そのあと、李仁が車で湊音を一旦家まで送って行き、夕方前だったこともあり、二人で李仁の家へ向かうことになった。
湊音の父・広見は、ベランダから息子が誰かの高級車に乗って出かけるのを目にし、妻・志津子に声をかけた。
「おい、湊音が高級車に乗って出て行ったぞ」
「あら、今度の彼女さんかしら。部活の引率で疲れてるのに、デートまでしてタフねぇ」
「ここ最近、遅くまで出かけたりしてニコニコしてたと思ったら、今週はやけに浮かない顔しててさ。けど、さっきまたニコニコで出てったぞ」
志津子は広見の腕を軽く握る。
「あなたもなんだかんだで気にしてたのね。でも、きっとまた彼女さんに振り回されてるのよ。若いんだから、今楽しければいいじゃない」
「そうかもな……。でも、今日は相手の家からそのまま出勤だろうな。若いっていいもんだ」
「私たちだってまだ若いじゃない……」
二人は見つめ合い、笑みを交わす。
「今夜どうだ?」
「いやよ」
志津子は軽くいなし、広見は肩を落とした。
湊音は車中で李仁と軽く会話をしながら、ドキドキしていた。
向かった先は李仁の住む中層マンション。その上層階に住んでいるという。
エレベーターの中では李仁にそっと寄り添い、李仁は湊音の腰に手を回す。湊音はその行為に胸が高鳴った。
部屋に入ると、広々とした玄関やリビング、さらに居間からの夜景に湊音は驚き、感動する。
「今から晩ご飯を用意してあげる。と言っても、実はもう作ってあるの」
「えっ……李仁さんの手作り?!」
「美味しいんだから」
BARで李仁がカクテルを作る姿を見て以来、彼の手際の良さに憧れを抱いていた湊音は胸を弾ませた。
「でも、もし今日僕をここに連れて来れなかったら……」
「絶対見つけて食べさせてあげるつもりだったのよ」
李仁はダイニングの椅子に掛けてあった黄色いエプロンを身につける。湊音はソファーに腰掛けたが、カウンター越しにキッチンの様子が見えるのが気になっていた。
「いつもみたいに近くで見ててもいいよ」
「いいよ、ここで待ってる」
照れくささを隠せない湊音だった。
用意されたビーフシチューは赤ワインが効いた濃厚な味わいで、自分のために準備してくれたことを実感し、湊音は心から喜んだ。
食後、二人はソファーに並んで座り、テレビをぼんやりと眺めていた。李仁が湊音の肩をそっと抱く。湊音の心臓が跳ね上がる音が自分でも聞こえそうだった。
「ねぇ、湊音くん……じゃなくてさ、ミナくんって呼んでいい?」
不意に李仁が名前を呼び変えた。湊音の頭の中は一瞬真っ白になる。
「え、あ、はい……」
自分の母親がそう呼ぶ以外では聞いたことがない愛称。彼にそう呼ばれることが、なんだかくすぐったかった。
「じゃあ、私のことも李仁って呼んで」
「え……それは……」
湊音は迷った。親しい人を名前で呼ぶのは苦手なのだ。でも、彼の瞳がこちらを真剣に見つめている。その視線が、どこか優しく、けれど逃げ場を与えないように思えた。
「……李仁」
やっとの思いでそう呼ぶと、李仁の顔に柔らかな笑みが浮かんだ。
「いいね、それ。ミナくん」
その瞬間、湊音の鼓動がさらに速くなる。彼の名前を呼んだだけで、こんなにドキドキするなんて――。
李仁がさらに距離を詰めてくる。その顔が近づいてくるのが分かり、湊音は息を飲んだ。
「好きよ、あなたのこと」
静かで深い声が耳に響いた。その声は湊音の中の何かを一気に揺り動かす。
彼の瞳が真っ直ぐこちらを見ている。湊音は視線を外そうとしたが、どうしてもできなかった。
「僕も……好きです。李仁が好き……」
自分の口から出た言葉に驚いたのは湊音自身だった。しかし、それを聞いた李仁の表情が柔らかくほころびる。
そして、次の瞬間。
「……ミナくん」
李仁の顔がさらに近づき、湊音の唇にそっと触れる。湊音の心臓は爆発しそうだった。
『……キスだ。僕、李仁さんとキスしてる……!』
李仁が唇を離したとき、湊音の頭の中は完全に真っ白になっていた。
「……キスしちゃったね」
李仁が微笑む。その笑顔は少しだけ意地悪そうで、でもとても優しかった。湊音は恥ずかしさに耐えきれず、顔を覆う。
「……恥ずかしいです」
「私は嬉しいけどな」
李仁はそう言うと、再び湊音の手を取り、もう一度唇を重ねる。