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第12話 先輩、受け止めてくれますか?

「では、今日は三権分立について。教科書二十ページを開いて────」


「……はぁ」


 憂鬱な授業に小さくため息を吐くのは、窓際の席で外を見つめる夏斗。


 外ではどうやら女子が体育をしているらしく、そろそろ暑くなるこの季節にしては厚着なジャージの一年生達が、皆んなで揃って準備体操をしていた。


(へぇ、体育か。俺も身体動かしたい……って、あれは!?)


 なんとなくぼーっと眺めていただけの夏斗の視線に飛び込んできたのは、少し丈の長いジャージに身を包んだ美少女。隣の女子と楽しそうに話しながら体操をしていたのは、えるであった。


 ぽよ、ぽよと上下する果実に遠巻きながらも意識を吸われる。身長はあれだけ低くて小柄だと言うのに、ジャージ越しでもはっきりとわかる巨峰。とんでもない破壊力だ。


(お、サッカーやるのか。一人一球ボール持って、リフティングからか?)


 体操を終え、先生の声かけからとてとてと歩き出すえるが手に取ったのは、籠の中に入っていた大量のサッカーボールのうちの一個。周りはぽんぽんとリフティングを始めていて、跡を追うようにえるもボールを蹴り始めた。


(……ぷふっ。アイツめちゃくちゃ下手くそだな。一回しかできてないし。ボール取りに行ってる時間の方が長いんじゃないのか?)


 えるは大の運動音痴。それに球技も例外ではなく、手で持ったボールを脚に落とすだけで変なところに当ててどこかに飛ばしてしまうその姿を見て、夏斗は小さく笑った。


 ちなみにその横で未経験にも関わらず器用にボールを蹴っている者が一人。バドミントン部所属、桃花である。彼女の方はえると違って球技が大の得意で、リフティングも十数回は安定して出来る。えるのあまりに酷い惨状を目にした先生がやがて近づいていくと、桃花に教えてやるように言っていた。


「じゃあ次はドリブル練習! みんなボール持ってコーンの後ろに並んでー!!」


 夏斗が少しだけ窓を開けると、先生の大きな声が聞こえてくる。昔バスケでもよくドリブル練習をしていたことを懐かしみながら、女子達がコーンをジグザグに通って進んでいくのを眺める。


(あ、やっとえるの番。アイツ、大丈夫かな……)


 ピッ、とホイッスルが吹かれると共に、ゆっくりなペースでえるがドリブルを始める。右足のつま先でゆっくり前にボールを進ませて、次は左に行くために左足で。その次は右足に戻して。遅くはあるものの順調に半分ほどを終え、意外にやるじゃないかと夏斗がどこか誇らしい気持ちになったのも束の間。


(っ!? こけた!!?)


 繰り返される左右運動に脚をもつらせたえるが、どてっ、と腕を伸ばしてずっこけた。うつ伏せになったまま立ち上がれないえるに駆け寄った先生と桃花によってゆっくりと起きあがらせられるが、その顔には涙が滲んでおり、ズボンの膝部分も少し穴が空いているように見える。


(け、けが!? える……えるッッ!!)


 ガタッ。居ても立っても居られなくなった夏斗の身体が、本能的に立ち上がる。本人も予期していなかった行動にクラス全員の視線が集まり、そこでようやく自分が注目されてしまったことに気づいた。


「どうかしましたか? 早乙女君」


「えっ!? あ、いや……」


 もう一度外を見つめると、えるは桃花に抱きつきながら本格的に泣き出していた。どうやら続行不可能と見た先生の判断で、保健室に運ばれることになりそうだ。


(俺が行って何になるんだよって、思うけど。どのみちこんなんじゃ集中して授業なんて受けられねぇ!!)


「先生、ちょっとトイレ行ってきます!!」


「そ、そうですか? 分かりました」


 他ならぬえるのため。少しだけ様子を見たら戻ってこよう。そう心の中で呟きながら、夏斗は教室を飛び出した。


◇◇◇◇


「ひっ、えぐっ。痛いよお゛ぉ……」


「よしよし、える泣かないで? 確かにあのこけ方は痛かったよね」


 運動音痴というものは、こける時咄嗟に手を出すことすらできないのである。常人がこける時は必ず手が一番最初に触れ、顔面や胸部、腹部などを反射的に守るものだが。えるはものの見事に顔面を打ち付け、あまりの痛みに泣き出していた。


 幸い膨らんだ胸部のおかげで多少の衝撃緩和はしたものの、ほっぺたとおでこを打てば当然痛い。鼻から行かなかった事も不幸中の幸いというやつだろうか。


「見たところ出血や傷跡は見られないから、打った痛みだけみたいね。天音さん、悪いけど保健室まで付き添ってあげてもらってもいい?」


「はい、勿論です。膝も打ってるみたいですから歩けないでしょうし……。ほら、行くよえる。肩貸してあげるから」


「おんぶ、じでぇ……」


「んもぉ、仕方ないなぁ」


 ぺたんとお尻をつけながらまだ土の上で弱った様子のえるを見て、保護者の桃花は甘やかさずにはいられない。そうしてぐずるえるを背に乗せて、保健室までおんぶで輸送する事となった。


 一方、その頃。


「はぁ、はぁっ……! 馬鹿か俺は!? なんでえるが外で怪我してるからって、授業抜け出してんだ……。俺なんかが行かなくても、先生とか友達が何とかしてくれるはずだろ……」


 勢いで飛び出したはいいものの、階段を降りているうちに冷静になった夏斗は一人、一階の廊下でため息を吐いていた。


 えるはただこけただけ。泣いてはいたけれど大怪我という事もないだろうし、もしかしたら保健室に行くどころか今頃泣き止んでまたサッカーを続けているかもしれない。そうすればこの行為は完全に無駄だ。


「だけどまあ、ここまで来たし。一目だけ見てから────」


 靴を履き替えているところを誰かに見られるわけにもいかないと思い、廊下をしばらく進んだところでえるの元気な姿を見てすぐに戻ろう。そう思い曲がった角で、夏斗は出会う。


「ごめんね、桃花ちゃん……私、また迷惑かけちゃった……」


「ううん、気にしないで? もう慣れっこだか……ら?」


「あっ……」


 えるを背に乗せた、クラスメイトに。


 ちなみに夏斗は、天音桃花という人間の存在を知らない。いや、正確にはえるから薄らと字面だけは聞いたことがあるのだが、その姿を一度も見たことがなかった。


 しかしその顔すら知らない初対面は一方的なもの。桃花はえるから常日頃写真やらを見せられ、瞬時に目の前にいる人が愛しの先輩なのだと理解した。


「せ、先輩!? どうしてここに!?」


「いや、えっと……」


(ああ、そういうことね)


 ぐずりモードを終え、ネガティブを発動していたえるの曇り顔が一瞬にして動揺と晴れに切り替わる。それを見て桃花はこの空間に自分は必要ないと理解し、離脱して背中の親友を託す選択をする。


「初めまして、早乙女先輩。私えるの友達の天音桃花って言います。えるからいつも話は聞いてますよ。えるととっても仲良しだそうで」


「え? あ、あぁ初めまして。天音さん、か。まあ仲良し……だな。おとなりさんだし」


「ふふっ、そんな仲良しの先輩さん。私非力な女子なもので……そろそろこの子を背中に乗せて歩くの、辛くなってきたんですよね。中々重くて」


「も、桃花ちゃん!? 私重くないよ!? ねぇ、重くないでしょ!?」


「あ〜、疲れたなぁ〜。どこかにえるを保健室まで運べる力の強い男の人とかいないかなぁ〜。チラッ、チラッ」


「ん、んん? もしかして俺に運ばせようとしてる?」


「この場のどこに早乙女先輩以外の男子がいるんですか。さ、この子受け取ってください」


「えっ!? へぇ!? わ、桃花ちゃ……へぷっ!?」


「おわぁ!?」


 ぽいっ。背中のえるをくるっと身を反転させてお姫様抱っこした桃花は、そのまま勢いに任せて細身なその身体を前に放る。


 宙を空き、いきなり放物線を描いて落下していこうとする彼女が飛び込んだ……いや、着地したのは夏斗の胸の中。咄嗟に腕を出した彼にギリギリ受け止められた。


「じゃ、私はこれで! 早乙女先輩、あとはお願いしますね!!」


「桃花ちゃん!? 嘘、嘘でしょぉ!?」


 てってって、と走ってその場を去っていく桃花は、あっという間に見えなくなってしまう。


 そして出来上がったのは、夏斗がえるをお姫様抱っこするというこの状況。さっきまではてんやわんやで焦るだけだったが、二人きりになった途端お互いに恥ずかしさで身体の熱が上がっていく。


「と、とりあえず保健室、行くか?」


「……お願い、しまひゅっ」


 気まずさと嬉しさと恥ずかしさと。色んな気持ちが渦巻いてショート寸前の二人は、無言で保健室を目指す。




 えるはケガをしてよかったと。夏斗は授業を抜け出してきてよかったと……心からそう思った。

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