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葉宮稜は暗闇の中を歩きながら、今日一日の出来事を振り返っていた。
新たな出会いと、自分が未熟であると思い知らされた出来事の数々。
慣れない環境ということもあり、それは疲れとなって稜の身体にのしかかった。
限界を迎えそうな身体に鞭を打ちながら、歩みを進める。
そして稜は、小さな定食屋の前で足を止めた。
暖簾がしまってあるのに、引き戸を開ける。
店内は懐かしさを感じさせるような、温かさがある。
壁にメニューが並び、カウンター席とお座敷席があるが、当然客はいない。
いるのは、皿洗いをする男と机を吹く娘。
娘は稜に気付くと、駆け寄った。
稜はその様子を、暖かい目で見守る。
「ただいま、
怜南と呼ばれた娘は、優しく微笑む。
それでも稜に“おかえり”と伝えたい怜南は、ポケットからメモ帳を取り出す。
しかしそれは普段仕事で使う言葉しかなく、怜南は助けを求めるように、皿洗い中の男を見た。
「スマホ、使っていいよ」
許可を得ると、怜南はスマホのメモ機能に『おかえり』と打ち込んだ。
「ただいま」
二人は揃って満足そうに笑う。
周りの様子など、目に入っていないようだ。
「本当、いつ見てもカップルみたいな空気感だな、お前らは」
そこに、呆れたような声が聞こえてくる。
男は皿洗いを終えたようで、手を拭いている。
「父さん、いつもそれ言うよね」
稜は聞き飽きたという顔をし、カウンター席に座る。
「そんな言ってるか? あ、飯はいつものでいいか?」
「いや、今日は軽く食べたいかな。揚げ物はムリ」
すると稜の前に水が置かれ、怜南が隣に座った。
『なにかあったの?』
心配そうな顔が向けられ、稜は安心させるためか、怜南の頭に手を置く。
「仕事が思ったよりハードだっただけだから、気にしないで」
「おいおい。稜、まさか使えないとか言われてないだろうな?」
からかうような声に、稜は目を逸らす。
てっきり反発されると思っていたから、その反応は予想外だったとともに、図星だったのだと察し、それ以上は言えなかった。
怜南もそれに気付き、心配の色が消えない。
「あんまり詳しいことは言えないんだけど、初日からミスって相方の人に使えない人間はいらないって、結構はっきりと言われたんだよね」
怜南はメッセージを返さず、ただ稜の頭に手を置き、思いっきり髪をぐしゃぐしゃにした。
「ちょっと怜南、痛いよ」
怜南の手が止まり、その表情が見える。
悔しさに溢れていて、稜のことを自分のことのように感じていたらしい。
『稜くんはいらなくなんて、ないよ。稜くんはかっこいい、ヒーローみたいな人』
怜南の真剣な表情を見れば、それが本心であることはわかった。
「ありがとう、怜南」
照れながら言う稜を見て、怜南に笑顔が戻った。
稜は、怜南の笑顔が見せてくれることを、いつも以上に嬉しく思ったと同時に、安心した。
身体的にも精神的にも、事件の傷は癒えていないだろう。
実際、今日の胡桃沢咲里の姿を見て、改めてそう感じた。
それでも怜南は、こうして笑顔を見せてくれる。
演技ではなく、自然な笑み。
稜は、それが嬉しかった。
「ったく、やっと刑事になったってのに、初日からそんなんでやってけるのか?」
「……うるさいな」
稜は悪態をつきながら、出された豚丼を食べ始める。
『稜くん、元気出た?』
怜南は心配そうに、稜の顔を覗き込む。
眉尻が下がっているその表情は、稜に対して申し訳ないと言っているようだ。
それは、稜が刑事になった理由を知っているから。
私のせいで、ごめんなさい。
怜南の眼はそう語っているようだ。
だからこそ、稜は怜南を安心させるために口角を上げた。
「うん。父さんの美味しいご飯を食べたからね」
『
稜はその言葉に同意するのはなんだか癪で、曖昧に笑って誤魔化した。