「胡桃沢咲里さんって、誰なんですか?」
心当たりのない若瀬は、手帳を閉じながら聞く。
「覚えていませんか? 三年ほど前にストーカー被害に遭った女性です。そしてその犯人を、一課に配属されたばかりの里津さんが捕まえました。期間を考えると、そろそろ出所していてもおかしくないでしょうね」
赤城がなぜ『面倒』という言葉を使ったのかをいち早く察した若瀬は、頭を抱える。
一度捕まえた犯人が、陽の下に出た。
更生し、二度と戻ってこないことを祈る者ばかりであれば、なにひとつ面倒ではない。
だが、里津はその大多数に属さない。
一度でも罪を犯した人間を、里津は絶対に許さない。
それなのに、その犯罪者が再び、事件を起こしたかもしれない。
それがなにを意味するのか、考えただけでも頭が痛くなる。
だが、それを察したのは赤城と若瀬のみ。
葉宮は理解が追いついていなかった。
「ただでさえ、里津さんは犯人に対して容赦ありません。それが、再犯となれば、何をしでかすかわからない」
そんな人のバディは自分なのだと思うと、ぞっとする。
”できない”というワードが頭から離れないが、赤城に怒られたばかりということもあって、言えなかった。
「こんなところで雑談している暇あったら、捜査開始したら」
三人に冷たく言い放ったのは、里津だった。
怒りに満ちているのは、明らかだ。
下手なことを言えば、飛び火を喰らいそうな予感がする。
それゆえに、三人は里津の次の言葉を待つが、里津はなにも言わずに署に戻ろうとした。
赤城は慌てて腕を掴む。
「里津さん、少し落ち着きなさい」
里津は腕を払って、赤城を鋭く睨む。
「犯罪者がまた罪を犯したかもしれない。それで落ち着けって、本気で言ってるの?」
「気持ちはわかりますが、一人で行動することは許されません」
赤城が言ったことで、里津はようやく赤城の後ろにいる葉宮を認識する。
里津から見た葉宮は、未熟の塊。
それと行動を共にしろと言われたことが、里津は気に入らなかった。
「使えない人間はいらない」
オブラートというものを知らない言い草で、葉宮は反論したくなるが、ここに来てからの自分の行動を省みると、なにを言えるのだろうと、黙るしかなかった。
「彼はまだ新人ですから。それを育てるのも、貴方の仕事ですよ」
里津の頬がどんどん膨れていく。
まるで子供だ。
「お前の世話をすることのほうが、赤城さんの仕事じゃないからな」
その不満顔に言い返したのは、若瀬だった。
流れるように、二人の睨み合いが始まる。
「二人とも、事件に集中しますよ」
だが、赤城の一言で顔つきが変わった。
「里津さんは引き続き、胡桃沢さんに付き添っていてあげてください」
「嫌。私が犯人を捕まえる」
その言い方は、幼子のわがままのよう。
赤城は呆れた様子でため息をついた。
さすがに怒られると思ったのか、里津は言い訳のように言葉を紡いでいく。
「彼女と約束したの。絶対に犯人を捕まえるって。それに、和真なら私以上に、胡桃沢さんから話を聞き出せるでしょ」
「ちょっと待ってください。里津さん、また『絶対』と言い切ったんですか? 百パーセントの約束はしてはいけないと、何度言えばわかるんですか」
「だって、絶対に捕まえるもん。逃がすとかありえないから」
「だからって……」
テンポのよい赤城と里津の会話を、葉宮は二人の顔を交互に見ながら聞いていた。
「あのー……」
すると、葉宮が控えめに手を挙げる。
「二人って付き合ってるんですか?」
とても、仕事仲間の距離感とは思えなくて。
今聞くことではないとわかっていても、無性に気になってしまった。
すると、里津は吹き出すように笑った。
「だって、和真。付き合ってみる?」
「お断りします」
即答だった。
里津はさらに笑う。
「誤解のないようにお伝えしておきますが、僕には妻と子供がいますので、里津さんとそういう関係になるなんて、ありえません」
赤城の怒りが滲む瞳を見ると、バカなことを言ったと思わざるを得ない。
「さて、話を戻しましょう。里津さんはやはり胡桃沢さんについていてください。今は女性がついていたほうがいいでしょうから」
そこまで言われてなお、里津は嫌だと言い張ることはできなかった。
といっても、その顔は未だに不満を訴えているが。
「じゃあ、過去の事件資料チェックと、犯人の写真を捜査員に送って。資料は私の机に置いておいてね」
「言われなくてもそのつもりです」
赤城の返事を聞き、里津は鼻を鳴らして被害者の元に戻った。