湊音は家に帰り、鏡を見る。やっぱり切りすぎた――そう思いつつ、何度も鏡をのぞき込んだ。後悔しても仕方がないのに、気になって仕方がない。
ちょうどその頃、李仁が仕事から帰ってきた。
「すごくいいじゃん。セクシーね」
不意にそう褒められ、湊音は照れくさくなる。
「李仁ほどじゃないよ」
「あら、わたしのことセクシーだと思ってた?」
二人は自然にじゃれ合う。
ふと、湊音は李仁の髪を撫でた。指先に触れる、わずかに混じる白髪。気になってしまう。
「ねぇ、白髪染めてあげる」
「なによ急に。今度、大輝のところで染めてもらうわよ」
「大輝くんの店で白髪染めのキット買ったんだ。僕が染めたい……李仁の髪の毛」
李仁は湊音よりもお洒落にこだわりがある。ずっと大輝に髪を切ってもらっていたし、李仁と大輝はかつて恋人同士だった。
10年以上前、二人は美男子同士のカップルとして周囲からも注目されていたが、李仁の奔放さに傷ついた大輝が、寂しさを埋めるために同僚の女性と一晩過ごし、妊娠・結婚。その結果、二人は別れることになった。
それは李仁にとって突然の出来事で、大きなショックだったらしい。湊音も、そのときの話を何度も聞かされたことがある。酔っ払った李仁が泣きながら騎乗位を求め、ぐちゃぐちゃに泣き崩れる姿に、さすがに「自業自得だろう」とは言えなかった。
本音を言えば、湊音は李仁に大輝のことを忘れてほしいと思っている。嫉妬心がないわけではない。だからこそ、李仁の髪にはもう大輝ではなく、自分が触れたかった。
「大輝くんから染め方のコツを教えてもらったんだ。今日、染めるよ。もしよかったら、これからも僕が染めるから……一度だけ、やらせて」
少し強引に言うと、李仁は苦笑しながら頷いた。
染料の香りがふわりと漂う。湊音は慣れない手つきながらも、教わった通りに丁寧に染めていく。
「お上手ね、ミナくん」
「ありがとう。相変わらず褒め上手だね」
「そうかしら。でも、ちゃんと教わってきたのね」
「うん。大切な人の髪の毛を染めるんだから」
その言葉に、李仁の目尻が優しく下がった。
「……わたしも、あなたはとても大切な人よ。いつまでも、ずっと」
「僕もだよ、李仁」
湊音が李仁の耳につけていたカバーを外す。そこには、無数のピアスの跡が残っていた。
李仁は、付き合った人ができるとすぐにピアスを開ける癖があった。湊音と出会った頃には、すでに大量のピアスをつけていた。その姿に湊音は最初、正直ドン引きしたが、一つ一つに思い出があるのだと知った。
けれど、湊音と付き合い、夫夫になった今、李仁の耳にはたった二つのピアスしかついていない。両耳たぶにひとつずつ。それは湊音が贈ったものだった。
「ねぇ、ミナくん。わたし、決めた」
「何を?」
「ミナくんには心配かけたくないから……バーテンダーの仕事、辞めることにする」
「えっ? どうして?」
「健康面と金銭面を考えたら、夜の仕事を続けるより、給料のいい書店の本部で働いた方がいいかなって。どっちの仕事も好きだけど、ミナくんともっと一緒にいたいし、長く二人で生きたいから……。前からバーの店長とは話してたんだけど、なかなかタイミングがなくて。でも、さすがに倒れた時に思ったの。もう辞めようって」
湊音はそっと李仁の頬を撫でた。
「……もう心配かけたくないの。ミナくんの悲しい顔、見たくない」
李仁の頬を涙が伝う。
「ありがとう……カッコ悪いところ見せちゃったわね」
「いつものことだろ?」
「……そうね」
湊音の目にも涙がにじんだ。
時間をおいて、二人は染料を洗い流す。李仁の髪は、ほんのり艶を取り戻していた。
「今度はわたしがミナくんの白髪を染めてあげる」
「うん」
「ずっとしてあげる」
「僕もだよ」
二人はお互いの髪を撫でながら、ソファーに寄り添い、いつの間にか眠りについた。