里津は深呼吸をし、凱に対しての怒りを無理矢理抑え込む。
今は、くだらない喧嘩をしている場合ではない。
「この人、どうしたの?」
すると、凱は右手に持っていたジッパーバッグを里津に渡す。
それは、ハンカチで包まれた刃渡り十五センチ程度のナイフだった。
予想外の物を渡されて、里津は目を見開いて凱を見つめる。
凱は一切驚きを見せない。
「家出た瞬間に襲ってきたから、捕まえた」
こんなにも冷静に言うような言葉ではない。
動揺しているのは、里津だけ。
「待って、凱くんが狙われたってこと? 怪我は?」
「してない。まあ俺は、人気者だからなあ」
真剣な表情をする里津に対して、凱はそれを冗談として笑い飛ばそうとする。
そんな凱を、里津は睨みつける。
「ふざけてる場合じゃないから。って、待って。家出た瞬間? 凱くんって、S区に住んでなかった?」
「そうだけど」
「S区……胡桃沢さんが襲われた場所と近いですね」
ずっと聞いているだけだった葉宮が、独り言のように呟いた。
里津は、ナイフに付着している血液が凱のものではなく、結芽のものだと気付き、葉宮に渡す。
「これを鑑識に持っていって。それから、和真たちに連絡。胡桃沢さんを襲った犯人、捕まえたかもって」
葉宮も同じ結論に至っていたようで、あまり驚いているようには見えなかった。
ただ、予想外のタイミングでの事件解決に、若干動揺しているようだった。
「もしかして、どこに持っていくかわからない?」
葉宮がすぐに行動に移らなかったことを、里津は動揺しているからとは微塵も思っていなかった。
「い、いえ、わかります。行ってきます」
そう言って走り去っていく葉宮の背中を見ながら、凱は聞く。
「なになに、コイツ、別事件の犯人でもあったってわけ?」
本来、部外者に事件の話をすることは、許されない。
だが、凱があまりにも自然に聞いたものだから、里津は流れるように答えてしまった。
「別事件というか……多分、胡桃沢さんはただ、運悪く巻き込まれただけなんだと思う」
「巻き込まれた?」
「胡桃沢さんは何者かに刃物で傷つけられてて。でも、切られたのが腕だけで、そこまで深くなかった。ただぶつかった、みたいな感じで。あと、盗まれたものとかも特になかった。だから、胡桃沢さんを狙った犯行だとしたら妙だなって思ってたんだけど……」
そこまで話して、話しすぎたことに気付くが、もう遅い。
「なるほど。その胡桃沢って子は、俺を殺しに行く途中のコイツと、不運にもぶつかってしまったってことか」
今の話を撤回しようにもできるわけもなく、里津は仕方なく会話を続ける。
「……多分」
凱は床に座らせている、気絶した男を見て、鼻で笑う。
「しっかし、刃を出したまま歩くとは、迷惑な野郎だな。つか、アホ。誰か殺しに行く気なら、通報されないようにしろっての」
「そこじゃないから……でも、傷付く必要のなかった人まで傷付けて、最低だよ」
男を睨みつける里津の視線には、憎しみが込められているようだった。
なぜ、里津がここまで犯罪者を憎むのか。
その理由を知っている凱は、里津にかける言葉を探した。
だが、凱がなにか発言するより先に、誰かに右肩を掴まれた。
「……なんだ、ビビらせんなよ、和真」
凱の背後に、息を切らせた赤城がいる。
怒っているのは、言うまでもない。
「それはこっちのセリフだ、阿呆。一般人が逮捕なんてことをするな」
「あー……はいはい、すみませんでした、赤城刑事」
怒られ慣れている凱は、火に油を注げば面倒になると思い、軽く流す。
赤城のため息は大きかった。
「今から事情聴取な」
「は? おい嘘だろ、俺、朝飯まだなんだけど」
「知るか」
そして抵抗する間も与えらえず、凱は赤城に引きずられていった。