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第13話 日常


 葉宮稜は暗闇の中を歩きながら、今日一日の出来事を振り返っていた。


 新たな出会いと、自分が未熟であると思い知らされた出来事の数々。

 慣れない環境ということもあり、それは疲れとなって稜の身体にのしかかった。


 限界を迎えそうな身体に鞭を打ちながら、歩みを進める。


 そして稜は、小さな定食屋の前で足を止めた。

 暖簾がしまってあるのに、引き戸を開ける。


 店内は懐かしさを感じさせるような、温かさがある。

 壁にメニューが並び、カウンター席とお座敷席があるが、当然客はいない。


 いるのは、皿洗いをする男と机を吹く娘。


 娘は稜に気付くと、駆け寄った。

 稜はその様子を、暖かい目で見守る。


「ただいま、怜南れな


 怜南と呼ばれた娘は、優しく微笑む。


 永戸ながと怜南は葉宮の幼なじみで、過去の事件が原因で声が出なくなっていた。


 それでも稜に“おかえり”と伝えたい怜南は、ポケットからメモ帳を取り出す。


 しかしそれは普段仕事で使う言葉しかなく、怜南は助けを求めるように、皿洗い中の男を見た。


「スマホ、使っていいよ」


 許可を得ると、怜南はスマホのメモ機能に『おかえり』と打ち込んだ。


「ただいま」


 二人は揃って満足そうに笑う。

 周りの様子など、目に入っていないようだ。


「本当、いつ見てもカップルみたいな空気感だな、お前らは」


 そこに、呆れたような声が聞こえてくる。

 男は皿洗いを終えたようで、手を拭いている。


「父さん、いつもそれ言うよね」


 稜は聞き飽きたという顔をし、カウンター席に座る。


「そんな言ってるか? あ、飯はいつものでいいか?」

「いや、今日は軽く食べたいかな。揚げ物はムリ」


 すると稜の前に水が置かれ、怜南が隣に座った。


『なにかあったの?』


 心配そうな顔が向けられ、稜は安心させるためか、怜南の頭に手を置く。


「仕事が思ったよりハードだっただけだから、気にしないで」

「おいおい。稜、まさか使えないとか言われてないだろうな?」


 からかうような声に、稜は目を逸らす。


 てっきり反発されると思っていたから、その反応は予想外だったとともに、図星だったのだと察し、それ以上は言えなかった。


 怜南もそれに気付き、心配の色が消えない。


「あんまり詳しいことは言えないんだけど、初日からミスって相方の人に使えない人間はいらないって、結構はっきりと言われたんだよね」


 怜南はメッセージを返さず、ただ稜の頭に手を置き、思いっきり髪をぐしゃぐしゃにした。


「ちょっと怜南、痛いよ」


 怜南の手が止まり、その表情が見える。


 悔しさに溢れていて、稜のことを自分のことのように感じていたらしい。


『稜くんはいらなくなんて、ないよ。稜くんはかっこいい、ヒーローみたいな人』


 怜南の真剣な表情を見れば、それが本心であることはわかった。


「ありがとう、怜南」


 照れながら言う稜を見て、怜南に笑顔が戻った。 


 稜は、怜南の笑顔が見せてくれることを、いつも以上に嬉しく思ったと同時に、安心した。


 身体的にも精神的にも、事件の傷は癒えていないだろう。

 実際、今日の胡桃沢咲里の姿を見て、改めてそう感じた。


 それでも怜南は、こうして笑顔を見せてくれる。

 演技ではなく、自然な笑み。


 稜は、それが嬉しかった。


「ったく、やっと刑事になったってのに、初日からそんなんでやってけるのか?」

「……うるさいな」


 稜は悪態をつきながら、出された豚丼を食べ始める。


『稜くん、元気出た?』


 怜南は心配そうに、稜の顔を覗き込む。


 眉尻が下がっているその表情は、稜に対して申し訳ないと言っているようだ。


 それは、稜が刑事になった理由を知っているから。


 私のせいで、ごめんなさい。


 怜南の眼はそう語っているようだ。

 だからこそ、稜は怜南を安心させるために口角を上げた。


「うん。父さんの美味しいご飯を食べたからね」

まことさんのご飯は最強だね』


 稜はその言葉に同意するのはなんだか癪で、曖昧に笑って誤魔化した。

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