朝。夏斗は寝癖をほったらかしにしたまま、朝ご飯のトーストを頬張る。
いちごジャムの乗った、仕事に行く前の母の作り置き。それを数分で簡単に完食すると、時間は七時五十分。そろそろ────
ピンポーン。
「お、来たか」
家中に響くインターホン。それは、えるがここに来訪した合図である。
すぐに制服に着替え、鏡の前で歯磨きと寝癖直しをして。彼女を待たせまいと、五分で支度を済ませて外へ出る。
「おはようございます、先輩」
「ん、おはようえる。昨日はぐっすり寝られた?」
「は、はい。すみません、私寝落ちしちゃって」
「いいよいいよ。元々えるが寝落ちするまで続けるつもりだったからさ」
かあぁ、と少し顔を赤くするえるにキザな台詞を吐いて、夏斗は家の鍵を閉める。
そしていつも通りのおよそ十五分にわたる通学路を、二人で横並びになって歩くのだ。初めはそうして一緒に歩くだけでも二人して顔を真っ赤にしていたものだが、今ではすっかり慣れて談笑できるまでの仲になっている。
「いつも思うけど、えるって登校する時凄い楽しそうだよな。学校、そんなに好きなのか?」
「へっ!? わ、私そんなに楽しそうにしてますか!?」
「うん。今にもスキップし出しそうなくらい」
「そ、そんなに……」
夏斗に指摘され、えるはそっと目線を外して耳を赤くする。
楽しそうで当然だ。この十五分は、好きな人と肩を並べられる一日で一番長い時間なのだから。
学年の違う二人は、学校につけば違う階の教室に向かわなければならない。授業毎に十分の休憩時間があるが、あまり迷惑をかけすぎてはいけないと自重しているえるは、昼ご飯の時以外は夏斗の元を訪問しないようにしている。
つまり、今のうちに夏斗成分を摂取しておかなければいけないという重要な時間でもあるのだ。メッセージの文字面だけでは手に入らないリアルな成分を、こうして一緒にお話ししながら手に入れる。そうやって充電を溜め込む事で、なんとか昼までの寂しさを埋めるのだ。
(学校なんてそんな楽しみにしてるわけないじゃないですか。先輩といられるこの時間が、一番の楽しみなんですよ……)
心の内でそう呟くえるの本心に、この鈍感男は気付けない。
「先輩の……バカ」
「え? 今何か言ったか?」
「もう! 何でもないですよ!!」
そうして、あっという間に十五分という短い時間は過ぎていき。気づけば学校の正門前に辿り着いてしまった二人は、名残惜しさ全開で別れる。
「じゃあな、える。またお昼に」
「うぅ、毎日の事なのにやっぱり寂しいです。先輩……充電しても、いいですか?」
「き、今日もやるのか!? あのなぁ、あれ結構恥ずかし────」
「ぎゅ〜っ!」
むぎゅっ、もにゅん。柔らかな双丘が、あたふたする夏斗を逃すまいと正面から密着する。
ふわりと鼻腔をくすぐる、甘い匂い。胸元に埋めてくる小さな頭がぐりぐりとマーキングするようにその匂いを押し付けてきて、公衆の面前で夏斗は激しく赤面して顔を覆った。
「えへへ、先輩パワー充電できました。これで今日もお昼まで頑張れそうです!」
「そ、そうか。それはその……良かった、です……」
そのままてててっ、と校舎に向かっていくえるを見送りながら、夏斗は小さくため息を吐く。
そしてえるの姿が見えなくなったところで、小さく呟いた。
「俺の方は逆に充電されすぎて、集中どころじゃないっての……」
もどかしい気持ちと共に、今日も一日が始まった。
◇◇◇◇
教室に向け、歩みを進める。そんな夏斗を背後から襲うものが一人。
「夏斗ォォ!! てめぇまたやってやがたなァァァァァ!?!?」
「おわっ!?」
ラリアットをかまされ、首を絞められる。夏斗を襲った犯人は同学年で同じクラス、そのうえバスケ部で共に切磋琢磨する仲間。彼の犯行理由は血涙混じりの嫉妬である。
「夢崎える! 我が校の一年生で彼女にしたいランキング一位を叩き出しているあの子とハグをしていたなァ!! しかも周りに人のいる正門で!! 見せ付けてんのかテメェ!!」
「待て、待てって! 俺も別に好きでやったわけじゃ────」
「あんな美少女とのハグが嫌々だったのかァァ!? キェェェェェ!!!!!」
彼の名は天音悠里。二年生にしてバスケ部副キャプテンを務める優秀な男である。
容姿も良く、性格も友達思い。それだと言うのに彼女が未だに出来ず、しれっとそこそこモテる夏斗にはいつも嫉妬の目線を向けていた。
そして二年生になった春。夏斗はとうとうとびっきりの美少女と学校に登校してくるようになり、見せつけるようにイチャイチャ。非モテ高校生の不満は大爆発だ。
だが夏斗とてえるとのハグは不本意。当然ハグ自体が嫌なわけではないし、むしろ一日を頑張るためのエナドリのような役目を果たしてくれているが。周りに人がいる別れ際にするというのはとても恥ずかしいのでやめてほしいところ。するなら家の前とかにしてほしいものである。
「ぐっぞ、ぐぞぉ。しれっと彼女作りやがってぇ……」
「か、彼女じゃないって。前にも言ったけどえるとは付き合ってないぞ?」
「あ゛ぁ!? なんで付き合わねえんだぶっ殺すぞ!」
「えぇ。じゃあ付き合ったら?」
「ぶっ殺す!!!」
「理不尽だ……」
悠里と夏斗は中学からの親友である。中三の時には二人でバスケ部を引っ張り、全国大会一歩手前まで駒を進めさせた実力者。この学校へは推薦などではなく普通に受験をして来ているが、当然バスケの腕は衰えていない。今では高校バスケ部の充分な主力だ。
そんな二人のこのやり取りは、もはや日常茶飯事。所謂悪ふざけの延長なのだ。
「はぁ。大体なんで付き合ってねえんだよ本当に。お前あの子のこと好きじゃねえの?」
「好きだよ。でも……」
「ああ、そうかまだあの事引きずってんのか。全くこれだからヘタレは」
「……返す言葉もない」
悠里は彼の玉砕を知っている数少ない人物。それ故に理解もあるが、同時に早く前に進めと背中も押している。
結局のところ、根はいい奴なのである。
「えるちゃんはいい子だよ。この前すれ違った時お前の友達だから覚えてたのか会釈してくれたぞ? それも笑顔で。ありゃ一目惚れしそうになったね」
「なっ!?」
「それだけあの子は本当に可愛くて、人気があるってこった。手遅れになる前に早く手に入れろってこと」
分かっている。彼女が美少女で、人気なことくらい。むしろ今の今まで彼氏がいないことの方が不思議なくらいだし、きっと告白だって何度もされたことがあるレベルだろう。
(俺なんかとずっと一緒にいてくれてること自体が、奇跡みたいなものだもんな……)
いつまでもこのままではいられない。いつかは必ず、この想いを打ち明けなければならない。過去のトラウマを、乗り越えて。
「ああ、分かってるよ。えるとの事は……ちゃんと、考えてるから」
「あっそ。ならいいんだよ。オラ、教室行くぞ!」
「へい」
廊下で話している二人の元に、授業五分前を知らせる呼び鈴が鳴る。それと共にまだ授業の課題が終わっていない事を思い出した夏斗は、急いで悠里の後を追ったのだった。