昼休みが終わった後も篠本君は実をよく見ていてくれたみたいで、やっぱり普段からは想像もつかないくらいの優等生っぷりを発揮していたらしい。
帰りのホームルームが終わった後に実より先に報告に来てくれた篠本君にお礼を言って、私はハッと顔を上げる。
扉の前には、実がいた。いつも通り、みんなで帰るコースだ。
昨日と同じく、十字路で別れる。
少し心配そうな顔で里佳子と篠本くんが私を見たけれど、帰る方向が実と同じだから私にはどうすることもできない。
いや、そもそも実のことを嫌いなわけじゃないのだから、どうもしなくていいんだけど……。
「さつき?」
「ん!? なに?」
急に声をかけられて、声が上ずる。
「今日、さつきちょっと変だよ」
「え? そうかな」
いや、どっちかっていうとあんたのほうが変なんだってば。
どっちかって言わなくても、変なんだってば。
寒空の下、凍てついたアスファルトを踏む。気まずくて少し早足になっている私の足が、ずる、と滑って宙に浮いた。
――まずい。
これ、背中から行くやつだ。
ふわ、と視界が上へ。お空きれい。
「さつき!」
背中に来ると思っていた衝撃が無くて、その代わりに実の腕が私の背の下にあった。ゆっくりと抱き起されて、息をつく。
「ありがと……ごめんね」
「なんで謝るんだよ、お前が無事ならそれでいい」
顔が、近い。
こういう時、いつもの実でも助けてくれるとは思うけど、腰に回った手はなんだろう。これ、すぐに解放してくれるものだと思っていたのだけど。
なんでずっと腰を抱いているんですか?
「うん、ありがとう……実?」
近い。やっぱり近い。熱に浮かされたみたいな目でこっちを見ている。
「どうしたの実」
「さつき、俺さ、お前の事……」
違う。
こんなの違う。
実はこんな目で私を見ないし、こんな声で話さないし、こんな距離で囁いたりしない。
「違う」
思わず、口から出ていた。
私は実の胸を両手で押し返して、距離を取る。
「え……」
実は呆然と立ち尽くす。かわいそうな気もしたけれど、もう止まらなかった。
「違う、こんなの実じゃない!」
「さつき? どういう……」
「実は、こんなんじゃない!!」
それ以上言わないで、実の顔で実の声で実が絶対に言わないことをこれ以上。
聞くなら本当の実の言葉が良い。
好きだなんて、今の実からは絶対に聞きたくない。
「今の実に何言われたって、うれしくないよ!」
振り切るように、駆け出していた。
実は、追いかけてはこなかった。
部屋へ駆けあがり、カバンを床に置く。
ドアに背を付けて、そのままへたり込んだ。
あれは、誰なんだ。
実じゃない。
実の顔をした、誰か。
気持ち悪い――。
あのサンタが、本当にサンタパワーとやらで実を私の彼氏にしてしまったんだろうか。
彼氏にしようとしているんだろうか。
実という存在を捻じ曲げられてしまったことに、悲しさと怒りがこみあげてくる。
ご近所さんには気がふれたと思われるかもしれないが、勢いよく窓を開けて叫ぶ。
「サンタの……バカやろーーー!! 実を……ッ」
大きく息を吸う。
「実を返せこのすっとこどっこい!!!!」
「誰が、なんですって?」
夕暮れ時だった空が、ふっといきなり真っ暗になった。
びゅう、と寒風が頬を掠める。
目の前にいたのは、三つ揃えのスーツに身を包んだ、銀縁の眼鏡の青年だった。すらりと高い背に、白い肌。
それより、私とて学習している。
おかしいんだ2階の窓の外にそんなものが見えるのが。
彼の足元に視線を落とす。綺麗に磨かれた革靴は、豪奢なアンティークのソリを踏んでいた。私が黙っていると、彼はため息交じりに言う。
「ご近所さんに迷惑でしょう、そうやって大きな声で罵倒しては……」
「す、すみません……、あなたもサンタ、なんですか」
「ええ、私はサンタですよ。あなたが今口汚く『ばかやろう』『すっとこどっこい』と罵った、そのサンタです」
眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、男は言った。なんでこんな偉そうなんだろう。
「偉そうというか、偉いんですよ実際」
「えっ、すみません……」
口に出てた? ていうか、私謝ってばかりじゃない?
このまま気圧されていてはいけない。この人もサンタならば、ひょっとしてあの変なおじさんのことも知っているかもしれない。
「あの、違うんです。あなたのことじゃなくて、昨日ここにサンタが来たんです」
「え?」
スーツの男は眉を顰めた。
「そのサンタって名乗る変なおじさんが、いやサンタじゃないかもだけど……そいつが、私と幼馴染の実を恋人同士にしてやるって言って……それから、幼馴染の様子が変で」
男の顔色がどんどん悪くなっていく。びきびきと額に青筋がたっていく様子が見えて、何も悪いことをしていないのに私は小さくなってしまった。
「あの……」
「心当たりがあります、少しだけお時間をいただけますか」
「え、はい」
失敬、というと、男はソリに乗せていた黒いビジネスバッグからトランシーバーと思しきものを取り出して、乱暴にスイッチを入れた。
「Z-578、応答せよ。――至急こちらへ向かえ!」
そして、乱暴に切断する。ぶつん! という音が私にも聞こえた。
その呼び出しの仕方、普通にパワハラのにおいするけど大丈夫だろうか。
「大変申し訳ありません。少々お待ちいただけますか」
私も立ち会いますので、こちらにて待たせてください、と深く頭を下げた男に、私も軽く会釈を返した。
「あ、あの、上がります……?」
寒空の下、雪も降ってきた中に立たせっぱなしというのはなんだか悪い気がして提案するが、男は丁重に断る。
「いえ、お構いなく。寒いと思いますので、窓を閉めてお待ちください」
「どうも……」