「オラ、お前らあと三十本!!」
「「オオッッ!!」」
一列に並び、コートを縦横無尽に駆ける。汗を滴らせながらシューズと床の摩擦を鳴らし、飛んだ部員のレイアップがゴールを揺らした。
「今日の部長、一段と熱いな……」
「お前に負かされたからじゃね? あれからもう数日経つってのに、毎日あの調子だ。週末まで持つといいけどな」
いつものことだから、と悠里は笑う。確かにと思いつつ、自分の番が来た夏斗は走り、ゴールを決めた。
部長である鎌田は、熱血漢である。誰かに良いところを見せたいとかそういうのが一切なくとも、勝ちへの執念と夏斗への復讐心だけで熱くなれる、実力関係なしにしてまさしく部長と呼べる存在だ。バスケを始めたのが高校からで歴が短くまだ技術では夏斗や悠里には及んでいなくとも、二人はそんな彼を心から尊敬している。
「よぉーし、みんなお疲れ様! タオルと飲み物用意したから休憩にして、そのまま上がろっか! 一年生はモップがけだけお願いね! 後ででいいから!!」
「うぃ〜す」
「オッス!」
ビブスを脱ぎ、ふぅと一息ついて水を飲む部員達。そんな中茶柱に話しかける男が、一人だけ。
「先生、やっぱり悪いですよ。ビブス洗いとかこういうマネージャー的な仕事、全部してもらうなんて……」
「なによ鎌田君、今更でしょ? 仕方ないじゃない。去年で唯一いたマネージャーちゃんも引退しちゃったし、練習終わりでヘトヘトになった君達にそこまでさせるわけにはいかない。顧問なんて一番疲れてないんだからさ、こういう時に力にならなきゃ!」
明るく振る舞い、俺達からもビブスを回収した先生はそうして颯爽と体育館から消えて行った。おそらくは部室の洗濯機を回しに行ったのだろう。
あの先生もまた、皆から慕われる人だ。顧問なんて面倒くさがる教員も多いだろうに、そういう表情を一切見せない。そのうえ部員に優しく、サポートまでしてくれて。ルックスも何故独身なのか分からないほど良い事から、密かに惚れている者もチラホラ存在している。
「マネージャー、いないもんな。今年の新入生も結局男だけだ」
「まあ女子バスケ部があるから仕方ないんじゃないか? バスケ好きなんだったら見てるだけじゃなく、そっちに入って選手としてプレイする方が楽しいだろうし」
後輩から可愛い子が入ってきてくれるのではないか、などと淡い期待を抱いていた悠里の幻想も打ち砕かれ、そこそこ大会成績もいい女子バスケ部は女子の一年生を大量に獲得していたという。こればっかりはどうしようもなかった。
「せめて一人いてくれたらなぁ〜。女の子からの声援があるだけで俺は百人力になって華麗にダンク決めるってのに」
「百六十五センチが何言ってんだか。お前も百七十の高みに登ってきてから言えってんだ」
「言ったなテメェ! というかそっちも百七十ギリッギリ届いてるくらいじゃねえか!!」
「ハッ、ギリギリだろうとなんだろうと結果が全てなんだよ。悔しかったら俺よりでかくなってみるんだな」
バチバチと火花を散らし始めた二人だったが、やがてそれはドッと出た疲れによってため息で消えていく。
それに夏斗の方に関しては、せっかく部活が終わったと言うのにいつまでもそこで言い合いをしている時間などなかった。
今頃体育館の前では、愛しのえるが待ってくれているのだから。
「はぁ、やめやめ。帰ろ」
「けっ、また夢崎ちゃんと帰るのかよ。このバカップルが」
「付き合ってないっての。じゃあな」
少し急ぎ足で。夏斗は早くえるに会うため、更衣室へと消えた。
◇◇◇◇
「あ、先輩っ」
「お待たせ……えっと、じゃあ帰るか?」
「……ですね」
いつもならえるは飛びつき、夏斗はややテンションが高いはずなのに。今日に限っては目があった途端、お互いに気恥ずかしい空気が流れていた。
それもそのはず。昼前に保健室であんなことがあったのだから。屋上でお昼ご飯を食べる時も二人してドギマギを繰り返していたわけで。
「先輩……顔、真っ赤ですよ」
「え、えるだって。耳まで赤くして手のひらもめちゃくちゃ熱いだろ」
繋がれた手のひらから感じる、手の温もり。それは顕著に相手のことを意識している互いの心境を表して、恥ずかしいから離してしまおうかなんて思いつつも、やっぱり手を繋いでいたくて。口数が少ないまま、あっという間に家の前に辿り着く。
「じゃ、じゃあな。また、明日」
今日は仕方がない。あとでメッセージで謝って、明日にはまたケロッとした顔のえるがインターホンを鳴らしてくれることを願おう。そう思いながら手を離そうとした、その時。
「……え?」
ぎゅっ。えるが下を向きながら、夏斗の両手を強く握っていた。まるで、まだ別れたくないと言うかのように。
「まだ、帰っちゃ嫌です。……私のお家、来ませんか?」
「っ!? な、何言ってるんだ!?」
「もう少しだけ、一緒にいたいんです。ダメ、ですか?」
(ダメなわけねぇだろッッッ!!!)
夏斗は心の中で叫んだ。
初めてのことだ。出会って三ヶ月、おとなりさんにも関わらず、えるの部屋に誘われたのはこれが初めて。ただでさえ今日は”そういうこと”を意識してしまっているせいで変な妄想をしそうになるが、それよりも誘われたことそのことが嬉しすぎて。夏斗にはそれを断る理由など、一つもなかった。
しかしそれは、あくまで夏斗とえる二人きりの場合。二人で一緒にいたい、という彼女の願いは、そう簡単には叶わない。
「でも、お母さんいるんじゃないのか? お父さんもいつ帰ってきてもおかしくないだろ……?」
「あっ……」
どうやらそのことは完全に忘れていたらしい。
そう、えるの両親がいては、二人きりになることなどできない。部屋に篭ることもできるかもしれないが、変な勘ぐりをされたり、少し怖いあのお父さんに何かを言われたりもするかも。それを瞬時に理解した彼女は、小さく声を漏らしてまた俯く。
(そんなに、まだ離れたくないのか……?)
いつもはなんやかんやで別れてからも夜にメッセージでやり取りしたり電話したりするので、ごねることは少ないのだが。今日は何故か、そこにいつも以上の気持ちの強さを感じた。
幸い、と言うべきか。夏斗の両親は共働きであり、今日もおそらく夜遅くまで帰ってくることはない。えるの家に行くことは無理かもしれないが……
「なら、さ。俺の家……来るか?」
「へっ? いいん、ですか?」
「ま、まぁあまり遅くならなければ、な。ちゃんとご両親には言っておけよ」
「はいっ! じゃあ私、荷物置くついでに今お母さんに言ってきますね!!」
「分かった。待ってるよ」
ぱあぁっ、と満面の笑みを浮かべたえるは、そう言うと走って隣の我が家に入り、玄関口で母親と少しだけ話してから。すぐに鞄を置いて出てくると、再び家の前に戻ってくる。
(ほんと、すぐに機嫌良くなってはしゃぐな。ちょっと子供っぽいけど……やっぱり可愛い)
「お待たせしました!」
「ん。じゃあ入って」
「お邪魔します!!」
この時、夏斗はまだ知らなかった。えるが夏斗と離れようとしなかった、本当の理由を。その胸の内に秘めた……計画を。