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第16話 不機嫌

 出勤すると、そこは酷く空気が重かった。


 といっても、不機嫌そうに背中を合わせて作業をする赤城と里津がいて、周りはその険悪ムードに気圧されているようだ。


「何事ですか?」


 葉宮は挨拶するよりも先に、そう聞かずにはいられなかった。

 赤城の隣に座る若瀬は、パソコンを操作する手を止める。


「おはよう、葉宮。木崎兄妹ががっつり赤城さんを怒らせちゃってさ……」


 若瀬は苦笑しながら答える。

 そのときのことを思い出しているのか、遠い目をしている。


「なにしたんですか?」


 葉宮は里津の隣の机に荷物を置き、椅子に座る。

 そして若瀬に招かれるまま、二人に背を向ける。


「まず兄のほうが、赤城さんの娘の送り迎えを始めたらしい」


 若瀬が小声で説明すると、葉宮は首を捻った。


「それのどこがやらかしているんですか?」


 葉宮の声が大きく、若瀬は静かに言うように、ジェスチャーをする。


「赤城さん的には、娘があの人の影響を受けるかもしれないと、気が気でないらしい」


 葉宮は昨日の凱の紹介や、動作を思い出す。

 同調してしまうほど凱のことを知っているわけではないが、理解できないということもなかった。


「あー……でも、どうしてそんなことを?」

「昨日、木崎さんが狙われた事件があったろ? どうやらあの犯人は、木崎の周りの人間に危害を加えようとしているんだと。そこで赤城さんの娘さんが危険ってなって、誰が守るのか?からの、木崎さんってことらしい」

「なるほど。赤城さんは常にそばにいることはできないですからね。そうなると、木崎さんのお兄さんが何者なのかが気になりますが」


 刑事であったことは、昨日知った。

 だが、常にそばにいることができるという条件を満たせる大人が、そう都合よくいたことに驚いた。


「元刑事で今は探偵みたいな、なんでも屋をやってる」


 その転職は、まるで漫画のようで、葉宮は本当にそんなことをする人が存在するのだと、内心驚いた。


 探偵になれば、今よりも自由に怜南の両親の事件を追うことができたのかもしれない。

 いや、それだと収入が得られず、ずっと怜南に申し訳ないと思わせてしまうことになる。


 なんて、葉宮は今関係のないことに考えを巡らせた。


「で、問題は木崎なんだよ。これは俺にとっても大問題」


 若瀬は言葉通り、深刻そうな顔をする。

 つられて、葉宮も緊張する。


「なにしたんですか」

「木崎がお前とのコンビ解消を申し出た」


 葉宮は、いつかその申し出をされると思っていたが、まさか昨日の今日だとは予想していなかった。

 役立たずだと言われはしたが、ここまでとは。


 葉宮は驚きを隠せない。


「えっと……昨日の失敗、木崎さん的にはそれほど許せなかったってことですか?」


 心当たりはそれしかなかった。


 しかし若瀬は微妙な反応だ。


「……かも、しれない」

「かも?」


 曖昧な言葉を、葉宮は繰り返す。


「赤城さんにそう責められたとき、木崎の奴『じゃあ、それでいい』って言ったんだ」


 それはつまり、昨日の失敗は理由ではないということ。

 それが原因ではないなら。


「葉宮、心当たりがあるな?」


 若瀬は、葉宮が小さく眉を上げたことを見逃さなかった。


「そうですね……」


 すると、若瀬は葉宮の椅子を回した。

 そこには、まだ不機嫌そうにしている赤城と里津がいる。


「よし、赤城さんに話してこい。そしてコンビ解消はなしの方向性で頼むぞ」


 付け足された頼みごとが、葉宮の足を止めた。


「どうしてですか?」

「木崎はお前と赤城さんが組むことを提案した。そうなると、残り者が組まされるに決まってるだろ」


 その言葉と、若瀬の嫌そうな顔で、なにを言おうとしているのか、容易に理解できてしまう。

 葉宮は苦笑を返して、赤城に声をかける。


「赤城さん、今お話いいですか」


 赤城は不機嫌なまま、葉宮を一瞥する。

 その視線の鋭さに、葉宮は気圧される。


「忙しいのですが」


 声色からもその様子は伺えるが、葉宮は小さく気合を入れ、話を続ける。


「木崎さんがコンビ解消を言い出した理由の説明をしたいのですが」


 赤城はため息をつき、手を止める。

 葉宮と向き合ったときには、普段の赤城に戻っているようだった。


「わかりました。聞きましょう」


 しかし、赤城がそう言っても、葉宮はすぐに説明を始めなかった。

 それどころか、周りの視線を確認するかのように、周りを見渡した。


「あの、事件資料保管室に移動していいですか?」


 葉宮の提案の意図が読めず、赤城は首を捻る。


「はい」


 しかし特に理由は聞かずに、立ち上がった。


 事件資料保管室に入ると、葉宮は話すより先に、資料を探し始めた。


「葉宮君、話というのは?」


 葉宮がなにも話さないことをもどかしく感じて、赤城は急かすように言う。


 はやく話さなければ。


 葉宮が焦り始めたタイミングで探している資料の箱を発見し、葉宮はそれを取り出した。


「俺は、この事件を解決したくて、刑事になりました」


『2009年6月 永戸夫妻刺殺事件』


 取り出された箱にはそう書かれている。

 葉宮は箱を開け、事件のファイルを赤城に渡す。


「木崎さんにはすぐに、このことを見抜かれました。そして、自分には関与してほしくないから、俺が木崎さんに話すことはしないだろう、と」

「里津さんがそんなことを?」


 里津が、事件を解決することをなによりも優先することを知っているからこそ、その発言は信じられなかった。


「俺が自分の手で捕まえたいって思ってることを察してくれたみたいで……自分が事件を知ってしまうと、解決したくなる、みたいなことを言ってました」

「たしかに、里津さんなら葉宮君以上に気合いを入れて犯人を捕まえにいきそうですね」


 赤城は引き続き、資料を読み進めていく。


「ただ、そうなると俺が単独行動をすることになる。でもそれは許されないから、赤城さんを頼るように言われました」


 一通り読み終え、資料を閉じる。

 その表情には、怒りが見えた。

 怒りの矛先は、きっと里津ではなく、この事件の犯人に対してだろう。


 だが、赤城は自分を落ち着かせるように、小さく深呼吸をする。


「なぜ、僕を?」

「事件に一直線な人間の扱いは慣れているからと言ってました」


 赤城は呆れた様子で大きく息を吐き出した。



「……わかりました。コンビ解消の件は、上に伝えておきます」


 そして二人は資料保管室を後にした。

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