、とても見えない。
「里津? なにかあった?」
里津は言葉を探しているようで、希衣は静かに、里津の言葉を待った。
「希衣ちゃんは……私の味方、だよね?」
「当たり前じゃん」
即答だった。
しかし、希衣はその質問の意図が見えていない。
それなのに、里津に笑顔が戻った。
「……よかった」
さっきまでの不安は、もうなさそうだ。
だけど、希衣はますます混乱した。
「え、どういうこと? 今のでなにがわかったの?」
「ううん、気にしないで」
元気を取り戻した里津は、唐揚げを一つ頬張る。
少し冷めてしまっていたはずなのに、里津はとても美味しそうに食べている。
希衣は気になって仕方なかったけれど、里津の幸せそうな顔を見ていると、掘り返すのも悪いような気がしてきた。
そのため、希衣は気にしないフリをして里津との時間を楽しんだ。