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第8話 先輩、遊ばないでください

 いつもとは少し違う帰り道。ただの住宅街を通るだけではなく、ぐるっと大回りした先にはあまり知らない街並みが広がっていた。


 通ったことがない訳ではないのだが、改めて見ると行ったことのないお店なんかが多い。ホームセンターにコンビニ、小さなカフェ。意外と栄えているようだ。


「先輩、どこに寄って帰りますか?」


「目的地は決めてなかったのか?」


「うっ。はい……実は先輩とどこかに行きたいなぁ、くらいしか……」


 なるほど、と夏斗は頷いた。


 行きたい場所が決まっていないのは構わないのだが、いかんせん知らない場所だから通る店全てが選択肢に入ってしまう。何もないよりはいいのだが、どこに入るのか迷って立ち止まってしまいそうだ。


 しかしいつまでもそうしてのらりくらりしているわけにもいかないだろう。気づけば夕日が見え始めているし、そろそろ行き先を決めないとな。


 と、そんな事を考えながらぶらついていると。目の前に現れたのはそこそこ規模の大きな公園。


 噴水に遊具、ベンチなど普通の公園の二倍くらいの大きさがあるのではというそこに、五人ほどの並び列ができていた。


「える、あそこはどうだ?」


「え? どれですか?」


 そこにあったのは、移動販売車のクレープ屋。いちごやバナナ、メロンなど数多くの種類のメニュー表がでかでかと張り出されており、並んでいるのは全員女子高生のようだ。


「わぁ、クレープ! 食べたいです!!」


「よし決まりだな」


 ぴょんっ、と小さく喜びの跳ねを見せたえると手を繋ぎながら公園に入り、列に並ぶ。前の女子高生達がワイワイと楽しそうに喋りながらどれにするかを決めて注文し終えると、美味しそうな匂いと共に女性店員さんがクレープの生地を早速薄く広げていた。


「むむむ……種類が多すぎて悩みます……」


「どれも美味そうだなぁ。うわ、俺も悩むなこれ」


 パッと見ただけで、種類は二十種ほど。長い列ができていたなら考える時間も多かったのだが、もうどうやらクレープが二つ完成してしまったらしい。あと三人分作り終えるまでに選ばないといけない。


「いちごさんか、桃さんか……なんとか二択までは絞れるんですけどね。むぅ! どっちも美味しそうです!!」


「あ、なら片方俺が頼もうか? どうせ決めれそうにないし、俺のから摘んでくれたらいいよ」


「ほ、本当ですか!? 先輩、ありがとうございます!!」


 えるの笑顔が見れるならこれくらいお安い御用だ。心の中で呟きつつ、順番が来ていちごクレープと桃クレープを注文する。


 そして俺が桃を、えるがいちごを受け取ってから近くのベンチに座った。


「ん〜!! おいひぃれふっ!!」


 ぱくっ。五個以上は乗っているイチゴのうち一つを咥えながら、小さく一口。えるはぱぁっと笑顔になって、ほっぺたが落ちるとばかりに身震いしている。


 さて、それはさておき。夏斗は自分の手に握られた桃クレープを見つめていた。


(しれっと俺のも摘むか? なんて言ったけど……え? どうしよう)


 摘むと言っても色々ある。ちぎって渡すのか、スプーンでも貰ってきて自分の食べたい分を食べてもらうのか。はたまた……直接口でいってもらうのか。


「先輩……桃さんも美味しそうれす。摘んでいいって、言ってくれましたよね?」


 よく考えればいつもお弁当を食べる時している間接キスは一方的なもの。えるが夏斗の口にしたものを間接キスで使ったことはあっても、その逆は無い。


 要するにこの男、ビビっていた。


 しかし横の彼女はと言うと、早く食べる許可を貰いたいと犬が餌を前にギリギリ「待て」を耐えているような状態。早く決断しなければならない。


「先輩? 早く、欲しいです……」


「うっ!」


 少し色っぽい甘声に当てられて。夏斗は────


「あ、あのな……俺、スプーン貰ってき」


「はむっ!!」


 寸前で日和り、椅子を立とうとした。しかしその瞬間、ほんの少しだけ横にクレープが傾き、その動きを見逃さなかったえるが食らいついたのである。


「……」


 もにゅもにゅ。かあぁぁ。それは、える本人すらも予期していなかった行動。食べ物が逃げてしまうという目の前の事象に耐えられず、身体が反射的に動いた結果起こった事だった。


 自分の食い意地が張っていたことと、その姿を愛しの先輩に見られてしまったということへの羞恥心がえるの顔をじわじわと赤くする。彼女はやるせない気持ちになりながらもクレープに付けた口を離すことが出来ず、その場で固まった。


「え、えるさん?」


「うぐ、むぐぅ」


 餌付けしてるみたいだな。夏斗は心の中で呟いた。


「よしよし」


「っ……ぴ!?」


 気づくと頭を撫でていた。もふっ、もふっ、と柔らかい紫髪が手に馴染む。撫で心地は極上。ずっと撫でていたい。


 えるも満更ではなかったのだが、あまりの恥ずかしさの上乗せにクレープから口を離す。綺麗に巻かれていた生地の端っこから三日月型の桃の先っちょまでを口に含んで、咀嚼もほとんど無しに飲み込んでしまいながら。


「わ、私を犬みたいに扱うのはやめてください。恥ずかしい、でしゅ……」


「ごめん、つい! なんかこう、気づいてたら撫でてたというか……える、結構食いしん坊だよな」


「それが乙女に言うことですか!? 例え先輩が相手でも怒りま────」


「はい」


「はふっ!」


 ぱくんっ。また、えるの口がクレープを捉える。ほんの少し前に差し出しただけで簡単に食いついてしまうその単純さに、夏斗は思わず吹き出してしまった。


「こんにゃ、餌付けみひゃぃに……」


「美味しいか?」


 コクン。えるは小さく頷く。どうやらもう口で反抗することはできなくなってしまったようで、もう飛び出さないようにと自分の口をとんがらせながら、甘い桃を咀嚼し飲み込んでいた。


「私で、遊ばないでくださいよぉ」


「んー? 俺はただクレープを動かしただけなんだけどなぁ」


「……先輩のイジワル」


 ぷくぅ、とフグのように頬を膨らませるその姿はとても愛らしい。本人は怒っているつもりでも、夏斗からすれば小動物の可愛い反抗期。やがてちみちみと自分のいちごクレープを食べ出したその小さな横顔にどこか不満な様子は見えるけれど、それは何よりも可愛く感じられた。


「どうしたんれふか。先輩、食べないんですかっ」


「ああ、そうだな。俺もそろそろ食べよう」


 思わず見惚れそうになりながらもジト目に当てられ、夏斗はようやく一口目のクレープを口にしようとする。する、が。


(あっ……間接キスなの、忘れてた)


 目に映ったのは、えるの小さな口がついた丸っこい噛み跡。少し妖美に濡れて縮んでいる先端が、心臓をビクつかせた。


(き、きき気にしたら負けだ。か、間接キスくらい普通……普通ッッ!!)


 さっきまで落ち着いていた鼓動が、激しく。そして速くなる。心なしか身体の熱も上昇して、手先が小さく震えた。


 ここで固まっていては、えるにバレてしまうと言うのに。さっきまで散々イジッた後なのだ。間接キスなんかで緊張して固まってるなんて知られたら、きっと倍返しでイジり倒してくる。


 それは、男のプライドが許さない。


(イケッ! イケェェ!! 男早乙女夏斗、強くなりたくば喰らえェェェッッッ!!!) 


「……」


「先輩、どうですか? 桃味」


「………………甘いな」





 きっと、この日食べた桃よりも甘い果実は、この先口にすることは無いのだろう。そう思いながら、夏斗はクレープを味わい完食するのだった。

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