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第9話 先輩、誰ですかその女!

「先輩っ。おはようございます」


「おはよー、える。相変わらず朝から元気いいなぁ……」


「ふふ、寝癖ついてますよ? ナツ先輩は朝弱いですよね。私が起こしに来る前の一年生の時は遅刻魔さんだったと聞きました」


「ははは……えるには感謝しなきゃだな」


 今日も一日が始まる。一緒に学校までの道のりを歩いて、正門から入って少ししたところで先輩パワーをチャージし、名残惜しさを感じながら別れた。


「ったく、また抱きつきやがって。……いい匂い、させやがって!!!」


 夏斗はその場に置き去りにされ、走って行くえるの背中を見届けてから歩き出す。周りにヒソヒソと内緒話をされるのを感じながら。


 そりゃまあ、この学校一と言える美少女と抱きついているところを見られたのだ。嫉妬やらニヤけ顔やら向けられるのは仕方がない。幸いなのはその中に殺意が混じっていないことだ。


 安堵しながら一人、そろそろ教室に向かわんとする夏斗。しかしそんな彼の背中に、突如激痛が走る。


「おっはよ! いやぁ、今日も相変わらずのイチャイチャっぷりですなぁ!!」


「いってぇ!! 柚木、お前加減しろや!!」


 柚木紗奈。夏斗のクラスメイトにして学級委員長である。


 二人の付き合いは高校一年生の頃からで、二年連続同じクラスになったこともあってそれなりに仲の良い関係を築いていた。


 基本的に女子と話すのが苦手なチェリーボーイの夏斗だが、彼女に限っては別。茶色の短髪をふわりと揺らす彼女のボーイッシュな性格のおかげか、異性という感覚よりも悠里と同じような男友達という気持ちが強い。


「へっ、見せつける早乙女が悪いんだよーだ。私は正義の鉄拳を喰らわせたにすぎない!」


「くっそ、鉄拳より痛い平手だったぞ……。まだ背中がヒリヒリしてる」


「つまんないことでウジウジしないの。男の子でしょ?」


「……お前の方がよっぽど男らしいよ」


「だ、れ、の胸が男らしいだァァァ!?」


「いって、いでででででで!!! 言ってない! 俺胸のことなんて一言も言ってないッッ!!!」


 高校二年生。成長期真っ只中のはずの彼女だが、身長は百六十を超えようとも一向に胸元は貧相なままだった。本人はそのことをかなり気にしているようで、こうして八つ当たりすることもしばしば。夏斗が安心して口を聞けるのは、そこに魅惑の果実が無いことも大きい。


「もう、早乙女なんて知らない! とっとと教室行くよ!!」


「し、知らないって言ったら普通一人で早歩きしていくものじゃないのか!? なんで俺ごと連行なんだ!? なぁっ!!」


 耳を引っ張られ、ずるずると連行されていく夏斗。周りが「良い気味だ」、「もっと罰を与えてやれ」と言う中で、校舎の中から一人。息を潜め、驚愕の顔を見せている者がいた。


「せ、せせせ先輩に女の子の……友達が?」


 誰を隠そう、我らがえるその人だ。二階に続く階段の途中にある窓からひょっこりと頭を出し、外で親しげに接する二人をじっと観察している。


「先輩、誰なんですかその女は……! 突き止めなきゃ。あの人の、正体を!!」


 えるのメンヘラレーダーに囚われては、もう逃げられない。この時から彼女の、紗奈に対する調査が始まった。


◇◇◇◇


「むむむ、むむむむむ……」


 えるは今、猛烈に悩んでいた。


 朝、夏斗と一緒にいるのを目撃した人物柚木紗奈。彼女の尾行を始めてすぐに分かったこと。それは、自分がほぼ全ての面において劣っているということだった。


 教室の中をこっそり覗くと彼女は女子とも男子とも分け隔てなく楽しそうに会話しており、周りも同時に明るくなっていく。まるで向日葵のように明るい人で、陽キャのコミュ力の塊。


 極め付けは授業中、窓の外を眺めた時に夏斗のクラスが体育をしていた時のこと。後に聞くと陸上部だったらしい紗奈は、運動面でも化け物じみた性能を発揮していた。初めのランニングから明らかに速いし、ソフトボールでは外野で明らかなホームラン球を爆速で取りに行き、瞬発的にフェンスを登ることでキャッチすることも。


(運動能力、コミュ力、おまけに容姿まで。あの人……めちゃくちゃスペックが高いよぉ……)


 はぁ、と机に突っ伏しため息を吐くえる。五限を終えあと一時間で授業が終わり夏斗と会えるというのに、テンションが上がらない。いつもならもうソワソワし始める時間帯だ。


「え〜るっ。およ? なんか今日は元気無いね。休み時間もすぐ飛び出して行ってたけどなんかあったの?」


「桃花ちゃん……」


「わっ、どうしたの!?」


 桃花の包容力に当てられて。えるは目から涙をこぼし、その胸に飛び込んだ。


「私、おっぱいしか勝てるところが無いよぉ……」


「え、えっ? ほんとに何の話!?」


 えるを慰めるのはお手のもの桃花も、その発言には度肝を抜かれた。とりあえず頭をなでなでしながらそっと抱きしめて、ちゃんと話せるようになるのを待つ。


 そうして十分しかない休み時間のうち五分ほどを消化した頃。ようやく泣き止んだえるから事情を聞いた。


 どうやら柚木先輩という人がえるの愛しの先輩のクラスメイトで、運動能力、コミュ力が高すぎる上に美人。えるは先輩を取られてしまうのではないかと危惧している。


 柚木紗奈。空手部所属の桃花でも知っている、ちょっとした有名人だ。なんでも最近地区のそこそこ大きな陸上大会で二位と圧倒的な差をつけて優勝したとか。


 だが、桃花はそれらも踏まえて素直に思った。


(いや……えるが負けるなんて有り得ないんだけどな。相手が誰であれ、早乙女先輩が好きな人はえるな訳だし)


 えるはすぐに泣くし、自信がなくてぐずぐずで。メンタルも不安定でヘラることばかりの面倒臭い女の子だ。


 しかし桃花は知っている。夏斗はそんな彼女を確実に好きであり、既に嫌いだと思っているのならとっくの昔に関係を切っているであろうことを。それだけちゃんと相手を魅了できる力が備わっている事を、えるは未だに自覚できていない。


(ならいっそ、自覚させちゃう?)


 パチンっ。心の中で指を鳴らした桃花の頭に、名案がよぎる。これならえるに自信をつけさせてかつ、上手くいけばいい加減先輩が自分のことをどう思ってくれているのかを知る機会にもなるのでないか。そう予想できるほどの、素晴らしい案が。


「よし分かった。そんなえるに、私から作戦を授けよう」


「作、戦……?」


「ふふんっ。使えるものは使えってね。えるが百パーセント先輩に勝てるところを使って、好意を自分に引き寄せるのだ!」


 そっと作戦内容を耳打ちし、えるに伝える。途端かあぁっ、と顔が赤く。加えて熱くなり慌てふためく彼女だが、やがて授業開始を知らせるベルが二人を引き剥がす。桃花に対して反論できる隙も無いまま、えるはその作戦を静かな頭の中で何度も反響させることとなった。


(さぁて、どうなるかなっ♪)




 実行するのは放課後、下校時。生憎今日は用事があり跡を付けることは出来ないが、明日ゆっくりと話を聞かせてもらおう。桃花は、授業中もずっと一人もじもじと恥ずかしそうにするえるを眺めながら、ニヤりと笑った。

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