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第22話 先輩、お願いしてもいいですか?

「えへへ……むにゃぁ」


「オイ嘘だろ。早すぎるだろ流石に」


 すぴぃ。勉強を始めて三十分。スイッチが入り一気に集中できるようになったのも束の間、右腕に何かが寄りかかってくる。


 それは、幸せそうに目を閉じて力尽きたえるであった。


「起きろぉ。おーい」


「んっ……はっ!? 私寝ちゃってましたか!?」


「おう、それはもうぐっすりとな」


 えるは勉強が嫌いというわけではない。家で予習復習をするほどではないけれど、学校の授業中は夏斗のことを考えて自分の世界に没入してしまう時を除いてかなり真面目に勉強に取り組んでいる。


 しかし、問題が一つ。それは文字面や数学の公式なんかを眺め続けると、すぐに眠くなってしまうことである。


 流石に緊張しているテスト中や寝ると怒られてしまう授業中なんかに寝てしまうことはほとんど無いものの、自室にこもって勉強するときなんかはすぐに寝落ちしてしまう。嫌いとまでは思っていなくとも、面白いとはこれっぽっちも思っていないというの原因だろうか。


「うぅ、勉強は辛いです。私がこの公式を覚えて一体この先の人生でなんの役にたつんですかぁ……」


「あー、それ俺もいつも思ってるなぁ。実際習ってることのほとんどは社会に出て使わないだろうし」


「やる気がぁ……やる気が出ません……」


 眠い目を擦りつつ、一人ごちるえるは、全く進んでいない数学の問題集を閉じてしまう。


 確かに、この勉強は将来役にたたないかもしれない。しかしここでやめてしまうと怠癖がついてしまううえ、大学受験で必ずしんどい思いをしてしまう。


(アメが必要か……)


 手っ取り早くやる気を出させる方法で一番良いのは、アメとムチの理論だと思う。甘やかす時は甘やかし、厳しい時は厳しくする。二つをうまく使い分けることで厳しくしても頑張れるというわけだ。


 つまり、今夏斗が与えなければいけないものはアメ。まずはそれでやる気を出させなければ始まらない。


「よし分かった。じゃあ今回のテスト、全教科五十点を達成できたら何かご褒美を用意しよう。俺の叶えれる範囲のことなら何でもいいぞ」


「えっ? 何、でも……!?」


(おっ、食いついた)


 ピコンっ。さっきまでしわしわに丸まっていたえるの背筋がピンと伸び、キラキラした目で夏斗を見つめる。


「何でもってその……何でもですか!? ナツ先輩と、何でも好きなことを……」


「なんかめちゃくちゃ怖い言い回しなんだが。まあそうだな、基本的には何でも一つ言うことを聞くよ。その代わり、一教科でも五十点を下回ったら俺の言うことを一つ聞いてもらおうかな」


「はぅっ!? 先輩に何でも命令をされる、なんて……エッチすぎませんか……?」


「おま、何変なこと想像してるんだ! そんな変なの頼まないっての!!」


 何はともあれ、さっきまでの眠気は吹き飛んだようだった。全教科五十点はボーダーとして甘すぎたかもしれないとも思ったが、彼女の目標がそれなのだから上げすぎてもモチベーションを損なってしまう。


「言質、取りましたからね! 私が全教科五十点を達成したら本当にお願い事しちゃいますから!!」


「頑張ってくれ。それくらいやる気を出してくれると教える側としてもやり甲斐があるよ」


 閉じた問題集を再び開き、やる気の炎に満ちた瞳で問題と向き合うえる。おそらくこれで、もう寝てしまうなんてことにはならないだろう。


(さて、そういえばもう一人の問題児はちゃんと勉強してるのか? 心配だな……)


「先輩! 電池切れを起こさないための頭なでなでを所望します!!」


「はいはい。たっぷり充電しような」


 えると違い、赤点常習犯で先生との脈でギリギリ最終成績を上げている究極問題児。夜に一度連絡を入れてみるか、なんて考えつつ、目の前の小さな頭を撫でてとりあえず癒される。


 頭を撫でられてやる気を出す彼女と、頭を撫でることで心が落ち着き活力を見出せる夏斗。永久機関コンビは定期的にお互いの成分を摂取しつつ、えるの門限の七時前までずっと。これまでにないほどの捗りで勉強を進めるのだった。


◇◇◇◇


 えると別れて、数時間が経った。


 思いの外集中できて、充実した数時間を過ごせた気がする。途中からは二人とも無言になって一時間以上もの間勉強に没頭できた。


 そのおかげもあって、今夜のうちにやろうと思っていた範囲は全て終わり、そのうえ少し先まで進むことができている。小一時間でここまで出来るとは思っていなかったから、完全に想定外ながらもラッキーだった。


『先輩、今日はありがとうございました。明日もがんばりましょう!\\\\٩( 'ω' )و ////』


『おーう。今日はだいぶ頑張ってたんだから、あんまり今夜はあまりこんを詰めすぎるなよ〜』


『はいっ! 明日に向けて今日は早く寝ます!!』


 えるもどうやら勉強会の結果には満足できたらしく、質問して来て教えたところも飲み込みが早くて数学の範囲を一気に駆け抜けていた。この調子で行けばきっと、テストにも間に合うことだろう。


 と、勉強机でえるとチャットをしながらそろそろ寝ようかと教材を閉じた時。別の誰かからのメッセージが届いた着信音が短く、部屋に鳴り響いた。


「ん? 誰だろ」


『早乙女ー……サインコサインタンジェントってなんなんだよぉ……ラップの歌詞かぁ?』


『おいおい、三角関数のことをラップとか言うなよ。発見した人泣くぞ』


 ふざけたメッセージを送ってきた相手は、今絶賛家で一人頭を抱えながら教材に手をつけることができていない紗奈。どうやら問題ページに行く前の事前解説のちょっとした公式やら解き方やらが載っているページで躓いているようだった。


『サインコサインタンジェントぉ〜お前のじいちゃん蓄のう症〜Yeah〜』


『クソライム作ってんじゃねぇ。てか三角関数って今回の数学の範囲の一番最初のところだよな? 夜まで勉強してそれか? お?』


『し、仕方ないでしょ!? その、毎日陸上で走ってたからさ……いきなり部活無しとか言われてもやっぱり、身体が落ち着かなくて』


『まさか走りに行ってたのか?』


『……(〃ω〃)』


『いや何照れてんだオイ。お前今勉強始めたばっかりかよ……』


 はぁ、とため息を吐いた夏斗は、あまり反省の様子がない紗奈への怒りを爆発させそうになりつつも、やがて出てきた『呆れ』の感情でそれをかき消していく。


『分かってるんだろうな。明日までにちゃんと分からないところをまとめて来なかったら……』


『わ、分かってるよ! ちゃんとやる! ちゃんとやるから!! だから捨てないでよぉ!!!』


 画面の前で涙目になっている柚木の姿を想像して笑みをこぼしつつ、打ち込みを続けた。


『ならまずは三角関数、あとせめて次の範囲の指数のところまでは目を倒しておけよ。その二個しか範囲無いわけだけど、期間はあと六日なんだからな』


『合点!! 紗奈ちゃん本気出しちゃうよ!!』


『はいはい。その調子で頼むぞ』


 俺は最後にそう打ち込み送信すると、そっとスマホを閉じた。


 えるとは大違いで不真面目な奴だ。せめて出来ないなりにももっとやる気を見せてくれれば、こっちも教える立場としてやり甲斐を感じられるというのに。


「はぁ。悠里が苦労したわけだ」


 悠里の勉強スタイルはよく知っている。まずは教科書やプリントに書かれているものを自分なりの言葉でノートにまとめ、重要語句は赤文字で書くようにする。


 その後は単純で、赤シートでそれを隠してひたすら真っ白なルーズリーフに覚えられるまで何度でも書き続ける。頭で覚えると同時に手にも答えを覚えさせる、まさに短期決戦の定期テスト用と言った感じの勉強法だ。やる気も根気もいる作業だから、そもそもモチベーションを見出せない彼女には苦だっただろう。


 まあだからと言って、悠里が優しく別の方法を教えてやるとも思えない。きっとひたすらそれを貫き通して、なんとか破滅的な点数を取ることだけは避けさせた、という感じか。


「柚木に向いてる、勉強法……ちょっとくらい考えてやるか」






 せっかく教えるのだ。せめていつも赤点常連の理数教科は完全に赤点を免れることができるよう、俺も頑張って教えることにしよう。本人がやる気を無くしてしまったら流石に、それも断念してしまうかもしれないけれど。そこは本人の頑張り次第だ。

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