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第7話 先輩、寄り道に付き合ってください

「ひっ、えぐっ……わだじがコイツ殺すんだぁ! 好きで独身なわけじゃ、ないのにぃ……」


「よしよし、よしよし」


「かまたぁ、かまたぁ!!」


 一体何を見せられているのだろう。茶柱がブチギレて、鎌田が止めに入った。しばらく猛獣のように叫び散らかした茶柱は次第に落ち着いてきて、次は涙を流し始めて。メンタルが崩壊したかのようにその場に崩れ落ちると、鎌田に頭をなでなでされながらすすり泣いている。


 情緒不安定もいいところなのは一旦置いておいて、それよりも前からずっと気になっていたことが今明らかになった気がした。


(部長と先生って、もしかして……)


 いや、無粋な詮索は止そう。夏斗はそう自分に言い聞かせて腰を抜かしかけて固まっている親友の肩を叩き、そっと励ました。


「今日の練習はここから自主練にしようか。練習続ける奴は好きなメニューをしてくれて構わないし、帰って休みたい奴は特別に今日は許可しよう。俺は先生の看病があるからな」


「ぐず、ぐすんっ。う゛ぅ」


「ほら行きますよ、先生。体育館裏で風にでも当たりましょう?」


 かくして今日の練習は、茶柱のメンタルブレイクと部長の不在によって終了してしまったのだった。


 まあ終了と言っても自主練だから、ここで時間いっぱい練習してもいいのだけれど。そういうわけにもいかなそうだ。


「ああ、部長行っちまった。夏斗、俺はちょっと休んだらシュート練するけど、お前はどうする?」


「俺も……って言いたいところなんだけどな。どうやら練習が終わったと勘違いして早く一緒に帰りたそうにしてる後輩がこっちを見てる」


 チラッ、と横目で二階の方を見ると、キラキラした目でこちらを見ている紫色の影が。その瞳には「早く帰りましょう!」とハッキリと書いてある。そんな彼女を待たせてまで練習を集中して行えるほど、夏斗は器用ではない。


「ああ、はいはい。分かったよ。んじゃまた明日な」


「お疲れ。お先失礼」


 夏斗は先輩達にも先に帰ると一礼して、更衣室へと戻った。


 少し汗臭い……いや、男臭い匂いが漂う、体育館の一室。夏斗はそこで自分の鞄からあらかじめ買っておいたシートタイプの制汗剤を取り出し、自分の身体の汗を拭く。


(えるは気にしないって言ってくれたけど、最低限は対策しないとな)


 顔、腕、腋、腹部等。ある程度全身を拭いてから、自分の朝の匂いなど分かりもしないだろうにクンクンと嗅いだりして。部活用のシャツから制服へと着替えを終えると、十分ほどしてようやく体育館の外へ出た。


「先輩っ、お疲れ様です!」


「うん、ありがと。応援してくれて嬉しかった」


「えへへ、先輩かっこよかったです。……では」


「ちょっ!? える!?」


 満面の笑みで夏斗を出迎えたえるは、そっと胸元に飛び込む。普通の会話からのいきなりの行動で固まる夏斗の気も知らずに彼女がしていたのは、小さな鼻をヒクヒクと動かすことだった。


「あれ、汗の匂いがしません。先輩の良い匂いだけがします」


「や、やめてくれ。何考えてんだ……」


「先輩の汗の匂い……少しだけ、嗅いでみたかったんですけど」


「や、め、ろォォ!!」


 がばっと両肩を掴んでえるを引き剥がす夏斗の顔は既に赤く、近づかれた際に鼻腔をくすぐったえるの甘い匂いに内心好きが爆発する。


 そんな彼を、えるは普段あまり見せないしてやったり顔で揶揄い、笑みを浮かべながらそっと手を繋ぐ。


「じゃあ帰りましょう? 先輩と帰れるの、ずっと待ってたんですから」


「っ、たく。いきなり調子に乗りやがって……」


 重ねられた手の小ささと暖かさ。ただ手を繋ぐというこのちっぽけな行為に、確かに互いの存在を感じながら。二人は茜色の空に照らされて、正門をくぐり抜けた。


◇◇◇◇


 十五分。これは明星高校から二人の家まで、最短距離を歩いた時にかかる時間である。


 しかしようやく叶った愛しの夏斗との帰り道を、そんなちんけな時間で済ませてしまっていいのだろうか。


(先輩と、もっと長く一緒にいたい……)


 いつも通りの道をそのまま帰ってしまっては、すぐに別れることになる。えるは必死に頭を回し、それを回避しようと思考を巡らせる。そしてすぐに、解決策を思い浮かべた。


「先輩、少し寄り道に付き合ってくれませんか?」


「え? あー……まあ別にいいけど」


 そう、寄り道作戦である。


 える自信、当然まだ寄り道のプランなどない。だがいつもと少しだけ違う道を通り、遠回りで帰れば。何か良さげな場所が出てくるだろうと踏んでいた。


「なあえる。その、寄り道するのはいいんだけどさ。……手、そろそろ離してくれないか?」


「そ、それだけは絶対に嫌です」


「いやでも、周りからの視線がだな」


「先輩は……私と手を繋ぐの、嫌ですか?」


 きゅっ、と握る手の力を強め、えるは問いかける。


 好きな人と手を繋ぐ。そんな至高の行為を、何としても守り抜きたい。彼女だって当然恥ずかしい気持ちはあるが、それ以上に。夏斗と手を繋いで隣を歩けることが嬉しくて仕方がなかった。


 でもそれはあくまで、える個人の感情。手を繋いだのは自分からだし、夏斗がどう思っているのかは分からない。恥ずかしい、だけならまだいいかもしれないけれど、ウザがられているかもしれない。嫌われているかもしれない。少しだけ……怖かった。


「嫌なら、やめます。先輩に迷惑だけは、かけたくありませんから……」


 思い返してみれば、今日は何度ウザいと思われても仕方のないことをしただろう。半ば押し切るように一緒に帰ることを頼み込み、放課後は後をつけてその上こけて。部活中ももしかしたら、自分がいた事は目障りだったのではないか。


 一つ不安がよぎるたび、幾重にもそれは広がって自分の中で伝播していく。


────この男が今何を考えているのか、知りもせずに。


(よ、寄り道ってつまり……デートだよな!? というか手を繋ぐのが嫌かって? 嫌なわけねえだろぉぉぉ!? ただドキドキしすぎて心臓がもたねぇッッ!!)


 この心の声を彼女が知ることができたら、どれだけ安心できたことか。だが勿論この声は伝わることはない。


 伝わることはない、が。夏斗はえるを不安にさせていることそのものはしっかりと感じ取っていた。自分が言うべき言葉も、分かっている。


(もう目がうるうるしてきてる。えるのやつ、そんなに俺と手を繋いでいたかったのか?)


 鈍感な夏斗は、それが意味するその先の感情には行き着くことはできないけれど。この三ヶ月、何度も彼女と言葉を交わし、一緒に時を過ごした。それは決して長い期間とは言えないかもしれないが、彼はその期間の中で自分の心に一本の芯を通していた。


(えるを悲しませるようなことは、絶対にしない。手を繋ぐ? 上等だ。やってやる! 俺が恥ずかしさにさえ耐えられれば、えるを不安にさせることはないんだ……ッ!!)


「嫌なわけ、ないだろ。ただちょっと……ちょっとだけ、恥ずかしかった。えるみたいな可愛い子と手を繋いで歩くのはドキドキして、俺が耐えられなかっただけなんだ」


「……へ?」


「でももう大丈夫。少しずつだけど慣れてきた! まあまだ心臓の音、バクバク言ってるんだけどな」


「か、可愛……はわっ!? え、えと、えっ!? うぇ、あ……ぁっ」


 ぷしゅぅぅぅぅ。夏斗の想定外の切り返しに、えるの脳内がオーバーヒートする。


 可愛い、一緒に手を繋いで歩くとドキドキする。そんな嬉しい言葉を投げかけてもらえるとは思っていなかったのだ。


(し、心臓の音、うるさい……こんなにドキドキしてたら先輩に音聞かれちゃうよぉ!!)


 豊満な胸元をそっと小さな手のひらで押さえるが、音は鳴り止まない。激しく乱舞するように身体中に響き、熱に身体中が覆われた。


(ズルい……こんなの、ズルい! なんで先輩はいつも、こんなに私が喜ぶ言葉ばっかり!!)




 二人の下校デート(?)は、まだまだ続く。

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