「ごちそうさまでした。凄く美味しかった。ありがとな、える」
「喜んでもらえて何よりです。お礼は先輩パワーチャージへの協力でお願いします!」
「またか……」
お弁当を食べ終えた夏斗から空の弁当箱を受け取り、えるは横からそっと近づいて抱擁を始める。
ぴとっ、と腰に手を回してくっつくと夏斗の独特な、何の匂いとは例えられない落ち着く匂いに頰が緩む。
「またこの後明日まで離れ離れなんて……寂しいです。ねぇ先輩、やっぱり部活終わるの待ってちゃダメですか……?」
「駄目だ。えるだって勉強とか忙しいだろうし、毎日そんなことしてたら友達とも遊べないだろ? 同学年の子との友情は大切にしないと」
「うぅ、正論パンチなせいで反論しづらいです」
軽くしょげる彼女を見て、夏斗は心を痛ませる。
当然一緒に帰りたいのは山々だ。しかし今言った仮初の理由とは別に、どうしても一緒に帰れない理由が夏斗にはあった。
(えるに汗臭いとか思われたら、生きていけない。部活帰りなんてどう足掻いてもいいカッコ出来ないしな……)
そう、部活終わり特有の汗臭さ。バスケ部で毎日のように汗を流して帰る体の身体は当然、汗の匂いに包まれている。制汗剤なんかである程度抑えられるとしても、やっぱり不安は残るもの。少しでもえるに嫌われる可能性を考慮するならば、一緒に帰るわけにはいかないのである。
まあ彼女は間違いなくそんな事気にしないし、むしろ喜ぶ可能性まであるのだが。彼女の自分に向けられた「好き」を確信できない彼にとっては仕方のない決断だろう。
「……でも、私にとって一番大切なのは先輩なのに」
「ぐぬ、お前はまたそうやって……」
「だってだって、寂しいんですもん! それにそこまで言われたら……なんか、私が待ってたら嫌なのかな、なんて……」
「そ、それは違う!!」
「はわっ!?」
がばっ、と華奢なえるの両肩を掴んだ夏斗は、その悲壮な呟きを聞いて咄嗟に目を合わせる。
瞳の裏まで真っ直ぐに貫くほどの、真剣な眼差し。えるが待っていたら嫌だなど、そんな誤解は今ここですぐに解かなければ。その意志を強く込めて、言った。
「その……な。部活後の俺って多分、いや絶対汗臭いし。それに疲れてみすぼらしい顔してるかもしれないから。……そんなとこ、お前には見られたくないんだ」
「……え? そんな事で私を?」
「そ、そんな事ってお前! これでも結構気にしてだな!!」
「もう、先輩は私を甘く見過ぎです! 何なんですか……そんなちょっとの理由で断ってたなんて!!」
むぎゅっ、と自分の肩を掴んでいる夏斗の頬に両手を当て、ほっぺを押し込む。それから伸ばしたりむにょむにょしたりなんかして、えるなりの怒りを表現してから。ありったけの不満を少しの言葉に込めて、ぶつけた。
「そんなことで先輩を嫌いになんて、絶対なりません。だから……一緒に帰らせてくれませんか?」
基本部活で多忙な夏斗と一緒に帰れるのは、唯一オフな月曜日のみ。土日の練習試合をたまに応援しに行くことはあるけれど、体育館が小さい明星高校バスケ部ではそのほとんどが他校の高校で行われるのだが、電車賃などで無理をしてほしくないという夏斗の気持ちを汲んで、近場の時にしか見に行けない。そのうえ部活仲間と帰る先輩の邪魔をしたくなくて、結局一緒に帰ろうと誘えなかった。
夏斗に出会い三ヶ月。ずっとどこか寂しかった。そろそろ踏み込みたいと、心が叫んでいた。
そしてそんなえるの想いを、この男は無下にできない。何故なら嬉しく感じてしまったから。自分のために、ここまで言ってくれたことが。
「分かった。でも、本当に無理しちゃダメだからな?」
「ほ、本当ですか!? やった、やりました!!」
すりすり、と喜びのあまり夏斗に抱きつきながら、腰元に頬擦りをして喜ぶえる。本当に犬みたいな奴だななんて思いながら彼はその頭をそっと撫で、不覚にも漏れ出た嬉しさの感情で微笑んだ。
(やっと先輩と帰れる! 私頑張った、本当よく頑張ったよぉ!! 勇気出して言ってよかったぁぁ!!!)
これからは出来る限り毎日先輩と帰ろう。夏斗の忠告を無視し、心の中でそう決意したえるであった。
◇◇◇◇
「えへっ、えへえへっ。えへぇっ」
教室に戻ったえるは、残り五分の昼休みを自分の席で過ごす。いつもは授業の課題なんかを大急ぎでやったりしてあるのだが、今日はそれもなく。そのうえ夏斗とこれから一緒に下校できることへの喜びを表に出した結果、机に両肘をついて幸せオーラを全開にしていた。
「え〜るっ! なんか機嫌良さそうだね? 先輩と何かあったのかー?」
「桃花ちゃん! 聞いて聞いて! 実はね……」
そんな彼女に背後から抱きついたのは、えるの友人。いつも教室で共に過ごしている、天音桃花。ちなみに彼女はえるのファンクラブ会員などではないが、当然夏斗との恋路のことは知っている。
「ナツ先輩とやっと一緒に帰れるの! 部活終わりまで待っててもいいって!!」
「おー、前からずっとその事悩んでたもんねぇ。やるじゃん! 一歩前進だ!」
基本フランクな性格の彼女は、空手部に所属するバリバリの武闘派女子である。しかしえるなんかと比べればそういった話題には強く、普段からよく相談を受けていた。
彼女にとって、えるの幸せは喜ぶべきこと。ぽかぽかにあったかくなっている小さな顔にそっと頬擦りをすると、ポニーテールを揺らして喜びでスキンシップを強くした。
「そんな事で大喜びするなんてえるは本当に可愛いにゃぁ。ほぉれ、よしよしよし」
「えへへ、桃花ちゃんに撫でられるのしゅきぃ」
「じゃあ次はその豊満なモノを揉ませていただいても?」
「だめぇ〜。そこは先輩専用だもんっ」
桃花もまた、えるに並ぶ美少女。弱虫泣き虫なちっちゃい甘えん坊タイプと、コミュ力最強体育会系タイプ。その二人が合わさるとその百合力は凄まじく、教室中がほんわかとした雰囲気に包まれる。この二人の間に割って入れる者など、もはやこの世のどこにもいないだろう。
「もぉ、ピュアピュアなんだからぁ。でもまあ本当によかったよ。これからはコソコソしなくて済むね?」
「ひゃあぁっ!? と、桃花ちゃんそれ言っちゃダメ! 先輩にバレたらどうするの!!」
実はというと彼女は、これまで結局我慢することができずよく夏斗の部活風景を覗いていた。帰り道も後ろからコソコソと尾けて声をかけられずじまい。そんな悶々とした日々をこれまで過ごしており、本人はそれを完璧な尾行だと思い込んではいるが。当然のごとく、それに気づいていないのは夏斗のみである。
(あはは、マジで誰にもバレてないと思ってる。可愛いなぁ、もう)
本当にバレずに済んでいるのは周りの細やかな協力あってこそなのだが、彼ら彼女らはえるからお礼を言われたくてそうしているのではない。全ては一重に、喜んでもらうため。学校中の生徒、時には教員までもが二人の恋路の成就のために動いている。
「ずっとそのままでいてね。純粋なえるが一番可愛いよっ」
「どういう意味!? むぅ、なんか分からないけどイジられた気がするよぉ……」
「にゃはは、えるはずっと私のおもちゃだよー?」
「酷い!! 桃花ちゃんもう嫌い!!!」
「あ〜ん、ごめんってぇ。飴ちゃんあげるから許して?」
「許す!!」
(あぁ、これが百合アニメに男が登場しない理由か……)
(今日の疲れ全部ぶっ飛んだんだが? やっべ、マジで何かとんでもないものに目覚めそう)
(二人と同じクラスにしてくれてありがとう、神様……ッ!)
ぱくっ、とりんご味の飴を舐めて緩んだ頬を桃花がむにむにと引っ張り、イチャイチャを繰り返す。細身ながらもご立派な彼女の巨峰がえるの背中で弾け、形を変えるその姿に教室の端では鼻血を出す男子もいるほど。彼女らの一挙手一投足がクラスメイトを癒し、牙を剥き、興奮させる。
「える〜、やっぱり可愛いよぉ。お家にお持ち帰りして飼いたいよぉ〜」
「絶対やだぁ。桃花ちゃんセクハラばっかりするんだも〜ん」
「でも、そんなに嫌だと思ってないでしょぉ?」
「ふふんっ、どうだろうね〜」
百合の花が満開になりました。大切にしましょう。