後日、李仁はバーの店長から正式に退職届を受理された。
「そういえば、結婚したことは伝えたけど、パーティーはお互い忙しくてできなかったし、ミナくんのこと紹介してない人もいるのよね。だから、退職パーティーを結婚パーティーも兼ねてやろうって」
「今更?」
「うん、今更」
「……まあ、いいけど」
「だからスーツ、新調しに行こう」
「そこまでしなくても……」
そんなわけで、数日後、いつものテーラーへ二人で足を運んだ。
店に入ると、190センチを超える長身の男が待っていた。初老ながら、ベストスーツを完璧に着こなし、ふんわりと上品なコロンの香りが漂う。
「いらっしゃい。話は聞いたよ、バー辞めるんだって?」
低い声が響く。シゲさんだ。
この間、病室の外にいたあの人。湊音は見上げるほどの長身に、相変わらずドキドキする。体格だけじゃない。落ち着いた声、端正な顔立ち――きっと昔は相当な美男子だったんだろう。
……いや、実際にそうだったのだ。何せ、彼も李仁の元カレなのだから。
まずは李仁の採寸から。
「一応、退職パーティーで着る服だけど、普段も着られるスーツがいいなぁ」
「なるほど。じゃあ、生地も良いものにアップグレードして……あ、生地代は餞別ってことで安くしておくよ」
「さすがぁ、シゲさん」
軽口を叩き合う二人を見て、湊音の中にモヤモヤしたものが込み上げる。
(僕と一緒に生きていくとか言いながら、元カレとイチャつくなんて最悪)
思わず耐えきれなくなり、店の外へ出た。タバコに火をつけ、煙をふっと吐き出す。
「てか、李仁がタバコやめたんだから、僕もやめなきゃな……」
そうぼやきつつ二本目に手を伸ばしたところで、李仁が店から出てきた。
「お待たせ」
湊音は「あ、やべ」と思いながら、素早くミントを口に放り込んだ。
店に戻ると、大きな鏡の前で自分の採寸が始まる。
湊音の身長は168センチと小柄だが、剣道の顧問をしているため、体は引き締まっている。李仁と付き合う前は、服装には無頓着で、サイズの合わない安物のスーツを着ていた。
しかし、シゲさんを紹介されてからは、自分に合ったスーツを作るようになった。それだけじゃない。普段の服装も気を使うようになったし、髪型だって大輝にアドバイスをもらってから、意識するようになった。
鏡を覗き込む回数が増えたのも、李仁と出会ってからだった。
ふと、鏡越しに李仁と目が合う。何度も見ているはずなのに、どきっとする。
李仁は180センチ、小顔で足が長く、スタイルがいい。正直、並ぶと体格差が目立つ。
「湊音さん、少し胴回りが大きくなられましたね。でも、前と同じサイズでもいけますよ。どうします?」
「……つまり、それは太ったってこと?」
思わずお腹を見る。李仁は後ろでニコッと笑っていた。
「僕も健康に気をつけなきゃな……」
「適度に運動していても、年齢を重ねると若い頃のようにはいかないものです」
そう言うシゲさんは、190センチの長身でスラリとした体型を維持している。
ふと、棚に並んだ写真に目が留まった。その中の一枚――金髪の李仁と、リーゼント姿の若かりしシゲさんのツーショット。
昔はこの写真を見るたび、胸が痛んだ。けれど最近は、ただ「かっこいいな」と思うようになった。
それでも、やっぱり……鏡に映る自分と見比べると、ちょっと劣等感を覚えてしまう。
「前と同じサイズでお願いします」
苦笑いしながら、そう答えた。