この状況下で希衣に断られると思っていなかったため、凱は反応に遅れる。
「……いやいやいや、人の話聞いてた? 殺されるかもしれないって言ったろ?」
「もちろん、聞いてましたよ?」
希衣はそう言うが、その声色は日常会話の延長線上のようで、まったく危機感を覚えていないように感じた。
きっと、常に身の危険を感じてきた凱と、平和な日常に身を置いてきた希衣で、感じ方が違うのだろう。
だからこそ、凱は余計に不安を覚えた。
「だったら」
「でも」
しかし希衣は、凱になにかを言われる前に遮った。
会話の内容と合わない笑顔が向けられ、やはり希衣は話を理解していないのではないかと感じて仕方ない。
「凱先輩との時間を増やしちゃうと、彼氏が嫉妬するんで。そういうことなら、彼氏に守ってもらいます」
予想外の理由に、凱はただ呆然とする。
「彼氏、いたんだ」
「数ヶ月前から」
希衣は幸せそうに笑って、スマホのロック画面を見せる。
希衣と男のツーショットは、見ているこちらを照れさせてしまうほどに、眩しかった。
「里津は、このこと知ってる?」
「直接言いたいと思ってるんですけど、最近会えてなくて。だから、知らないです」
「……なるほど」
なぜ希衣が断ったのか、それは理解した。
だけど、どうしても納得はいかなかった。
「でも、その彼氏、ただの一般人だろ? そんな奴に守ってもらうって言っても、里津が安心するとは思えない」
相手は容赦なく殺しにかかってくるだろう。
それがわかっていて、そう簡単に引き下がれるわけがなかった。
「運動神経抜群な凱先輩には到底及びませんけど、彼、元空手部なんです。だから、大丈夫かと。それに、私よりもさくらちゃんを守ってあげるほうがいいと思いますよ」
凱の動きが一瞬止まる。
さくらは赤城の娘で、今年小学一年生になったばかり。
希衣よりも力が弱く、狙われてしまうと抵抗できないことは明らかだ。
しかし、凱はすぐにさくらを守ることを選択できなかった。
「希衣の彼氏が嫉妬してくるより怖いこと言うなよ……」
それは、赤城から睨まれることを言っていた。
凱と赤城のやり取りが容易に想像できて、希衣は笑う。
「たしかにそれは怖いですけど、赤城先輩は刑事で、常に涼花さんやさくらちゃんといることはできないじゃないですか。そうなると、誰が二人を守るんですか?」
希衣の言うことも一理ある。
だが、凱の中では里津を安心させたいという気持ちもあった。
里津の親友で、間違いなく狙われるであろう希衣。
だが、どれだけ頼りになるのかは無視するとして、希衣には守ってくれる存在がいる。
対して、里津の上司で凱の友人である赤城の妻、涼花と娘のさくら。
彼女たちには、守ってくれる存在がいない。
二人のことは警察に頼ればいいのかもしれないが、可能性だけで動くような組織ではない。
それは、凱がよく知っていた。
そして凱は結論を導き出し、大きく息を吐き出した。
「……わかった。俺はさくらたちのほうに行く。ただし、いいか? 希衣が安全だと決まったわけじゃないからな?」
少し気を緩めた希衣に対して、念を押す。
効果はあったようで、希衣の笑顔が若干固くなった。
「もちろん、わかってます」
凱は、その言葉を信じることしかできなかった。
「とりあえず、定期的に里津に連絡してやって。それだけでも、違うだろうから」
「了解です。じゃあ私、これからデートなんで、もう行きますね」
満面の笑みを見せて去っていく希衣を、凱はただ心配そうに見つめていた。