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第6話 過去の傷

 結芽の視界に入るころには、里津は不貞腐れた顔を捨て、笑顔に戻っていた。

 不安に染まった結芽を包み込むような、優しさが滲む笑みだ。


 だが、結芽は安心するよりも、里津がまた戻って来たことに驚いているようだ。


「木崎さん、捜査に行くって言ってませんでした?」

「優秀な刑事に役目を奪われました。私の仕事は、胡桃沢さんと一緒にいることだそうです」


 少し頬を膨らませながら言う里津を見て、結芽は笑う。


「木崎さんはその優秀な刑事さんに逆らえなかったんですね」

「真面目で頭でっかちなんですよ、あの人。奥さん、よくあんな仕事人間を選んだなって、いつも思います」

「そんなに?」


 今の結芽を見て、つい先刻、刃物で切り付けられた被害者だと思う人は、少ないだろう。

 そう思うほど、結芽は自然な笑みを見せていた。


 それはきっと、里津が結芽の心に寄り添ったから。


 少し離れた場所で二人の様子を見守っていた葉宮は、里津の力量に脱帽するしかなかった。

 傍若無人でわがまま全開な子供のような人だという印象が、塗り替えられていく。


 じわじわと、里津に対しての怒りが消え、結芽の気持ちも考えずに発言したことを謝りたいと思うようになるが、二人の空気感に割り込んだところで、また里津に殴られる未来しか見えない。


 ゆえに、黙ってそばに立ち尽くすことしかできなかった。


「結芽!」


 すると、葉宮の悩みを吹き飛ばしてしまうほどの大きな声が聞こえて来た。

 声がしたほうを向くと、若い女性がこちらに向かって走ってくる。

 その表情は焦りに染まっていて、彼女を引き止める暇もなかった。


 彼女は一直線に結芽に向かっていく。


 それで葉宮は、彼女が胡桃沢咲里だろうと察した。


「えみ」


 結芽が名前を呼びきる前に、咲里は結芽に抱き着いた。

 その力の強さに、結芽は少し苦しそうにしている。


「咲里?」

「よかった……」


 消えてしまいそうなほど、小さな声。

 そこにどれだけの安心が込められているのか。

 誰にも咲里の顔は見えていないけれど、今にも泣きそうな表情をしていると全員が思った。


 結芽は静かに、咲里の背中に手を回した。


 里津も葉宮も、その光景をただただ、見守る。


「咲里、どうしてここに?」

「お母さんに聞いた……本当、生きててよかった……」


 結芽は少し困った表情をしながら、咲里の頭にそっと触れる。


「心配かけてごめんね、咲里。でも、大丈夫だよ。木崎さんがいるから」


 それを聞いて、咲里は結芽から離れる。

 里津に気付くと、一瞬表情がこわばった。


 里津も作り笑顔を浮かべるから、微妙な空気を漂わせる再会となってしまった。


 しかし、結芽はその空気を感じ取れなかったらしく、話を続ける。


「すごい偶然だよね。私、木崎さんに名前を教えてもらうまで気付かなくって。って、咲里?」


 結芽は咲里からの賛同がえられなかったことで、ようやく咲里が固まっていることに気付いた。

 結芽が咲里の顔を覗き込むと、咲里はぎこちなく視線を動かした。


「え……あ……うん……木崎さんが味方なら、大丈夫だね」


 咲里は笑顔を取り繕うが、上手く笑えていなかった。

 当然それがわかっている結芽は、余計心配になる。


 咲里が、表情を強ばらせる理由。


 それに気付くと、咲里の表情は結芽に伝染した。


 徐々に空気が重たくなっていく。

 そんな空気を変えようと、里津が明るめの声を出す。


「ずっとここにいるわけにもいきませんし、お二人とも、署に移動しませんか?」


 脈絡のない提案に戸惑いつつも、二人は互いに顔を見合せてから、首を縦に振り、葉宮の運転する車に乗った。


 移動中の車内は、お通夜でも行われているのかと勘違いしてしまいそうなほどに、重たい空気に包まれていた。

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