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第42話 先輩、遊園地デートです!4

「お、おま……何やって……」


「ふふんっ。どぉですか? 観念しましたかぁ?」


 観念も何も。


 ただ可愛いだけである。


 自分の上に馬乗りになってくる美少女。ニヤリと料理を確信する笑みと共に胸元をたぷたぷと揺らすその姿は、目の保養でしかない。


 しかし一応まともな思考を持ち合わせている夏斗は、無理やり力で形勢を逆転させたり、このまま凝視したりするわけでもなく。ゆっくりと目線を逸らしながら、言った。


「え、えるさん? 分かった、俺の負けでいいから。そろそろどいてくれない?」


「やーですっ。えへへ、先輩に勝った余韻にもう少し浸らせてください〜」


 夏斗は知っていた。


 こうやって彼女が調子に乗る時、ほとんどの確率でそれは裏目になってしまうことを。


 まるでそんなえるを叱りつけるかのように、天罰が待ち受けていることを。


「ふふふ、先輩っ。女の子に負けちゃいましたね? よわよわなナツ先輩……ふにゃぁっ!?」


「うっ、お!?」


 それは、外的要因からの天罰。自分達以外にもこの施設を利用している人からの、偶然の衝突であった。


 しかしただでさえ疲れが目立ち、未だに手先がプルプルしているえるにとってその揺れは致命傷。ボール同士が当たったことに気づいた子供はすぐにどこかへと行ってしまい、その場には……倒れ込み、覆いかぶさったえると、下からそれを支える夏斗の二人だけが残された。


「あっ……あぅ……」


 トクンッ、トクンッ。静かなウォーターボールの中で、お互いの心音だけが響く。胸部同士を激しく密着させて見つめ合う二人の顔は次第に赤みが増し、けれど謎の引力によって目線を逸らすことができない状態が続いた。


「せん、ぱぃ」


「える……」


 えるは夏斗の、節々から伝わってくる細かな筋肉を。夏斗は胸元に強く押しつけられる柔らかな物と、眼前に迫る彼女の甘い匂いを。


 お互いに堪能しながら、透明なボールという外界との壁としてはあまりに薄すぎる無防備な空間の中で。


 そっと、鼻同士を合わせた。


 ツンッ。お互いの鼻先が触れ合い、相手の瞳に映る自分の姿を凝視しながら、じっと見つめ合う。


 エスキモーキス。二人が無意識にしたそれは、唇同士でキスをしてしまうとあまりの寒さに口がくっついてしまう地域でされるようになったキス文化であり、鼻同士を擦り合わせることで愛情を表現する形。俗に言う鼻キス。


 しかしそんなことなど知らない二人にとっては、ただ今以上に密着していたいという気持ちの表れ。あと一歩、唇同士の″本番″に手を出せない、そんな二人にできる精一杯の努力だ。


「ナツ、先輩。少しだけ……ぎゅっ、て。してもいいですか?」


「……いい。というか、俺もしたい」


 ツンッ、ツンッ、と二、三回ほどエスキモーキスを繰り返してから、えるは身を預けるように全体重を乗せ、夏斗の首元に手を回して耳同士を接触させる。


 それと同時に、夏斗もその細い身体の後ろに両腕を回して、そっと力を込めた。


 細かな呼吸音と、優しい心臓の音。そのまま目を閉じてしまいそうになる心地よさと共に、えるは水上を、夏斗は晴天の空をボール越しに眺める。


 ずっとこうしていたいと思えるほどの幸福感だった。恥ずかしい、緊張する。そんな思いは簡単に消し飛んでしまって、今はただ相手の体温を肌で感じ取れるこの時間が愛おしい。


「あったかい、です。先輩といると、心がキュッと熱くなります。ずっと、こうしていたいです……」


「俺も、えるとこうしてると疲れが全部吹っ飛んだ。癒されて、幸せだ……」


「えへへ、先輩。耳まで真っ赤ですよ?」


「そんなこと言ったら、えるだって。心臓の音、ドンドン速くなってるぞ」


 ふふっ、と互いに小さく笑みが漏れる。


 大好きな人とするハグは、最高だった。


 でも、いつまでもこうしているわけにはいかないことも、分かっている。分かっているからこそ、短い時間を全力で楽しんで。楽しみ抜いて。最後に一回だけ、強く抱きしめあってから、ゆっくりと離れた。


 普段一緒に登校して、別れ際にするハグとは明確に何かが違う、そんなハグ。ちょっと体勢と密着度が変わっただけで、幸福感は何倍にも膨れ上がって。


 いかに相手のことが好きなのかを、理解させられた。


「……そろそろ、次のアトラクション行きましょうか」


「そう、だな」


 二人で一緒に起き上がって、はにかみ笑いを浮かべて手を繋ぎながら。


 ゆっくりと、水上を進んだ。


◇◇◇◇


「はぅ〜……疲れましたぁ」


「いっぱい遊んだなぁ。ちょっと休むか」


 夕方五時。少しずつ他の客の待機列なんかも落ち着き始めた頃、夏斗たちは数多くのアトラクションで疲れ切った身体をベンチで癒していた。


 ちゅうちゅうとさっき買ったタピオカドリンクを飲むえるの頭を撫でながら、チュロスを摘む。


 ホエールボールで距離が近づいた後も、二人の空気感は最高潮のままだった。恋人繋ぎで園内を回り、今ではこうして誰もいないベンチに座って肩を寄せ合い、夏斗に至っては無意識にその小さな頭をなでなでしてしまうほど。


 もう既に、充分恋人の距離感である。


「俺も飲み物買えばよかったな。チュロスだけだと口の中乾く……」


「んっ。でしたら先輩、このタピオカを!」


「い、いいのか?」


「えへへ、先輩となら間接キスも嬉しいですから。その代わり、私にもチュロス一口くださいね!」


「ああ、もちろん」


 えるから差し出されたタピオカを、一口。えるが口をつけて吸っていたストローで飲む。それと同時にえるは夏斗が食べていたところからチュロスをパクり。


 お互いに、それらを口に含んでから。飲み込んで、顔を赤くした。


「先輩の食べかけ……甘い、ですね」


「え、えるの飲みかけも。めちゃくちゃ、甘い」


 ぎこちなく、静かに。共に恥ずかしさと嬉しさを噛み締める。


 さっきまで散々アトラクションで騒いできたせいか、どこか二人の間にはしんみりとした雰囲気が流れていた。


 夕日も見え始め、少しずつ一日の終わりが近づいている。このデートの終わりと、そして同時に二人の関係性が明確に変わる瞬間が。


 両片想いを続けた二人の、告白の時間が。刻一刻と、近づいているのだ。


「アトラクション、全部乗り終わったし。そろそろあそこ、行くか?」


「……はい」


 混雑状況なんかを予想し制作したロードマップの、最後の目的地。


 このフィッシュパーク最大の目玉である超大型水族館、「アクアリウム•イン•ザ •シー」。各地から集められた数多くの人気海洋生物達とそれらを取り巻くオシャレな空間が、二人を待っている。


 夏斗は立ち上がると、えるの手を引いて水族館へと向かう。


 一週間前から、何度も一人で予行演習してきた。水族館の中で行われるイベントも全て調べ尽くし、最も告白に最適なタイミングを探し出して。えるに伝えたい言葉も、頭の中で復唱できている。


 あとは伝えるだけ。えるとただの先輩と後輩という今の関係を卒業し、恋仲になりたいというその素直な気持ちを。


(大丈夫。大丈夫だ……)


 きっと成功する。彼女は自分のことを受け入れてくれる。そう言い聞かせても、やっぱり不安なものは不安で。まだ告白の時間まではあと一時間半もあるというのに、心がざわついて落ち着かない。


 そして本人は、そのざわつきがただの緊張からではないということを知らない。


 初恋の失恋というのは、本人の知らないうちに心の奥深くへと根を張り、住み着いているのだ。


 ふと重要な瞬間に。その芽を出して、夏斗自身を痛めつけるために。そんな種が芽吹くための準備をしているのが、今の心のざわつきを誘発していることを知る由は、どこにもない。


「先輩……水族館、楽しみですねっ。私、ペンギンさん見たいです!」


「おっ、いいな。ペンギンショーもあるらしいから、見に行こうか」


「やったぁ!」



 運命が変わる瞬間は、あと少し。

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