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第37話 先輩、私はもう合わせる顔がありません

「オイ、夏斗!! まだいるか!?」


「おぉどうした悠里? お前、帰ったんじゃ……」


「それどころじゃなくなったんだよ! 俺の妹から、お前を呼ぶように言われたんだ!」


「え、お前の妹?」


 そもそも妹がいたのか、と夏斗は首を傾げた。


 だが悠里の表情を見て、何か異常な事態が起こっていることは分かる。今、部活に向かった紗奈と別れてそろそろえるに会いに行こうとしていたところだったのだが、いつもは早い返信が全く返ってこない。


 嫌な予感はしていた。


「今すぐ夢崎ちゃんの教室に行け。何があったのかは聞いてないが……桃花は、めちゃくちゃ慌てた様子で電話してきた。あの子に、何かあったのかも────っ、オイ!?」


「ありがとう悠里! すぐに行ってくる!!」


 夏斗は階段を急いで駆け上がり、一年生のクラスが並ぶ四階へ。


 一年一組、二組と横切った後輩に不思議そうな目で見られながらも全ての視線を無視して駆け抜け、三組の前にいる桃花に手招きされてから。呼吸を落ち着かせ、後ろの扉の前に辿り着いた。


 えるは、泣いていた。窓際の後ろから二番目の席で一人、静かに。


 目元は腫れていて、机には涙が滴っている。何度も何度も涙を拭って、それでも止まらないらしい。


「早乙女先輩。あと、お願いしますね」


「うん、ありがと。悠里の妹って、君だったんだね……」


 桃花はすぐに教室から離れて行った。


 静かな教室。まだ昼間で煌々と太陽が照らすそこに、夏斗はゆっくりと歩き出す。


 何があったのか、分からない。でもおおよその検討はついていた。


「える。どうした? そんなに泣いて……」


「っ!? 先、輩……?」


 ビクッ、と細い身体を一瞬震わせた彼女の机から、はらりと一枚の紙が落ちる。


 足元に来たそれを拾い上げると、夏斗の推測は確信へと変わった。


「やっぱりテストのことだったのか。四十九点……これのせいで、泣いてたのか?」


 どこか視線を合わせづらそうに下を向くえるは、コクリと無言で頷く。


 ケアレスミスによる大幅減点。一つの大問のみが壊滅的な正答率で、しかもそれが記号問題だという時点で夏斗はえるがどうしてこの点数を取ったのか察した。


 そしてそれがどれほど悔しいことかも、理解している。きっと普通に解いて分からなくて、その上で取ってしまった四十九点よりもよっぽど辛いはずだ。なぜなら今落とした数十点は、本来であれば絶対に取れていたものだったのだから。


「ごめん、なさい。先輩が、あんなにも教えてくれて……時間を、割いてくれて。それなのに私は、こんなことで……っ!」


 震え、掠れた声で言う。


 その言葉には、申し訳なさが詰まっていた。


 えるはただ点数が取れなかったことに悔し涙を流しているのではない。


 自分に使ってくれた時間を無駄にさせてしまった。期待に応えられなかった。そういった自己嫌悪が溢れ出して、爆発していたのだ。


「える……」


「私、先輩に合わせる顔がありません。調子に乗って、取れていたはずの点を落として。こんなの、先輩に対して失礼以外の何ものでもないじゃないですか……」


「える」


「ごめん、なさい。こんな後輩に、時間を使わせてしまって……。もう私、先輩の隣に立つ資格なんて……」


「えるっ!!」


「っっ!?」


 ガシッ。大きく手を広げて、えるの小さな両肩を掴んだ。


 それ以上、言わせたくなかった。そんなことを、軽々しく言ってほしくなかった。


 咄嗟に身体が動いてしまって、いきなり顔を上げさせられたえるはビクビクと震えている。また涙が溢れて、制服を濡らしている。


 なんて声をかければいいのか、分からなかった。


────だから、思ったことをそのまま口にすることにした。


「どうでもいい」


「え……?」


「お前のテストの点数なんて。どうでもいいんだよ」


 それは、心の底から出た本音だった。


「あっ、え……っ」


 えるは、酷く動揺していた。


 それもそうだろう。テストの点数は、一番目に見えて分かる努力の形。それをどうでもいいなんて言葉で一蹴されて。怒られてもいいくらいのことだ。


 でも、やっぱりそう思ったのは本当のことで。えるの努力も、気持ちも、誠意も。全部、もう伝わっていたから。そんな目に見える形なんてものがなくても、理解しているから。


「ごめん、なさぃ……」


「もう謝らなくていい。そりゃ、お前の目標が達成できなかったのは少なからずショックかもだけどさ。悪いけど、本当にお前のテストの点数が悪くても、俺は気にしてないんだ」


「そんな、わけっ! だって私、先輩の勉強の時間を一杯奪いました! それなのに結果で返すことができなくて……そんなの、愛想尽かされて当然で────」


「うるせぇっ」


「ふぎゅっ!?」


 むぎゅぅ。右手を肩から外し、両頬を一気に押し潰してやる。


 情けない声を出して、えるの顔が歪んだ。口が前に飛び出してきて、ウサギみたいな口になって。面白い顔だった。


「にゃ、にゃにほっ……!」


「えるが面倒臭いことばっかり言ってるから。もう喋れないようにしようと思って」


「ふぐぎゅぎゅっ……」


「おっ。涙収まってきた? える、今めちゃくちゃ面白い顔になってるぞ」


「…………っ」


 そうやってしばらく頬をもにゅもにゅと揉み続けていると、えるの目元から涙は止まっていた。依然、目は赤く腫れているけれど。ヒクッ、ヒクッ、と喉が少し痙攣しているくらいで、やがてそっと手を離すと少し落ち着いてくれているように見えた。


(本当は、ご褒美として渡したかったんだけどな。こういう渡し方も、悪くないよな)


 ポケットに手を入れて、封筒を取り出す。


「さて。える、お前言ってたよな。全教科五十点達成したら、何でも一つお願いさせてくださいって。そしてもし目標が達成できなかったら、逆に俺の方から何でも言ってくれていいって」


「……はぃ」


「じゃあ、罰ゲーム実行。えるには……」


 スッ、と封筒から取り出すのは、二枚のチケット。そのうち一枚をえるの左手に乗せて、罰ゲームの内容を伝えた。


「来週の日曜日、俺と一緒に遊園地に来てもらう。一日連れ回すから、覚悟しとけよ!」


「へっ……?」


 ビシッ、と指を挿しながら言ってやった。


 が、えるはぽかんとしている。もしかして……あまり嬉しくなかっただろうか。それとも、いきなりすぎただろうか。


 そんな不安を煽るように、えるは一瞬ハタハタと慌ててから。まだどこか震えている小さな声で言う。


「こ、こんなの罰ゲームなんかじゃないです! 私、酷い点数を取ったんですよ? もっと、お仕置きするみたいな……」


「なんだよ。えるは何でも一つ言うこと聞くっていう約束破るのか?」


「っ……それは……」


 相変わらず、本当に面倒臭い。


 えるは鈍感だ。きっと普通の女子ならこの意味をちゃんと受け取って、理解してくれるはず。こんなに恥ずかしい台詞を言う必要なんて、なかっただろうにな……。


「俺がえると遊園地行きたいんだよ! だからこうして、前々からチケットを用意してた! えると一緒にいられることが俺にとっては、充分すぎるくらい幸せなんだ。それこそ、なんでも一つ言うことを聞かせられるって言われてもこんなのが真っ先に思いつくくらいに、ずっと一緒にいたいんだよ!!」


「……っっっあ!?!?」


 えるは、数秒固まって。それから時間差で爆発するように、ボッと顔を赤くした。


 恥ずかしがりたいのはこっちの方だ。穴があっなら本当に入りたい。少なくとも今日は、ここまでの台詞を言うつもりなんて無かったのに。


 告白する時に伝えようと思っていたような言葉を、たくさん使ってしまった。これはきっと告白する時、語彙が無くなってしまって困るやつだ。そして何よりこんな誰もいないとはいえ学校の教室で吐いていい言葉ではなかった。どんどん恥ずかしさが込み上げてきて、今にも胸が張り裂けそうだ。


「本当に、いいんですか……? 怒って、ないんですか……?」


「あ、当たり前だろ。その……えるがめちゃくちゃ頑張ってたのは知ってるし。あと、時間を奪ったって言ってたけどさ。俺、今回の成績今までで一番良かったよ。多分、えるが隣にいて……かっこいいところ見せたいって、頑張れたから」


「あ、ぅあ……そ、そうです、か」


「これ以上恥ずかしいこと言わせないでくれ、頼む」


「……ひゃひっ」


 気まずかった。小っ恥ずかしい雰囲気を作ってしまったせいで、二人して赤面したまま固まって。


 そうして夏斗が照れ隠しに背を向けると、逃さないとばかりにえるはその背中に抱きついて。


 誰にも聞こえない。目の前にいる夏斗でさえも聞き取ることのできない、そんな心の声がギリギリコップから溢れ出したかのような声量で。


「やっぱり、大好き。先輩……大大大大好き……」



 呟いた。

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