「先輩、先輩っ! 見てくださいあれ、マグロさんがいっばい泳いでますよ!! ……じゅるりっ」
「ヨダレ出てるぞ」
「ハッ……つ、ついっ」
友達同士、家族連れ、カップル。いろんな人達が程よくごった返す水族館の館内を進む。
少し廊下を進むと、大迫力な水槽の中でマグロが右回りを続けていた。
魚のギョロ目が苦手、と言っていたえるを水族館に連れてくるのには若干の不安もあったが、どうやら本人はテンションマックスで楽しんでくれているらしい。マグロを見るときだけ舌なめずりをするのはいかがなものかと思うが。
「お、チンアナゴだ。可愛いな」
「え? これ、可愛いですか……? なんかヘビみたいににょろにょろしててちょっと怖いです……」
「俺は好きなんだけどなぁ、チンアナゴ。なんか俺も爬虫類とかは苦手なんだけど、別の可愛さっていうか。チンアナゴはチンアナゴっていう種類で可愛く見えるんだよ」
「……私、先輩が言ってること初めて理解できません」
「酷いな!?」
チンアナゴ、イルカやペンギンと並ぶくらい可愛いと思うんだけどなぁ。
そんな感じで熱烈なディスを受け少ししょぼんとする夏斗は、引き続きえると水族館の中を徘徊していく。
昔は水族館なんて、魚がいっぱいいるだけだろうと思っていたのだが。どうも好きな人と一緒にいると、雰囲気というか、空気感がとても居心地を良くさせている。程よく他の客で静かになりきらないところや、たまたま人がいないコーナーに入ったときに急にシーンとなるギャップや。何より移り変わる彼女の表情を横から見ているだけで、胸がいっぱいになった。
「なあ、える。この後ペンギンショーあるみたいだけど、行くか?」
「ペンギンさんですか!? 行きます!! 絶対行きますっっ!!」
「よっし。じゃあ早速向かうか。あと五分で始まるから場所が埋まるかもだし、少し急ごう」
「はぁ〜い! あ、でも私この手は離しませんからね! 少し走ってもいいですけど、手は繋いだままがいいです!!」
「はいはい。心配しなくても、走るほど急がないって」
予定通りだ。このままペンギンショーに行って、けるには言っていないがそこでは引き続きイルカショーが行われる。きっと見たがるだろうから、それも見終えてから。十分後に、告白するための牙城は完成する。
告白をする瞬間まであと五十分。時間が近づけば近づくほど、胸の鼓動が高鳴って仕方がない。
もし、えると恋人になれたら。彼女も自分のことが好きだと、言ってくれたら。
その時は、今の先輩後輩の関係では出来なかった……踏み込めなかったことを、いっぱいしよう。まだまだえると一緒にいたい。えると、色々な経験をしたい。
緊張感とは裏腹に、膨れ上がっていく期待。
仮定形で妄想を続ける夏斗はまだ、運命の五十分後。最愛の後輩からぶつけられる言葉がどのようなものになるのか、想像もしていなかった。
『嫌です。そんなの絶対……嫌ですッッッ!!!』
まさか、あんな返事が返ってくることになるなんて。
◇◇◇◇
「以上、イルカさんたちのショーでした! みなさん、頑張ってくれたイルカさんたちに拍手をお願いしまーす!!」
「わあぁぁっ! 先輩、凄かったです! イルカさんたち、ぴょんぴょんって! 輪っかくぐりも一斉ジャンプも、最っ高でした!!!」
「そこまで喜んでもらえると連れてきた価値があるな。イルカも凄かったけど、ペンギンもめちゃっくちゃ可愛かった!」
「ですね! これはぜひお土産屋さんでぬいぐるみの購入を検討しなければ……っ!!」
イルカショーが終わり、熱狂が少しずつ消えていく観客席。
徐々に人が減り始めると、俺たちもその動きに呼応するように。けれどテンションだけは冷めないまま、二人で席を後にした。
日は落ち始め、段々と外が暗くなる中。二人の遊園地デートの終わりも、少しずつ近づいている。
「あ、そうだ。お土産屋さん行く前に寄っておきたいところがあるんだけど、いいか?」
「私も、まだ行きたいところあったんです! 先輩の行きたいところってどこですか?」
「最初人が多すぎてスルーした、ドーム型水槽道路。魚たちが泳ぐ様子をまるで自分たちもその水槽の中にいるかのように見れるって」
「せ、先輩も同じことを考えてたんですね? 私も、そこに行きたいって思ってたんです!」
「なんだ、えるも同じ目的地だったのか。段々と人も少なくなってきたし、ゆっくりまだ行けてないところも回りながら行くか」
「えへへ、そうですね。ゆっくり……行きましょう?」
無限にこの時間が続いてほしいと思った。でも、終わりは近づいている。えるも少なからずまだ帰りたくないと思ってくれていたのか、「ゆっくり行こう」という言葉にとても嬉しそうな表情を見せてくれた。
(いよいよこの時が来たか。その水槽を抜けた先で、俺は────)
ゆっくり、という宣言の通り、二人は時間をかけてまだ行けていなかった場所を全て巡った。
あとは例のドーム型水槽と、水族館出口とその水槽の間に設置された小さなコーナーのみ。えるの言っていたお土産屋さんは、出口から退館した後に訪れる方ができる場所だ。
「お、着いたぞ。この先みたいだ」
目の前に現れた透明な通路に、足を踏み入れる。
「おっ、きぃ……」
「凄いな。これが……」
見上げた先にいたのは、ジンベエザメやエイなどを始めとした大型海洋生物達。いや、見上げた先だけではない。上下左右、全てが透明な壁に覆われているそこはまるで、海の中に生まで飛び込んだかのような景色を一望できる最高のスポットだった。
「みんな、います。さっきまで色んな水槽に分けられてた子達が、みんな……」
えるは、そっと透明な壁に触れる。
視線のすぐ先では、名前の分からない魚がこちらを見つめ、すぐにそっぽを向いて周りにいた仲間達と自由気ままに泳ぎ始める。
圧巻。そして、感動の景色。えるはうっとりした様子で、ただ周りを行き交う魚達を見つめていた。
「先輩。私……帰りたくないです。ずっとこんな綺麗な場所に、先輩と二人きりでいれたらいいのに……」
「える?」
「ナツ、先輩」
「なんだ?」
「……また、連れてきてくれますか? 私たちの関係が、今のままじゃなくなったとしても」
「っ!? ど、どういうことだよ?」
くるり、と夏斗の方へ振り返ったえるの目元は、潤んでいた。
その涙の意味も、”私たちの関係が今のままじゃなくなったとしても″という言葉の真意も。夏斗には、何一つ分からない。
「連れてきて、くれますか?」
「……」
ただ、その問答には確かに何か特別な意味があって。その返事次第で、えるの中で何かが変わる。
変わると思わせるだけの気迫が、その小さな声にはあった。
(いきなり何なんだ。分からない……けど)
「ああ。必ずまた、一緒にここに来よう。えるの言っている意味は俺には分からないけど、俺は今日一日……これまで生きてきた人生の中で一番、楽しい日だったから」
夏斗の出した結論は、″ありのまま″を言葉にすることだった。
心からの本音で、嘘ひとつなく。えるの質問に、正々堂々と答える。
そうすることで彼女が何か意味を手に入れる方ができるなら、と。
「そう、ですか。……ありがとうございます。先輩のおかげで、決心がつきました」
「決心?」
「ふふっ、こっちの話です。あとちょっとすれば、分かることですから」
「そう、なのか? まあえるが何か決心できたってのは、良かったけど……」
「じゃ、行きましょうか。先輩。私、これ以上ここにいたら帰りたくなくなっちゃいますから」
「お、おぅ。そうだな」
(俺も、なんだか決心がついた気がする。────次は恋人として、えるをここに連れてきたい)
あと一分。幸か不幸か、夏斗の告白までの時間は刻一刻と。急ぎ足で、近づいていた。