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3 王弟

 第三首都グルオシの街が全体的に黒を基調としているように見えるのは、工場区を中心に鉄製の門や壁が立っているからだ。

 市街にはいくつもの枝分かれした水路が行き渡り、原動機としての黒い水車があちこちに設置されている。他の街では見ることのできない、部品や工具を扱う専門店が多くある。

 住民の生活は、工業とともに成り立っていた。


 製鉄だけではなく銅や貴金属の合金も盛んで、現在カトラリア王国で流通する通貨の製造技術はこのグルオシがほとんどすべてを握っている。不仲とはいえ、国王がうかつに手を出せない理由のひとつだ。

 鉱物以外の資源に恵まれていない王国では、グルオシの魔工まこう技術を失うわけにはいかないのだ。


「すげえ、野良猫みてーに魔物がいるんだな。亜人っぽいのもチラホラ歩いてるし。本当にカトラリアかここは」


 サリアが大通りを見渡すと、静まりかえった外からは想像できないほど鉄壁の中は賑わっていた。

 この街では多くの魔物や亜人が住民に溶け込んで生活していた。知能が高く自立している魔物もいれば、ペットのように人間に連れられている場合もある。


 第三首都グルオシに訪れるのが初めてなのは、レイ、サリア、ペルの三人だ。レイはまだ馬車の中で眠っていた。


 合流した仲間内でアマリリスとダリスだけ初対面だったが、癖の強いふたりは意外にも揉めることなくすんなりと馴染んだ。

 学者と商人という正反対の気質からか、とくに関心もなければ反発も起こらなかったらしい。


「ねえ、レイちゃんいつ起きるかしら」

「さー? 中でアニマルセラピーでもしてんじゃねえの」

「彼、じつは小動物苦手なのよ。力加減がわからなくて触るの怖いんですって。とにかく先に宿を確保しましょ。レイちゃんより背高いの、あなただけなんだから宿区に着いたらしっかり運んでよねぇ」

「はいはい。わかってますよ、お嬢さん」


 中から話しかけると言った自然神シルフがレイの右手に消えてから、しばらく待っても見た目には何の変化も起こらなかった。しかたがないので、仲間たちは先に街へ入ることにしたのだ。


 グルオシには何度か来たことがあるというアマリリスの案内で、パーティは宿泊施設の集まる宿区に向かっていた。


「前のあれ、見て、蛇だ! おっきいなぁ」


 ペルが馬車の前方に体を乗り出して、御者席のアマリリスに言った。人間を数人は羽交い絞めにできそうな大蛇が、飼い主らしき亜人と並んで水路沿いのベンチに座っている。


毒蛇の王バジリスクよ。あいかわらずレアな魔物がそのへんにいるのねぇ。動きが鈍いのは気温が低いせいかしらぁ。あの皮、超高級品なのよ。今なら剥げそうねぇ……」

「怖いこといわないで。でもほんとにおとなしいね。ここの魔物は、街で暴れたりしないのかなぁ」

「グルオシの法律では、暴れたら容赦なく処分よ。魔物との共存とはいっても、あくまでも人間の生活と都合に合わせられる魔物とだけ共存する意向だもの。希少種の保護だって見方を変えれば愛玩用よね」

「そうなんだ……」


 しゅんとするペルに、慌ててアマリリスがフォローをいれた。


「あたしがいじめたみたいな顔しないでよぉ。国王みたいに魔物を全部切り捨てるのは論外だけど、あたしは間違ったやり方とは思わないわぁ。できもしない平等と慈悲を唱えるより、『できるやつとだけする』って綺麗事じゃなくてストレートじゃないの。虐待や労働での酷使、遺棄は禁止。虐げてるわけじゃないしぃ」


 後ろで聞いていたダリスが笑って言う。


現実主義者リアリストだねぇ。勇者様も含めて、他のやつらのほうがよっぽど夢見がちでロマンチストだ」

「商人のロマンは即物的なの」


 興味が湧いたのか、サリアがカフカに聞いた。


「王の弟って、どんなヤツなんだ? 現国王がすでに七十近いから、弟も結構なじーさんのはずだよな」

「うーん、一度会ったきりですし、僕なんかが印象で評価するのはおこがましいというか……説明が難しいというか……お会いすればわかります」


 カフカが曖昧に笑う。隠し立てするというよりも、本当にどう言っていいかわからないという顔をしていた。


「グルオシに飛ばされる前の噂だが、王子なのに誕生パーティも開かれず、表にほとんど出てこなかったらしい。王位継承権も生まれたときから除外されてたようだから、おそらく公妾の子ですらない訳ありなんだろ」


 ダリスはそう言ったが、一番年上の彼でさえも生まれる前の話だ。


「そのあたりの、カトラリア王家の事情は僕もよく知らないんです。オフツェ師匠の古い友人で、異国人の僕がブリオレットアカデミーに入学するために仲介していただいただけの縁なので。でも僕はあの方、とても好きですよ。ちょっと変わった御方ですけど」

「会うやつ会うやつ、ちょっと変わった御方しかいねえなぁ」


 短剣を羊毛とオイルで手入れしながら、サリアは皮肉っぽく言った。



 ***



「ねえ、サリア。そこの工場見たいー」 


 泊まることになった宿屋のすぐ裏には、大きな黒い工場があった。ダリスがレイを部屋まで運び、カフカがボタンユキを魔物専用のコテージに預け、アマリリスが宿代を値切っているとき、ペルがサリアの服の裾を引っ張りながら言った。


「俺もちょっと見てえな。覗くか」

「ちょっとぉ、荷物下ろすの手伝いなさいよぉ! 馬車遠いのよぉ」


 アマリリスに見つかって怒られそうになったが、聞こえないふりをしてそそくさと逃げる。宿屋の横から入る狭い路地を抜け、ロープを使って工場の壁を乗り越えた。


「あのね、サリア。正面から行って見学させてくださいって言えばいいんだよ?」

「盗賊団の頃の癖で、こういうのは裏からこっそり侵入しないと落ち着かねーんだよ」

「サリアもちょっと変わった御方だね?」

「そういう皮肉は覚えなくていいんだぜ」


 ペルから思わぬ攻撃を受けて、少なからずショックを受けながらサリアは工場の内部に飛び下りた。

 続いてペルが縄をつたってくる。戦闘ではサポート役だが、運動神経が壊滅的なカフカよりはずっと身軽だ。


「見たことない魔法陣がいっぱい!」

「おお、すげえ。工場なんて造船所くらいしか見たことねえけど、もっと物がゴチャゴチャしてるもんだと思ってた」


 そこは真鍮しんちゅうの加工をしている工場のようだった。真鍮は食器などに使われカトラリアで広く普及しているが、通貨と同じようにグルオシでしか生産することができない進んだ技術だ。

 天井の高い建物の中は意外なほどがらんとしており、繋ぎの服を着た人々が魔法陣の浮かんだ熔炉や加工台で作業をしている。中には魔物や亜人も混ざっていた。


 サリアとペルが物珍しげに覗いていると、作業員が一人外に出てきた。加工台にいたらしく、作業服を着て、顔の上半分を覆う黒い革袋のようなマスクを被っている。

 顔は隠れているが、体格からカフカと同じ十代後半くらいの少年に見えた。露出している肌は少しだけ浅黒い。


「おーい、デンカー。またサボりかー?」

「目が疲れたのだ。もう若くないのでな。なんなら全員サボれ、むしろ全員帰れ。誰が決めたのだ、労働時間など」


 内部から煽られ、仰々しい喋り方で答える。年端のいかない少年特有の高めの声だ。

 彼はサリアとペルがじっと自分を見ていることに気づくと、さして驚きもせず言った。


「ぬ。なんだ、其方そちらは。どう見ても盗賊だが、ここには盗るものなどないぞ」

「ちがうよー、見学! ペルはずっと南から旅してきたんだけど、魔法陣をもっと見たいんだ」


 ペルの言葉に、少年は顎に手をあてて「ふむ」と数秒考え込む素振りを見せる。


魔工まこう技術は最高機密につき、工場は住民さえも立ち入り禁止。無断で侵入すれば極刑も免れぬ……のだが、まあよいか。見たいのならしかたないものな」

「わーい」

「いいのかよ!」


 調子の狂うガキだな、とサリアは頭を抱えたが騒がれて捕まるよりはいい。こんなことで捕まったとしたら、ダリスとアマリリスにどれほどの嫌味を言われるかわからない。


 少年は作業着に工具の詰まった皮ポーチをいくつも巻き付けていて、手はオイルで汚れ、王のような語り口調を除けばいかにも技師といった風体だった。

 ペルは喋り方など気にならないようで、次々と質問をぶつけている。


「ねえねえ、ここで働いてるひとたちは全員魔導士なの?」

「いいや、ここは元々強い魔力マナを保有した土地なのだ。南にもオリタンシア火山のような、魔物が大量発生している場所があるだろう。工場の魔法陣も土地そのものに備わった魔力で動いている。最初に設置をしたのは魔導士だが、運用をしているのは技師だ。この街では『魔工技師』と呼ばれている」


 と、少年は誇らしげに言った。


「どんな種類の魔法があるの?」

「人が直接魔法を紡いでいるわけではないから、複雑なものは少ない。単純に動力であったり、水を浄化したり。そして何より、合金で最も重要なのは熱なのだ。高温の管理はすべて魔法で行っている」

「魔法陣に組み込まれてる文様と呪文も教えて!」

「はっはっは、さすがにそこまでの秘密を漏らすわけにはいかんな! というかそんな難しいこと、余もわからぬわ」


 サリアたちが登ってきた鉄の壁から大きな音がガタガタと鳴って、強い癖毛の黒髪が覗いた。続いて日光を反射した眼鏡がひょっこりと姿を現す。サリアが結んだロープを使って、カフカが後を追ってきたのだ。


「はぁはぁ。おふたりとも、アマリリスさんすごく怒ってますよ」

「おう、カフカ。トロいんだから無理すんな」

「こ、このくらい僕だって乗り越えられます……って、そこにおられるのはまさか、殿下!?」


 黒いマスクを被った少年に気づいて、カフカが大きな声をあげた。


「うむ。其方そちはオフツェ・ノッツの愛弟子ではないか。久方ぶりだな。大きくなっ……てはおらんな、とくに」


 壁を見上げ、やはり驚くこともなく少年は言った。


「なんだ、おまえのダチか?」

「友だちって、そんな。この御方は王弟殿下であり……つまりこの街を統治するグルオシ公爵家当主のオズ様です!」


 気の抜けた声でとんでもないことを聞くサリアに、カフカが慌てて訂正する。だが、サリアはまだ信じなかった。


「いやいやいや、ガキじゃねーか。それとも、マスクを脱いだら実はジジイなのか?」

「はっはっはっはっ」


 うさんくさそうに目を凝らすサリアを尻目に、オズはゆうゆうと笑っている。

 そのとき、ペルは工場のずっと奥で何かが破壊されたような激しい物音を聞いた。


「ねえねえ、でんか? 向こうで誰か騒いでるよ」

「んー? 何事か」


 ペルに服を引っ張られて工場のほうを見ると、作業員が数人慌てて外に逃げ出してきた。


「殿下! バジリスクがついに暴れ出して……煮色処理担当のヤツらがやられてる!」

「バジリスク? ヘビ?」


 ペルは先ほど街中で見た大蛇の魔物を思い出した。


「やはり、そろそろ限界であったか。わっぱよ」

「はーい」

「幼いが、見たところ聖職者プリーストであろう。少し手伝ってはくれぬか?」

「よくわかんないけど、いいよ!」


 オズの突然の指名を、ペルは二つ返事で引き受ける。


「ちょ、ペル、待てって。いったいなんだよ。危ないことさせねえだろうな」


 ペルを伴って工場に入ったオズを、サリアとカフカが後から急いで追いかけて行った。

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