「んぅまあぁぁ……っ!」
「おお、本当によく食べるな。その細い身体のどこにそんな量入るんだ……」
幸せそうな表情を浮かべながら紗奈が頬張っているのは、『デラックストンカツセット』。八つに切り分けられた大きなトンカツ、大盛りのキャベツが乗せられた大皿に、ご飯と味噌汁。キャベツ、ご飯、味噌汁はそれぞれ無料でおかわり可能で、今彼女はご飯二杯目、キャベツ二杯目を半分ずつ食べ終え、トンカツも六切れ減ったところである。
「私の胃はブラックホールなのだよ! 摂取した高カロリーも走ればすぐに消費できるし、圧倒的モーマンタイ!!」
「流石陸上部。考え方まで染まってるな」
「そういう早乙女は少ないねぇ。いっぱい食べないと大きくなれないよ?」
「お母さんかお前は」
夏斗が頼んでいるノーマルなトンカツセットも、決して小さくはない。六切れのトンカツと、あとは同じ付属品。まさに普通だろう。
それに、山盛り食べてお腹いっぱいになるわけにもいかない。夕方からはえると会い、お疲れ様会をするのだから。予約したお店を堪能できるよう、お腹の容量はしっかりと空けておかないと。
「ふぅ、あっつぅ……制服じゃなくてもっと涼しい格好に一回着替えてから来ればよかったかな……」
「そうか? 結構冷房効いてるけど。それに夏服だしな」
「む、人を暑がりみたいに言わないでよ! もぉ……」
紗奈はそう言いながら、夏制服の第一ボタン、第二ボタンを開けてリボンを取る。
はらりと落ちた赤いリボンの下から覗いたのは、綺麗な形をした鎖骨。それに加え、普段の陸上衣装のせいで出来た、日焼け痕。
女の子にしては若干小麦色によった肌をしている彼女の、日焼け前の真っ白な肌。不意に見せられたそれに、夏斗は思わず目を逸らした。
「今、見たでしょ。……エッチ」
「ふ、不可抗力だ! 見せてきたのはそっちで────」
「私の日焼け痕に、ドキッとしちゃった?」
「……否定は、しないけど」
「ふふっ、できないの間違いだねぇ」
逸らした目線を紗奈の顔に戻すと、憎たらしくニヤリ顔をしながらも整っていて、可愛いその表情にまた心が揺さぶられる。
男勝りな、ただの女友達。ここ数週間でその認識は少しずつ変わっていて、自分の中で彼女が「女の子」になってきているのを感じてしまい本当に怖かった。
「あのな、柚木。男子高校生はケダモノなんだぞ。誰にでもそんなことしてたら、いつか勘違いされて……」
「ん? 誰にでもなんてしないよ。私がこういう姿を見せるのは、早乙女にだけだよ?」
「っっ!? だから、そういうところがだなぁ……!」
「あはは、やっぱり早乙女はいいリアクションしてくれるね。やり甲斐があるよ」
「てめぇ……」
眉間に皺を寄せる夏斗を横目に、紗奈は耳にかかった横髪をかけ直してからお箸で、トンカツをつまむ。それをちょんちょんとソースにつけて、口へ。運んでからは口を手で押さえ、一切音を立たず咀嚼してから白ご飯と合わせ、最後に水で流し込む。
「うん。やっぱり……早乙女と食べるご飯が、一番美味しいや」
また、二人でこうして出掛けたいな。そう、心の中で呟きながら。
◇◇◇◇
ご飯を食べ終えた二人は、三階に位置していたトンカツ屋を出てエスカレーターで二階へと降りる。
ちなみにトンカツ屋のお支払いは、テストの結果に関わらず努力していたことへのご褒美として、夏斗が二人分支払った。痛い出費だったが、それ以上に彼女の笑顔を見たいという気持ちが勝ってしまったのである。
「ありがと、早乙女。その……もしテストで良い点数が取れてたら、次は私がお礼するよ」
「そうだな。楽しみに待ってるよ」
談笑しながら(紗奈の方は談笑と呼べるほどリラックスしていた表情ではなかったが)向かうのは、文房具屋。夏斗のシャーペン芯が切れていて、ついでに買いたいからとのことだった。
モールの専門店街を通り、文房具屋の中に入っていつも通りの芯を購入。そこからは特に何かすることが決まってあるわけでもなく、二人でなんとなく二階をぶらぶらと歩いた。
「ねぇ早乙女。手……繋いでもいい?」
「はぁっ!? な、なんでだよ!」
「なんとなく。早乙女と手を繋ぎながら、歩きたくて。だって今日はその……デート、でしょ?」
「い、いやでも、それは流石に……」
「……ダメ?」
「うっ……」
相変わらず、夏斗は女の子のこの視線に弱い。
えるの時もそうだが、上目遣いで頼み込まれるような目をされると、断り切れないのだ。特に相手が可愛い子であれば、尚更。
えるという両想いな相手がいたとしても、所詮は彼女も出来たことがないチェリー。美少女柚木紗奈にそう言われては、強く拒否できなかった。
「わ、分かったよ。変な噂たったりしても知らないからな?」
「……それはそれで、結果オーライなんだけどな」
「? 何か言った?」
「ううん! なんでもない!! じゃあ遠慮なく……」
独りごちた彼女の本音を聞けないまま、夏斗は左手を取られる。
きゅっ、と握り込んできたその手のひらは普段の元気いっぱいな男勝りの彼女からは考えつかないほど、小さくて。指もすらっと細いし、ドキりとさせられた。
しかも、極め付けは────
「ちょっ!?」
「えへへ、恋人繋ぎ……しちゃった」
その五本指が、全て絡められたことである。
俗に言う恋人繋ぎ。五本指全部で繋がって、普通の手繋ぎ寄りより濃密に触れ合うことになる。夏斗がその繋ぎ方をした事があったのは、紗奈を除けばえるのみだった。
日常的にしている相手だとやがてそれにも違和感を感じなくなってくるが、ここ数週間でただの友達として見れなくなってきていた女の子からの、はじめての……それでいて、突然の恋人繋ぎ。身体の芯から、全身が熱くなった。
「早乙女の手、おっきいね。男の子のゴツゴツした手、かっこいいよ」
「や、やめろマジで。普通の繋ぎ方にしてくれ……」
「ふふっ、どうして?」
そんなの、決まっている。
意識してしまうからだ。
彼女の体温、息遣い、近い距離感。えるという絶対的な想い人がいるというのに、今隣にいる美少女に意識を持っていかれそうになるからだ。
それほどまでに、紗奈の存在は夏斗の中でとても大きなものへと膨れ上がっている。勿論それこそが、彼女の狙いではあるのだが。
「もしかしてぇ……ドキドキ、しちゃったの?」
「っあぁ!?」
ビクンッ。耳元で囁かれ、身体が反応する。
昔なら、きっとそんなことをされても何も感じなかったはずだ。
ただの女友達。彼女は、友達なんだ。決して、″そういう対象″では……
(俺が好きなのはえる! える一筋だ!! えるえるえるえるえるえる!! えるが好きなんだァァァァァ!!!!!)
(えへへ、早乙女が私のこと意識してくれてる。……嬉しい)
そうして、繋がれた手はその後一時間半。どの店を回る時も、ジュース屋さんで飲み物を買うためのお会計をした時や、少し休憩に寄ったベンチに座った時まで。
別れて、帰路に着く寸前まで離れることはなかったのだった。